アンディ・ウォーホルがAmigaで制作したデジタルアート
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伝説のコンピューターAmiga:20のトリビア

アンディ・ウォーホルや『ウゴウゴルーガ』に愛されたコンピューター、Amigaを紹介する。
Written by Chris Scullion
読み終わるまで:9分公開日:
WindowsやMacは忘れてもらいたい。1980年代、主に欧州の若者の間で人気だったコンピューターがあった。今年30周年を迎えたAmiga(アミガ/アミーガ)だ。Commodore 64(コモドール64)で既に大きな成功を収めていたCommodore(コモドール)が開発したAmigaは、家庭用として開発された低価格のパーソナルコンピューターで、文書作成、音楽制作、映像編集、そしてゲームなどが手軽に楽しめた。
後年、Microsoftがコンピューターの世界を大きく変えたWindows 95をリリースしたことで、Amigaは消えていったが、Amiga 500+、Amiga 1200、Amiga 4000などで遊んだ楽しい記憶が今でも残っているという人はそれなりにいるはずだ。しかし、『Lemmings』、『Speedball 2』、『Cannon Fodder』などがいかに素晴らしいゲームだったかをよく憶えている一方、俳優ディック・ヴァン・ダイクや、DJのカルヴィン・ハリスなどに愛されていたこと、そして90年代初頭に人気を博した日本のテレビ番組『ウゴウゴルーガ』のCG制作に使用されていたことを知る人は少ない。
今回はAmigaにまつわる20のトリビアを紹介すると共に、その歴史を振り返る。
Amiga 500

Amiga 500

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1:Amigaの生みの親
かつて、AmigaユーザーとAtari STユーザーは微妙なライバル関係にあったが、Amigaが元Atari社員によって開発されたことを知る人は少ない。Amigaはジェイ・マイナーとラリー・カプランが設立した開発会社Hi-Toroが母体となり、1982年に設立された。尚、ラリー・カプランはActivisionの共同設立者としても知られている。
2:Amiga VS. Atari ST
実は、AmigaとAtariのライバル関係は始まる前に終わっていた可能性があった。1984年、AtariはAmigaの技術を使用して新たなコンピューターを開発するために、Amigaに買収のオファーをしていたのだ。しかし、その契約が完了する数日前にCommodoreが横やりを入れ、Atariのオファーの実に4倍の金額でAmigaを買収した。そしてこれに怒ったAtariは独自のコンピューターAtari STを開発。これにより16ビット家庭用コンピューター戦争が勃発した。
3:謎のコントローラー
Amigaはコンピューター本体の生産に乗り出す前は、Atari製コンピューター向けの周辺機器及びコントローラーの生産をしていた。その中で最も奇妙な製品がJoyboard(ジョイボード)で、プレイヤーはこのボードの上に立ち、体を傾けてゲームを操作した。今のバランスWiiボードのようなコントローラーだった
Amiga Joyboard

Amiga Joyboard

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4:AmigaとB-52’s
かつて、Amiga社内に米国のニューウェーブバンド、B-52’sのファンがいたため、Amiga製の各コンピューターのマザーボードにはB-52’sの曲名が付けられていた。A500は「Rock Lobster」、A600は「Junebug」、A1200は「Channel Z」、A590は「Party Mix」と名付けられていたが、CD32のマザーボードにはSiouxie And The Bansheesの曲名「Spellbound」が用いられ、B-52’sの曲名シリーズは終わりとなった。
5:AmigaとMicrosoft
AmigaBASICは初期Amiga製コンピューターにインストールされていたプログラミング言語で、このプログラムを書いたのがWindowsを生み出す前のMicrosoftだった。
6:豊富な色数
Amiga 500は4,096色パレット、32色の同時表示が可能だった。これはスーパーファミコンの32,768色パレット(同時表示色数は16色)などと比べると見劣りしていたが、後継機Amiga 1200では一気にこの部分が改善され、1,680万色パレット、262,144色の同時表示が可能となった。
7:犬の足形
A1000の本体内部には、デザインチームのサインと、デザイナーだったジェイ・マイナーの犬の足形がプリントされている。
A1000にプリントされたデザイナーたちのサイン(右上に犬の足形)

A1000にプリントされたデザイナーたちのサイン(右上に犬の足形)

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8:世界初のウイルス
世界初のマルウェアが送り込まれたコンピューターがAmigaだった。1987年にSwiss Cracking Association(SCA)が作り出したこのウイルスは、当時違法ダウンロードを利用していたAmigaユーザーが多かったこともあり、最終的にはAmigaユーザーの40%に入り込んだ。しかし、このウイルスの内容は非常にシンプルで、感染後にAmigaを立ち上げると、その回数が15の倍数に相当する時にだけディスプレイ上に「嬉しいことにあなたのAmigaはまだ無事です! そして更に嬉しいことにこのディスクはウイルスに感染しています! これはSCAの所業です!」と英語で表示されるだけのものだった。
9:忠実なサポーター
Commodoreは1994年に倒産したが、Amigaユーザーのコミュニティはその後も積極的な活動を続け、雑誌『Amiga Format』は2000年5月まで発行され続けた。
10:ヒットアルバムの制作
家庭用コンピューターという性質上、Amigaにはゲーム以外の機能も備わっていたが、Amigaで制作された音楽がゴールドアルバムを獲得している。カルヴィン・ハリスが2007年にリリースしたデビューアルバム『I Created Disco』は、彼が所有する15年物のAmiga 1200で制作されたものだ。
11:アートの制作
米国人アーティスト、アンディ・ウォーホルはAmiga 1000のローンチパーティに出席。会場のAmiga 1000を使用してBlondieのシンガー、デビー・ハリーのデジタルペイントを披露した。尚、ウォーホルはプライベートでもAmigaを使用していたようで、彼がAmigaで制作したデジタル作品群が入っている大量のフロッピーディスクが昨年発見された。
アンディ・ウォーホルがAmigaで制作したデジタルアート

アンディ・ウォーホルがAmigaで制作したデジタルアート

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12:セレブのAmigaファン
映画『メリー・ポピンズ』への出演で知られる俳優ディック・ヴァン・ダイクはAmigaユーザーとして知られている。3Dアニメーションファンでもある彼はコンベンションに参加すると、Amigaで制作した短編アニメを公開した。
13:ポケモンの音楽
Amigaは他のフォーマットでリリースされているゲームの制作にも使用された。日本の開発スタジオGAME Freakはゲームボーイ用タイトル『ポケットモンスター 金・銀』の音楽をAmigaで制作している。
14:『Cannon Soccer』
Amiga用のゲームを開発していたSensible Softwareは伝説のサッカーゲーム『Sensible Soccer』と、ストラテジーゲーム『Cannon Fodder』の開発で知られている。1993年のクリスマス、彼らは『Amiga Power』誌のためにこの2本を組み合わせた『Cannon Soccer』を制作。内容はサッカースタジアムを舞台にした『Cannon Fodder』だった。
『Cannon Soccer』

『Cannon Soccer』

© Sensible Software

15:チェルシーのスポンサー
1987年、Commodoreは英国プレミアリーグに所属するサッカークラブ、チェルシーと1億2500万ポンド(当時)でスポンサー契約を結び、ホーム及びアウェイ用ユニフォームの胸スポンサーとなった。これは英国サッカー史上最高額のスポンサー契約(当時)として話題になった。
16:Amiga版『Minecraft』
Amigaが消えてから長い時間が経過したが、Amiga最後のOS、Amiga OS4は今でも熱狂的なファンによって開発と使用が続けられている。2015年初頭には、あるユーザーが『Minecraft』のAmiga版『Amicraft』を開発していることを発表した。
17:Amigaの耐久力
Amigaの耐久力を知るには、つい最近のニュースをチェックすれば良い。2015年6月、ミシガン州グランドラピッズの19の公立学校が今でもAmiga 2000で校内のエアコンを制御していることが明らかになった。すべてを入れ替えると総コストが200万ドルにも膨らむため、学校側は継続して使用するつもりだと回答している。リリースから30年近くが経った今でも、十分に使えることが明らかになった。
『Putty Squad』

『Putty Squad』

© System 3

18:『Putty Squad』
ゲームは発売中止になる場合が多い。その中で『Putty Squad』は最後の最後で中止となったタイトルだ。実際、そのタイミングは「遅過ぎ」で、ゲームは既に完成しており、レビュー用に各メディアに送られたあとだった。そのレビューでは『Amiga Power』誌が91%の高評価を与え、『CU Amiga』誌も94%を与えていたが、結局リリースされなかった。しかし、それから19年後の2013年にPS3、PSP、iOSでリリースされ、遂に日の目を見た。
19:『スタートレック』とAmiga
アンディ・ウォーホルやディック・ヴァン・ダイクなどがセレブのAmigaファンとしては有名だが、俳優ウィル・ウィートンはソフトの開発に関わっており、彼らの一歩先を行くハードコアファンと言えるだろう。『新スタートレック』のウェスリー・クラッシャー役で知られるウィートンは、NewTekと手を組み、Amigaのビデオ編集ソフトの拡張版で、ハードウェアとソフトウェアを組み合わせた製品『Video Toaster 4000』の開発に携わった。これは米国テレビ番組『バビロン5』や『シークエスト』のスペシャルエフェクトの制作に実際に使用された。
20:幻のAmiga Walker
倒産する直前にAmigaが発表したのがAmiga Walkerで、これはA1200にCD-ROMドライブを搭載したものだった。ロボット犬のようなその奇妙なデザインで良く知られているが、結局倒産前に製作されたのはプロトタイプ2台だけだった。