Shingo Kazami
© Kunihisa Kobayashi
ブレイキン

ブレイクダンスがあったから、自信が持てた――風見しんご

Red Bull BC One World Final 2016を控えた『ビーボーイ学』連載最終章は、伝説のB-BOY 風見しんごが登場。
Written by Red Bull Japan
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第一弾 JOMMY、第二弾 浅井隆(アップリンク代表)と、時代とジャンルを超えたB-BOYイズムを訊くインタビューシリーズ『ビーボーイ学』。その最終章となる第三弾は、日本第一世代のB-BOYであり俳優の風見しんごだ。
1983年公開の映画『フラッシュダンス』のワンシーンに衝撃を受け、勢いのままにNYへ。ブレイキングの虜になった風見青年は猛練習を重ね、翌年12月発売のヒット曲『涙のtake a chance』でブレイキングやアクロバットを大胆に取り入れ、お茶の間とエンタメ界に衝撃を与えた。今でこそ知る人は少ないかもしれないが、数多くのB-BOY & B-GIRLに影響を与えてきた、正真正銘のレジェンドB-BOYだ。
最後を飾るにふさわしい、彼ならではのヒップホップイズム、必見!
【連載第一弾】
【連載第二弾】
Shingo Kazami

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━━今回は”B-BOY 風見しんご”として、当時の回想から現在のお話までをお伺い出来ればと思います。まず、風見さんご自身のブレイキングやヒップホップカルチャーとの出会いは、どのようなものだったのでしょうか。
風見しんご(風見)  出会ったのは1983年公開の映画『フラッシュダンス』ですね。路上で子どもがバックスピンをしているシーンがありますが、それを見て衝撃を受けたのがキッカケです。誰もテレビやビジネスでは(ブレイキングを)やっていなかった時代でしたが、その衝撃を受けて、どうしてもブレイクダンスを取り入れたいと思いました。
当時はまだ、いわゆる「振り付け」の時代で、例えばピンクレディーの『UFO』ならUFOから出る電波を振り付けで表現しているわけですね。それを僕は失恋の歌でバックスピンとかムーンウォークとかバク宙をやろうっていうね(笑)。お世話になっていた振り付けの先生も当然知らないようなストリート発祥のダンスですから、自分でNYに飛んで、ストリートで踊っていた子どもたちからビデオを3本買って、それこそ擦り切れるほど観ました。日本に帰って観たら、3本とも同じ内容でしたけどね(笑)。
「ストリートダンス」なんていう言葉もまだなかったですから、そもそも舞台に上がっていいとされていたのはジャズダンス、タップダンス、バレエくらいなものでした。ブレイクダンスなんて、「板につく」べきダンスではないわけです、ストリートで踊るものでしたから。
それでも僕が幸運だったのは、(レギュラーだった)萩本欽一さんの番組で披露する機会を得たということでした。萩本さんに最初お見せしたときは「何か関節に悪そうな動きだなァ」とか、ムーンウォークなんかは「お前、前に進みてェのか、後ろに進みてェのか」なんて言われましたけどね(笑)。でもその本意は、ただ凄い踊りを見せるのではなくて、日本のお茶の間に伝わることをやりなさい、と。スピードを落としたり、見せ方を工夫したり、畳間でも子どもたちがマネしたくなるように見せなさい、という教えでした。
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――当時は情報も極端に少なかったでしょうから、苦労も多かったのではないでしょうか。
風見  やっぱり、最初にやるっていうことは大変なことですね。当然、B-BOYなんてその辺にはいませんから、当時のバックダンサーも直接ディスコで声をかけて集めたメンバーなんですよ。アキラ君(CRAZY-A)もメンバーの一人で、日本のテレビで初めてヘッドスピンをやったのはアキラ君ですよ。『夜のヒットスタジオ』で、井上順さんの前で。
練習はまさに見よう見まねで、教え合いでしたね。楽しくもあり、大変でもあり。今だから言えますけど、テレビ局の床ってコンクリートじゃないですか。なので、正直めちゃくちゃ痛かったです(笑)。全身それこそ青アザだらけで、肩、ヒジ、ヒザ、あちこちに青タン作っていましたね。若さに任せてろくに準備体操もしないから、内転筋は両足とも切ったことがあります。
ファッションも、RUN-DMCが登場してヒップホップのスタイルが出てきたのはもう少し後ですから、まだ何を着たらいいかもよく分かっていなかったですね。当時はたしか、リーボックのジャズダンス用のシューズをよく履いていたんじゃないかな。あとはジャージでテレビ局に入っていって、怒られたりもしましたね。B-BOYはその後、踊りもそうですし、ファッション、音楽と、色んなカルチャーを作っていきましたよね。
――そこまで夢中にさせてくれたブレイキングとは風見さんにとって、かなり大きな意味を持っていたのでしょうか。
風見  そうですね、やはり誰もやっていなかったことですから、手探りでひとつひとつモノにしていく作業でしたし、それがすごく楽しかったんですよね。本当に全身痛かったけど、「疲れた」と思ったことは一度もなかったんです。
あんなに一つのことに夢中になったのって、なかったなぁって思いますね。振り付けとして採用も決まっていないのに、ムキになって、必死に練習して。ザ・ベストテンの黒柳さん、夜のヒットスタジオの井上順さん、本当に驚いて下さいました。心底天狗になった瞬間でしたねぇ(笑)。
僕の場合はブレイクダンスがあったから、この世界での自分に自信が持てたと言えると思います。全部がいい思い出ですし、もしブレイクダンスに出会っていなかったら、30年以上経った今もこうしてこの世界でやっていれたか、ちょっと分からないですね。
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――そんな風見さんから、B-BOY & B-GIRLたちや日本の若い世代に伝えたい「ビーボーイ学」はどのようなことでしょうか。
風見  未だに色々なダンスを観るのも大好きだし、今のダンスを観るたびに最先端の凄さというのを感じますね。想像がつかないレベルに達していますよね。そういうダンサーたちの、常に新しいモノや誰もやっていなかったコトを生み出そうとする姿勢に、ものすごく共感を覚えます。僕の時代の非常に基礎的なところから今に至り、きっとこれからもダンスはダンスを超え続けるんだろうと思います。
僕からお伝えしたいのは、その「技」ももちろん財産ですが、踊っている「あなた」を観て、「あなた」に憧れている次の世代がもうすでにたくさんいるんだ、ということを感じて欲しいということでしょうか。技は出来なくなるけれど、あなたが踊っているその事実と、そのあなたにあこがれている次の世代がいること、それが一番の財産だと思います。
なぜなら僕自身、1984年当時は10歳だった少年が今やお父さんになって、「風見さん、あなたのダンスに憧れていたんですよ!」って声を掛けてくれて、そのお嬢さんがまたダンスを踊っているということがある。あの時、ブレイクダンスに夢中だったひとりのB-BOYとしては気づかなかったけど、とにかく一生懸命やってよかったな、そう思います。
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――13年目を迎えたB-BOY世界一決定戦Red Bull BC One World Final 2016は、12月3日(土)に愛知県体育館で開催!
同時に開催される参加型のカルチャーイベント Red Bull BC One Japan Camp 2016(11月30日〜12月3日、名城大学ナゴヤドーム前キャンパス)も、マストチェックだ。

Red Bull BC One World Final 2016

12月3日(土)19:30〜21:30 @愛知県体育館
※観戦チケットは完売致しました。LINEキャンペーンで観戦チケットプレゼント実施中。
Red Bull BC One公式WEBサイトでは、12月3日当日に生配信を実施!

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