スノーボードとスケートボードとの融合

元ライダーの雑誌編集長が綴る SNOWBOARDING IS MY LIFE. Vol.8
By 野上大介

本コラムではスノーボードの歴史について掘り下げてお伝えしているわけだが、ようやく筆者自身が体感した時代であり、このカルチャーが世界的に周知されることになった90年代初頭へと突入する。

Vol.1のコラムでも触れたとおり、1992年の冬にスノーボードを始めた。雑誌「Fine」の小さな記事を見てその存在を知り、当時の日本ではスケートボードがファッションも含め流行していたため、その延長線上としては自然の流れだった。大学生だったためバイト代をつぎ込み、ウエアのジャケットを除いて一式買いそろえた。なぜジャケットを買わなかったのかといえば、その必要性を感じなかったから。スキー経験があったわけではないので、ゲレンデがどれくらい寒いのかを知らなかったこともそうだが、スケートボードの雪上版だと思い込んでいたことが大きい。インターネットが普及していなかった時代に、ただでさえ少ないスノーボードの情報をたぐり寄せたかぎりでは、端からストリートの遊びとして捉えていた。

これまでも執拗に綴ってきたように、サーフィンとスケートボードからの影響を多分に受けて形作られてきたスノーボード。90年代に入ると、Vol.5で紹介したフリースタイルのゴッドファーザーであるテリー・キッドウェルのホーム・カリフォルニア州タホや、前々回、前回のコラムに登場したクレイグ・ケリーのホーム・ワシントン州マウントベイカーを含むシアトルを中心とした西海岸のスケーターたちが、挙って雪山へと足を運ぶようになった。ストリートでのファッションやスタイルが雪上に持ち込まれたことで、スケートライクなスタイルが浸透していくことに。こういった背景から、ネルシャツやスイングトップなどのストリートファッション(もちろん防水性はゼロ)で雪上に立つことに何ら抵抗はなかった。

こうした時代を築き上げたライダーの代表格として挙げられるのが、ノア・サラスネックだ。カリフォルニア州生まれの彼は、6歳の頃からスケートボードを始め、スポンサーのH-STREETからは自身のモデルをリリースするほどの腕前。15歳の頃には全米でその名が知られるまでに成長していた。その後、前出のテリーの映像に感化され、18歳でスノーボードのキャリアをスタートさせる。

SNOWBOARDING IS MY LIFE. Vol.8 © Aaron Sedway

【画像】1993年にカリフォルニア州スコーバレーで撮影されたこのショット。スノーボードに“スタイル”という表現力が求められ始めた時代

そして1990年、後にスノーボード・フィルムプロダクションとして世界トップの座に登り詰めることになるMACK DAWG PRODUCTIONS(以下MDP)と、『ROADKILL』や『R.P.M.』といった名作を数年後に生み出すFALL LINE FILMSという2大プロダクションが共同制作した『NEW KIDS ON THE TWOCK』において、そのスケートライクなスノーボーディングがベールを脱ぐことになる。MDPの創始者であるマイク・マッケンタイア氏はノアのスケートでのライディングを撮影しており、ノアがスノーボードの撮影を依頼したことで初めて雪上でカメラを構え、この作品が生まれた。そう、後の世界最高峰ビデオプロダクションは、ここに誕生したわけだ。

 スケーターとしてのライディングスタイルと、スケートボードの視点から撮られた作品は、スノーボード界に新たなる可能性を示すことになる。ゲレンデ内のログに当て込み、降雪機をオーリーで飛び越え、前足をボーンアウト(伸ばすこと。現在ではポークと呼ぶのが一般的)する姿は、これから始まろうとしているニュースクール・ムーブメントの礎となった。

この映像を観て触発された若きスノーボーダー(後のレジェンド)たちが、この直後に巻き起こるニュースクール・ムーブメントの原動力となるわけだ。
つづく

 

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野上大介(Daisuke Nogami)

スノーボード専門誌「TRANSWORLD SNOWboarding JAPAN」編集長。1974年、千葉県生まれ。全日本スノーボード選手権大会ハーフパイプ種目に2度出場するなど、複数ブランドとの契約ライダーとして活動していたが、ケガを契機に引退。現在に至る。アクション&アドベンチャースポーツのインターナショナル・フォト・コンペティション「Red Bull Illume Image Quest 2013」の日本代表審査員。また、ソチ五輪スノーボード競技におけるテレビでの解説やコメンテーターとしても活動するなど、その幅を広げている。

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