グロージャンはこの事故の原因を作ったとして1戦出場停止処分を受けた
© Mark Thompson/Getty Images
F1

F1史に残る壮絶クラッシュから生還したドライバー 

F1では、時に観る者すべてが青ざめるほどの大クラッシュが起きる。そんな壮絶なアクシデントから無傷で生還したドライバーたちを紹介しよう。
Written by Tom Bellingham
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2016年オーストラリアGPの壮絶なクラッシュから無傷で生還したアロンソ

2016年オーストラリアGPの壮絶なクラッシュから無傷で生還したアロンソ

© Alex Coppel/Herald Sun

2016年オーストラリアで行われたF1 2016シーズン開幕戦でフェルナンド・アロンソが経験したクラッシュは、現代のF1マシンがいかに高い安全性能を有しているかを改めて世界に知らしめる結果となった。240km/hものスピードで恐ろしいクラッシュを経験したアロンソはほぼ無傷であったどころか、ひっくり返って残骸となったMcLarenのコックピットから自ら脱出し観客に手を振ってみせたのだ。
今回は、アロンソと同じく壮絶なクラッシュからほぼ無傷で奇跡の生還を果たしたF1ドライバーたちを以下に紹介しよう。

マーティン・ブランドル - 1996年オーストラリアGP

2016年オーストラリアGPのテレビ中継席に座っていたF1コメンテーター、マーティン・ブランドルにとって、アロンソのクラッシュは既視感があったはずだ。というのも、ブランドル本人も20年前にちょうど同じコーナーでマシンを宙返りさせながらグラベルに着地する大クラッシュを経験したからだ。前方を走っていた同じ英国出身ドライバー、ジョニー・ハーバートデビッド・クルサードのマシン後部に乗り上げたブランドルのJordanはなす術もなく宙に放たれ、マシンは真っ二つに破断されてしまった。
誰もが目を覆わんばかりの酷いクラッシュだったが、なんとブランドルは無傷でマシンから這い出したどころか、再スタートに間に合わせるべくピットレーンまで走って戻り、無事スペアカーに乗り込んだ。ピットまで走って戻るブランドルの背中を、メルボルンの観客からの大きな声援が追いかけていた。

マーク・ウェバー - 2010年ヨーロッパGP

バレンシア市街地で行われた2010年のヨーロッパGPでスタートの失敗を取り戻すべく猛然と追い上げていた マーク・ウェバーは、ヘイキ・コバライネンが駆るLotus T127と接触。このシーズンにタイトルを獲得することになる名車 Red Bull Racing RB6が滅法速いだけでなく高い安全性も持ち合わせている事実を、彼は身をもって学ぶことになった。
ターン13へのブレーキングを目前にしたウェバーのマシンは、かなり手前でブレーキを踏んだコバライネンのマシン後部に乗り上げ、そのまま空中へ放り出された。空中でもんどり打ったウェバーのRB6は逆さまのままサーキットの路面に叩き付けられ、そのままの状態でバリアに衝突してようやく止まったのだが、ウェバー本人はRB6のコックピットから這い出し、まったくの無傷で生還を果たした。
グロージャンはこの事故の原因を作ったとして1戦出場停止処分を受けた

グロージャンはこの事故の原因を作ったとして1戦出場停止処分を受けた

© Mark Thompson/Getty Images

フェルナンド・アロンソ、ロマン・グロージャン、ルイス・ハミルトン - 2012年ベルギーGP

2012シーズン、スタート直後の1周目で引き起こした度重なるクラッシュにより、ロマン・グロージャンはマーク・ウェバーから「ファーストラップ・ナットケース(1周目の狂人)」という有り難くないニックネームを頂戴した。グロージャンがこのシーズン中に引き起こしたクラッシュの中でも、このベルギーGPスタート直後のシーンは最もドラマチックなものだ。
当時Lotusを駆っていたグロージャンはまずスタート直後にルイス・ハミルトンのMcLarenと接触。2台はもつれあったまま1コーナー前方にいたフェルナンド・アロンソのFerrariに追突。勢い余って宙に浮き上がったグロージャンのLotusはアロンソのヘルメットのほんの数センチ先をかすめながら飛んでいった。今見てもなお戦慄を覚えるクラッシュだ。

ほぼ全員のドライバー - 1998年ベルギーGP

こうして振り返ってみると、過去のF1における大きなクラッシュはスパ・フランコルシャンで起こったものが少なくない。スパで起こった大クラッシュといえば、この1998年ベルギーGPスタート直後の多重アクシデントを思い起こすファンも多いのではないだろうか。
これまで私が見てきた中で最悪のグランプリスタートです!
マレー・ウォーカー/当時のBBC F1コメンテーター
降り続く雨に見舞われた最悪のコンディションでスタートを迎えた1998年のベルギーGP。1コーナーのラ・ソース・ヘアピンでアクアプレーニングを起こしたデビッド・クルサードのMcLarenは辛うじてバリアとの接触を免れ、クルサードはそのままコースへ復帰しようとしたが、これが多くのマシンを巻き込む多重クラッシュの原因を作ってしまう。この多重クラッシュにより、エディー・アーバインのFerrari、アレックス・ブルツのBenetton、中野信治のMinardi、Prostの2台、Sauberの2台、Stewartの2台、Tyrrellの2台、Arrowsの2台の13台が一度にリタイヤへと追い込まれてしまったのだ!
果敢にもオー・ルージュへ全開で挑んだリカルド・ゾンタの末路

果敢にもオー・ルージュへ全開で挑んだリカルド・ゾンタの末路

© Michael Cooper/Getty Images

ジャック・ヴィルヌーブ & リカルド・ゾンタ - 1999年ベルギーGP

スパといえば世界に名だたる難関コーナー、オー・ルージュの存在を避けては語れない。1999年当時、このオー・ルージュをスロットル全開で駆け抜けるには並外れた度胸を必要とした。このシーズンに参戦を開始したBARに所属する2人のドライバー、ジャック・ヴィルヌーブリカルド・ゾンタは共にこのコーナーへ果敢に立ち向かった。
土曜日の予選中、最初にオー・ルージュへ全開で飛び込んだのはヴィルヌーブ。ここで彼は大クラッシュを引き起こし、赤旗中断の原因を作ってしまう。しばしの中断の後セッションが再開されたが、今度はチームメイトのゾンタが同じ場所でクラッシュを起こしてしまう。そのクラッシュは上の写真を見ても分かる通り、モノコック以外のほとんどのパーツが粉々に大破してしまうほど壮絶だった。