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ジャパニーズヒップホップのレジェンドたち

ジャパニーズヒップホップ史において重要な役割を果たした5組の偉大なアーティストたちを紹介しよう。
Written by Chris Parkin
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DJ Krush

DJ Krush

© Yusaku Aoki/Red Bull Content Pool

日本は非常に長いヒップホップの歴史を持っている。Yellow Magic Orchestraが1981年のアルバム『BGM』に収録し、当時黎明期にあった米国のヒップホップシーンに刺激を与えたエレクトロラップのプロトタイプ「Rap Phenomena」や、映画『ワイルド・スタイル』や海外のヒップホップファッションの流行を経由しながら、日本のヒップホップシーンは国内でゆっくりと確実に広がっていった。
しかし、ブレイキン、グラフィティ、ストリートウェアなど、最初はヒップホップの視覚的な要素に影響された日本の若者たちは、やがてヒップホップという音楽そのものに引き込まれるようになり、ターンテーブリストたちの台頭のあと、ラッパーたちがヒップホップのビートに日本語を盛り込むことに成功した。

DJ Krush

日本におけるヒップホップ・オリジナル世代の多くと同じく、DJ Krushも当時代々木公園沿いの歩行者天国で行われていたブレイクダンス・パフォーマンスに衝撃を受けてヒップホップに夢中になった。やがて映画『ワイルド・スタイル』のジャパンツアーに刺激を受けた彼は、1980年代中盤にターンテーブリズムに目覚める。そして、それから10年の間に、GuruCL Smoothとのコラボレーションを行いながら、Mo’WaxやNinja Tuneなどの英国のレーベルから “アブストラクト・ヒップホップ” と評価されることになるクラシックアルバム群を発表し、更には1995年のアルバム『Meiso』ではDJ Shadowとの共作によるクラシック「Duality」なども残した彼は、グローバルな評価を勝ち得た。彼が1990年代初頭にごく僅かな期間在籍していたKrush Posseも要チェックだ。

 スチャダラパー

今や大ベテランとなったBoseとAni、Shincoの3人組は、一般的にはその遊び心に満ちた楽曲やBeastie BoysなどのUSラップグループからの影響を軸に語られがちだ。しかし、そもそもヒップホップは、クリエイティブな剽窃がその根幹にあるアートフォームだ。スチャダラパーのパーティラップ的なスタイルは、ジャパニーズヒップホップが若いリスナー層から注目を集める過程で非常に大きな役割を果たした。中でも、彼らが1994年に小沢健二をフィーチャーして放ったヒット「今夜はブギーバック」はヒップホップを幅広いリスナーに広めるきっかけを作った楽曲と言っていいだろう。また、彼らは1993年にDe La Soulがリリースしたアルバム『Buhloone Mindstate』の収録曲「Long Island Wildin」にも登場している。

キングギドラ

1993年に結成された2MC1DJ(K Dub Shine、Zeebra、DJ Oasis)によるキングギドラは、映画『ゴジラ』に登場する三ツ首の竜を、自分たちの燃え盛るようなサウンドに関連づけたことで生まれたグループだ。メンバー3人は共に少年期を米国で過ごした経験を持ち、Public Enemyのような怒気をはらんだハードなサウンドを日本のヒップホップシーンに持ち込んだ。しかし、彼らの怒気は日本の社会で蓄積されたものであり、彼らは崩壊した日本の社会システムへの攻撃や、「Bullet Of Truth」などのクラシックに代表されるような物議を醸す強烈な意思表示を重ねていった。

Lamp Eye

J-popはヒップホップの甘い汁を吸おうと接近し、そのサウンドをオーバーグラウンドにも応用しようと企んだが、そこには手痛いしっぺ返しが待っていた。いや、少なくともRino Latina II、GamaそしてDJ YasによるLamp Eyeのようなアンダーグラウンドの住人たちにはその覚悟があった。彼らは甘いバブルガム的なパーティラップを否定し、彼らと同じ怒りを持っていたYou The Rock、Twigy、GK Maryan、Dev Large、キングギドラのZeebraなどのゲスト陣をフィーチャーした一大クラシック「証言」では、そのハードコアなアティテュードを存分に見せつけた。「証言」は今もなお日本のヒップホップファンの間で不朽のクラシックとして讃えられている。

Nujabes

デトロイトのJ Dillaと東京のNujabes。それぞれのサウンドだけを取り上げればそこにほとんど共通点は見出せないかもしれない。しかし、彼ら2人は共に若くしてこの世を去った早逝のヒップホップ・アーティストであり(Nujabesは36歳で逝去している)、彼らが遺した作品群は後の世代に多大な影響と可能性を与えているという点も共通している。レコードショップのオーナーにしてレーベルボス(Hydeout Productions)も務めたNujabesだったが、彼の存在はなによりもエクスペリメンタルでジャジーな名作ビーツを数多く手掛けたプロデューサーとして側面が強く印象に残っている。彼の創り上げたビーツは宇山寛人やShing02(「Luv(sic)」シリーズは必聴)、Minmi、CYNE、CL Smooth、Terry Callierなど、幅広いアーティストたちの作品に提供された。Nujabesが日本のモダンヒップホップシーンに残した影響は計り知れない。