スノーボーディングの文化価値とは?

元ライダーの雑誌編集長が綴る SNOWBOARDING IS MY LIFE.
By 野上大介

はじめまして。スノーボード専門誌「TRANSWORLD SNOWboarding JAPAN」の野上大介と申します。この度は、Red Bullの当ページで執筆させていただくことになりました。スノーボードの魅力や本質を余すことなくお伝えしていこうと思っていますのでよろしくお願いします。

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自己紹介も兼ねて経歴を説明すると、日本のスノーボード界がバブル絶頂期を迎える直前だった、1992年の冬にスノーボードをスタート。当時のゲレンデにはスノーボーダーも少なく、現在のように溢れかえっている情報を精査するのではなく、自ら貪欲に有益なそれを掻き集めながらライディングに明け暮れていた。レジャー感覚で1年目のシーズンを終えたが物足りず、2年目以降は山に“コモる”という生活を始めることに。そのタイミングで出会ったふたつの映像作品の影響を多分に受け、僕の人生は大きく転換していくことになる。それは、『ROADKILL』(93年)と『R.P.M.』(94年)という作品(ともにFall Line Films作)たちだ。知っている人もそうでない人も時間が許すのであれば、観て、そして感じてほしい。後述するが、この時代に現代スノーボーディングの礎が築き上げられた。そういっても過言ではないから。

そのとき、ひとりのライダーでありアーティストに魅せられた。宣伝じみていて恐縮だが、現在発売中の弊誌11月号で表紙を飾っているジェイミー・リンだ。若い世代のスノーボーダーにはピンとこないかもしれないが、あの時代に雪上を駆けていたスノーボーダーにとっては、まさに“スーパーヒーロー”だった。

スノーボード専門誌「TRANSWORLD SNOWboarding JAPAN」

理屈では説明できない。

一般的なスポーツ選手における人気とは、最近でいえばテニスの錦織圭が挙げられるだろうが、野球の田中将大にしろサッカーの本田圭佑にせよ、選手の実績がもっとも重要とされる。それが伴ったうえでのパーソナルや言動に注目が集まるのだろうが、当時のジェイミーのそれは成績うんぬんではなく、“表現力”がすべてだった。

同世代でいまだ現役ライダーとして滑り続けているテリエ・ハーカンセンは、当時からコンテストでも抜きんでた存在だったが、テリエ以上にジェイミーから放たれていた“創造性”が、僕を含めた団塊ジュニア世代を強く刺激し、スノーボーディングは大きな産業へと昇華していくことになった。これがいわゆるニュースクール・ムーブメント。こちらについても、後に詳しく触れていきたいと思う。

日本の体育文化に育まれてきた人生観に、突如のように植え付けられた新しい価値観。そのような自由奔放で、かつ創造性に富んだライディングスタイルに魅せられた若者たちが、日本中に溢れた。当時のムービースターたちの滑りを眼に焼きつけ、ファッションやギアをコピーし、ゲレンデ内のあらゆる地形をスケートボードのようにヒットするべく、縦横無尽に雪上を駆け抜けていたあの頃───。

あの時代があったからこそ今がある。

オリンピックの正式種目として採用されてから5回目を数えたソチ五輪では、ついに日本人メダリストが誕生した。若者のサブカルチャーとして輸入されたスノーボードは現在、キッズたちが夢を見るメジャースポーツのひとつでもある。現在に至るまで、様々な紆余曲折があった。オリンピックにおけるスノーボードは、なぜスキー種目のひとつなのか? メダル以上に評価される“スタイル”とは、いったい何なのか?

いちスポーツでありながら、ジェイミーらが築き上げた創造性に重きを置くスノーボーディングという文化価値。これらについて、歴史を紐解きながら探っていきたいと思う。

つづく

 

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野上大介(Daisuke Nogami)

スノーボード専門誌「TRANSWORLD SNOWboarding JAPAN」編集長。1974年、千葉県生まれ。全日本スノーボード選手権大会ハーフパイプ種目に2度出場するなど、複数ブランドとの契約ライダーとして活動していたが、ケガを契機に引退。現在に至る。アクション&アドベンチャースポーツのインターナショナル・フォト・コンペティション「Red Bull Illume Image Quest 2013」の日本代表審査員。また、ソチ五輪スノーボード競技におけるテレビでの解説やコメンテーターとしても活動するなど、その幅を広げている。

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