フリースタイル・スノーボーディングが生まれた日

元ライダーの雑誌編集長が綴る SNOWBOARDING IS MY LIFE. Vol.5
By 野上大介

SIMS SNOWBOARDSが世界初となるハーフパイプ種目を大会に導入したという話は前回のコラムでお伝えしたとおりだが、スケーターでもあったトム・シムス氏のイマジネーションにより舞台が整えられ、彼が抱えていた所属ライダーたちの手(足?)によりライディングスタイルが具現化されていく。SIMSのボードに跨がった自由を追い求めるスノーボーダーたちがフリースタイル・スノーボーディングを生み出した、そういっても過言ではないだろう。

スノーボードを形作ったライダーは?と問われれば、真っ先にクレイグ・ケリーの名が頭に浮かぶ往年のスノーボーダーたちも多いと思うが、フリースタイル・スノーボーディングのゴッドファーザーといえばテリー・キッドウェルだ。レース競技の総称でもあるアルペン・スノーボーディングが主流だったシーンに風穴を開けたのは、まさしくスケートボードの存在。14歳のときに米カリフォルニア州・タホに移り住んだことを契機にスケートボードに夢中となったテリーだが、特にバートランプにのめり込んだ。バーチカルでのライディングスタイルに魅了され、1970年代後半に差しかかった頃、スノーボードと出会うことに。この時代のスノーリゾートはスノーボードの滑走が禁止されていたため、バックカントリーでのパウダーライディングに明け暮れていた。

そして1979年、タホのローカルであるボブ・クラインをはじめとする仲間たちとともにテリーは、天然地形のクォーターパイプを発見。そのR地形を利用して、これまで培ってきたスケートボードでのバーチカルスキルを雪上でトライする毎日を過ごした。エアやスピン、ハンドプラントといった数々のトリックをオンスノーに置き換える日々。スノーボードにおいてバーチカルを滑走するという発想は、まさにこの地で誕生したことになる。このロケーションを彼らは、“タホ・シティ・パイプ”と名づけた。

その後、シムス氏がタホ・シティ・パイプを訪れた際、テリーは巨大なバックサイドエアを放った。それを見たシムス氏は未来のスノーボードを直感したようで、先に述べたとおり世界選手権にハーフパイプ種目を導入する運びとなったわけだ。

1986年 Terry Kidwell - This Is Snowboarding.mpg

1986年、テリー・キッドウェルはこうしてフリースタイルの礎を築き上げていた photo: Bud Fawcett
1986年、テリー・キッドウェルはこうしてフリースタイルの礎を築き上げていた © Bud Fawcett

後に開催されたハーフパイプの大会において、テリーの右に出る者はいなかったそうだ。メソッド、スロッブエア、アーリーウープ、リーンエアなど、現在でも見ることができるベーシックトリックの原型は、まさにこの時代に築かれたもの。

さらに、1985年には世界初となるシグネチャーボードをSIMSよりリリース。このボードは、それまでのスワローテールのように、ノーズ方向へしか進まないことが前提となっていたスノーボード(スノーサーフ)の概念を覆す代物だった。ラウンドテールを採用したことでフェイキー(スイッチ)ライディングを可能にしたのだ。

こうして、現在の主流であるフリースタイル・スノーボーディングは、彼らの飽くなき探究心から産声をあげた。そして、かのクレイグ・ケリーもまた、もともとはSIMSのライダーだったのである。

1989年 Snow Daze - Sims Snowboards

アメリカ専門誌「Snowboarder Magazine」サイトでのインタビュー記事

つづく

 

国内No.1スノーボード情報サイト「TRANSWORLD WEB」をチェック!

────────────────────

野上大介(Daisuke Nogami)

スノーボード専門誌「TRANSWORLD SNOWboarding JAPAN」編集長。1974年、千葉県生まれ。全日本スノーボード選手権大会ハーフパイプ種目に2度出場するなど、複数ブランドとの契約ライダーとして活動していたが、ケガを契機に引退。現在に至る。アクション&アドベンチャースポーツのインターナショナル・フォト・コンペティション「Red Bull Illume Image Quest 2013」の日本代表審査員。また、ソチ五輪スノーボード競技におけるテレビでの解説やコメンテーターとしても活動するなど、その幅を広げている。

Next Story