スケートボードの歴史を知らずして、スノーボードは語れない

元ライダーの雑誌編集長が綴る SNOWBOARDING IS MY LIFE. Vol.3
By 野上大介

前回のコラムでも綴ったように、サーフィンからインスパイアされて誕生したスノーボード。そして、世界同時多発的にスノーボードの開発が各地で押し進められていったと記述したが、その中のひとりであるトム・シムス氏は1965年、サーフィンを雪上に置き換える前にストリートで再現していた。世界初となるロングスケートボードを誕生させたのである。

シムス氏は1975年、ロングスケートボードの販売を始めるためにSIMS SKATEBOARDSをローンチ。ここで当時のスケートボードシーンを簡単に説明しておくと、それまではサーフィンの練習用としての代用品的な扱いだったものが、グラスファイバーを用いたスラローム向けのボードと、合板を使ったランプ向けのボードとに分かれていくことに。ボウルやハーフパイプを完備したスケートパークが建設されると、1978年にはアラン・ゲレファンドがランプでボードを浮かせる技「ノーハンドエアリアル」を開発し、これは彼のニックネームである“オーリー”として世界中に広まった。このエアトリック誕生を契機として、スケートボードはサーフィンと差別化を図るように独自のライディングスタイルを築き上げていくことになる。

1981年に発刊された「ACTION NOW」の表紙を飾ったトム・シムス氏
1981年に発刊された「ACTION NOW」の表紙を飾ったトム・シムス氏

80年代に入ると、トニー・ホークやクリスチャン・ホソイらがバーチカルで活躍し、ロドニー・ミューレンが平地でのオーリーに成功するなどフリースタイルが確立していき、スノーボーダーにも馴染み深いトリックが続々と誕生した時期でもある。マイク・マックギルによりマックツイストが、スティーブ・キャバレロがキャバレリアル(スイッチ・フロントサイド360)をそれぞれ開発。ちなみにジャパンエアというトリック名は、日本生まれのフランス人スケーター、フィリップ・メントネが東京・清瀬でセッションした際、彼独特のエアを見たキャバレロらが帰国して広めたトリック名なのだそうだ。
ライダーたちがトリックを発展させていった背景には、一般ユーザーのケガが絶えないという問題も勃発していたようだ。こうしたアマチュアスケーターとの格差などもあり、一大ムーブメントを巻き起こしたスケートボードは一時的に衰退の一途を辿ることに。ここでシムス氏は、本格的なスノーボードブランドへの移行を決断することになる。

映画『美しき獲物たち』のワンシーン
映画『美しき獲物たち』のワンシーン

まずはメディア戦略に着手した。「SKATEBOARDER MAGAZINE」にいち早くスノーボードを紹介し、同社よりリリースされた後の総合アクションスポーツ誌「ACTION NOW」でも特集記事を企画。さらに、1985年に公開された映画『007 美しき獲物たち』では、主役であるロジャー・ムーアの代役としてオープニングに自らのライディングを世界中に発信するなど、マーケティングにおいて手腕を発揮。スノーボードは北米のみならず、欧州にまで浸透していったのだ。

つづく

 

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野上大介(Daisuke Nogami)

スノーボード専門誌「TRANSWORLD SNOWboarding JAPAN」編集長。1974年、千葉県生まれ。全日本スノーボード選手権大会ハーフパイプ種目に2度出場するなど、複数ブランドとの契約ライダーとして活動していたが、ケガを契機に引退。現在に至る。アクション&アドベンチャースポーツのインターナショナル・フォト・コンペティション「Red Bull Illume Image Quest 2013」の日本代表審査員。また、ソチ五輪スノーボード競技におけるテレビでの解説やコメンテーターとしても活動するなど、その幅を広げている。

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