音楽の三大要素を同時に!Mr.ベースマン、ヴィクター・ウッテンの「Amazing Grace」が凄い

ベース奏法に新しい概念を生み出し、革命をもたらした規格外のベーシスト、Victor Wooten(ヴィクター・ウッテン)が、まったく新しい解釈をもってアメリカの国民的賛美歌に挑む。
By 藤川 経雄

人は誰しも少なからず既成概念に捕われている

例えば絵は筆(もしくはペン)で描くもの、はたまた男子たるもの適齢期が来たら結婚して家庭を持つもの(当方40代独身ですが何か?)等々・・・この世の中は様々な既成概念に満ちあふれている。いや、支配されているといっても過言ではないだろう。もちろんその殆どは必要にして形成された、曰く”常識”と呼ばれるものであるのは理解できるのだが、あえてそれを踏み越えていった先にこそ、革新があるのが世の常(決して40代独身男の言い訳ではない)。


音楽を構成する要素は基本となるものが3つある。

メロディ(旋律)、ハーモニー(和音)、そしてリズム(律動 )。例えばバンドという形態の中ではボーカルはメロディ、ギター&ベースはメロディもしくはハーモニー、そしてドラムがリズムというふうにそれぞれ一つの楽器が一つの役割を担うのが基本。それはただ一つの要素をまともに奏でるだけでも膨大な努力と鍛錬を必要とするからで、つくづく楽器の習得というのは報われない営みなのだろう、と思わずにはいられない。なにせ弦楽器たるギターとベースに至っては基本的な弾き方ではたった一音鳴らすのにも両の手が必要なのだから(その点鍵盤楽器が羨ましくもあるのだが)。

特にベースなどは目も当てられない。弦は太くて4本しかないわネックは長くて指がつりそうになるわ…弾きこなすのが大変な楽器であるからこそ、乱暴な言い方をすれば「大人しく地味に弾いてろよ」と言われてしまうこともしばしば。そう、ベースとは地味に単音を弾くもの、という既成概念は、悲しいかなこういった理由からきているのだ。既成概念の壁とは存外に高く分厚いものなのである。つまりそれを打ち砕くには圧倒的な説得力が必要になるわけで、長年の鍛錬という多大な努力と、なにより既成概念に捕われない柔軟な思考プロセスが必要になる。そうして常人では到達し得ない領域を踏み越えてこそなおそれでも実現できるかどうかなんてのは夢幻の如くなのである。

by Steve Parker

Victor Wootenというベーシストがいる。
この御仁、生半ではない。何せ長年の鍛錬の末、手が8本になったベーシストと呼ばれている。

意味が分からないと思われるだろうが、筆者も初めてその映像を目の当たりにした時は正直意味が分からなかった。まず指の動きと音が合っていない(ように見える)わ、幾つものメロディが同時に聞こえてくるわ、ドラムがいないのにドラムの音が聞こえてくる(ような気がする)わ……。もし映像が無ければ多重録音と信じて疑わなかったであろう。つまり前述した”一つの楽器に一つの要素”という原則の枠組みから大きく脱却し、2つの要素どころか3つ全ての要素を同時に奏でることが出来る、史上稀にみる希有なベーシストなのである。ここで紹介したいのはWooten氏による、アメリカ人ならば知らぬ者はいないかの有名な賛美歌「Amazing Grace /アメイジング・グレイス」の演奏だ。百聞は一見にしかず、まずは見て頂きたい。

既成概念を打ち壊すとはまさにこのこと!

広辞苑に”既成概念を打ち壊す”という項目があったとしたら解説に”Victor WootenのAmazing Grace演奏”と記述してもいい。常識的なベース演奏の概念なんぞどこ吹く風。実際に彼は”ベース界の一人産業革命””ベーステクニックをインフレ化させた張本人”などと呼ばれていたりもする。至極納得である。

ギターやベースを少しでもたしなむ者であれば、一見してその天才ぶりは理解できるだろうが、楽器を演奏するという行為にまったく興味のない人のために少々解説すると、まずあの印象的なメロディは全てハーモニクス(倍音)で奏でられている。ベースであるにも関わらず非常に高い音なのはそのためなのだが、これは豊かな倍音を持つベースならでは。それと同時にコードのベース音も弾いている。もちろんメロディが進むに従ってコードも動くので合わせて同時に弾くだけ でも至難の技なのだが、さらに本番はここから。

動画1分を越えた辺りからオンビートに切り替わり、一気に躍動感のある世界観に変わる。リズムを刻むアタック音が追加されメロディ(ハーモニクス)、ハーモニー(コードライン)、リズムという3つの要素が三位一体となって演奏されるのだが、その正確さとグルーム感は彼ならでは。正直一つ一つのテクニックは基本中の基本のものばかりなのだが、それを同時にしかもこれだけ躍動感のあるグルーブで演奏し続けるのはそこらの達人レベルでも難しい。実際に身の程知らずの筆者も挑戦してみたのだが、最初のパートで見事に挫折。彼には8本の手があると言われる所以がここにある。

彼、Victor Wootenを理解して頂くために手っ取り早い方法として技術的な事を中心に解説してきたが、実は彼の本質はそこにはない。彼が素晴らしいのは、それらの超絶技巧に”使われる”のではなく、あくまでも”こんな音楽的表現をしたい”という欲求からこれらの技術を生み出し、使いこなしている点にある。楽器を知らない人間が聞いても彼が紡ぎ出す音楽の美しさは必ず心に届くはずだ。

テクニックとは言語のようなものだとWooten氏は言う。素晴らしい文章を紡ぎ出すのに語彙が豊富かそうでないかはあまり関係ない。彼の場合は表現するのにたまたま豊富な語彙が必要だっただけなのだ。ちなみに筆者の場合、語彙が豊富かそうでないかに関わらず(そうでない方なのだが)、長々と書き連ねたあげく本稿では彼の魅力の百分の一も伝えられていないことは間違いない。彼の才能を百分の一でもいいから賜りたいものだ。

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