スノーボードを創造した中学生マインド

元ライダーの元雑誌編集長が綴る SNOWBOARDING IS MY LIFE. Vol.84
Ayumu Hirano © Pete Morning/ESPN Images
By Daisuke Nogami

あなたは中学時代をどのように過ごしてきただろうか。義務教育の最中であり、一般的には思春期や反抗期と重なるタイミングである。心身ともに、子供から大人へと成長する大切な時期だ。


僕は野球部に所属していて、中1か中2のときに開催された新人戦に内野手として出場。詳細は定かではないが接戦の末、自らのエラーがキッカケで負けてしまったように記憶している。悔しい気持ちを抱いたのは言うまでもないが、チームプレーの精神を学ぶことができた。このように、白球を追いかけながら肉体的にも精神的にも鍛え上げられ、周囲の生徒たちと同じように勉強に励む、平々凡々な中学生だった。


時は1963年。スノーボード草創期を支えた人物のひとりであるSIMSブランド生みの親、トム・シムス氏をご存知だろうか。詳しく知らないという読者諸兄姉は当コラムVol.3Vol.4をご一読いただきたいが、当時のシムス氏は13歳。アメリカ東海岸のニュージャージー州で過ごしていた彼は、スケートボードやサーフィン、そしてスキーを楽しみながら学校生活を送っていた。特筆すべきは、その年の木工の授業において、雪上でのサーフィンをイメージした作品を創作していたこと。彼は自らの作品を“スキーボード”と命名。これは、スノーボードの起源とされているスナーファーが誕生(当コラムVol.2参照)する以前の話だ。この作品は現在もコロラド州ベイルに位置する「コロラド・スキー&スノーボード博物館」に展示されており、SIMSのホームページで画像をチェックすることもできる。


それから5年後の1968年。スナーファーに大きな可能性を見出した14歳の少年がいた。スノーボード黎明期を語るうえで、シムス氏とともに双璧を成す重要人物である。ジェイク・バートン氏だ。言わずと知れたBURTONのファウンダーであるわけだが、いわゆるオモチャであるスナーファーに対してスノーボードとしてのポテンシャルを感じたセンスは、まさしく先見の明と言えるだろう。改めて説明するが、スナーファーとは70cm程度の合板で、その反り上がった先端に空けられた穴にロープを通し、それを持って舵を取りながら滑走するという簡素な構造である。この遊びにのめり込んだバートン氏は14歳ながら、スポーツ性や将来性を感じたのだろう。その後、大学を卒業すると、のちのスノーボードである雪上サーフィンがビジネスとして展開されていない状況を受け、1977年にバーモント州にて創業するに至るわけだ。


当コラムVol.4でも記しているように、両名を中心としたシーンは加速度的に成長を遂げていく。その根本的なアイデアは、アメリカ東海岸で生まれ育った中学生たちによる発想の賜物だったのだ。


以降のスノーボードが成長・進化していく過程については割愛させていただくが、シムス氏が木工の授業でスキーボードを製作してから40年後の2003年。日本の國母和宏が、その名を世界中に轟かせることになる。世界最古のコンテストとして現在も最高峰に位置づけられているBURTON US OPENハーフパイプ種目において、14歳で2位に輝いたのだ。中学2年生ながら海外のトップライダーたちよりも空高く宙を舞い、若さあふれる躍動感あるライディングは、世界中の度肝を抜いたことだろう。キッズ時代から名を馳せていた國母の2つ年上にあたるショーン・ホワイトでさえも、14歳で出場したX GAMESではハーフパイプ9位、スロープスタイル7位という成績だったのだから、なおさらだ。念のために付け加えておくが、その國母は現在、世界でも指折りのプロスノーボーダーとしてバックカントリーを主戦場に活躍している。

 

【BURTON US OPEN 2003 Kazuhiro Kokubo 14 years old】

そして10年後。またしても日本の中学2年生が世界中を震撼させることになる。記憶に新しいだろう。2013年のX GAMESにおいて、平野歩夢がシルバーメダルを獲得したのだ。当時としては、X GAMES史上最年少メダリストという快挙。同シーズンのBURTON US OPENでも2位を記録するなど、10年にひとりの逸材が日本から誕生したのだった。

 

【WINTER X GAMES 2013 Ayumu Hirano 14 years old】

その翌年、韓国系アメリカ人のクロエ・キムが、同大会の女子ハーフパイプ種目において13歳で銀メダルを手中に収めて平野の記録を塗り替えると、2015年の14歳時には同種目で金メダルを獲得。中学生ながら世界の女王に君臨したのだ。

 

【WINTER X GAMES 2015 Chloe Kim 14 years old】

スノーボード生誕から50年あまりと言われているが、横乗りスポーツを経験してきた世代の子供たちが幼少期からスノーボードに取り組むようになり、競技における若年層の活躍が世界的に目立つようになってきた。その代表格が彼ら3名であり、國母が先頭に立って証明しているように、次世代を牽引していくのは平野でありキムである。


アメリカの中学生が創造したスノーボードという世界において、アジアのフィジカルを備えた中学生が競技の世界でトップに位置し、その後、シーンを牽引する存在へと成長していく。日本文化の場合、昔は「中坊の分際で」と子供扱いしたり、今でも夢を語る人に対して「中2かよ!」と茶化してみたりと、中学生で自己実現なんてできるわけがないと決めつける風潮が強いように感じる。しかし、欧米を中心としたスノーボードでもここまでできるということを、國母や平野が証明してくれた。誤解を恐れずに言えば、日本の体育文化にはそれがない。彼らはその環境で育まれたのではなく、自由や主体性を重んじる両親の教育、そして、スノーボードブランドのサポートによって成長してきたわけだから。


文部科学省が公表している「スポーツ立国戦略の策定に向けたヒアリングの主な意見概要」のなかに、“スポーツを勝ち負けで教えるから文化的価値が低い”という有識者からの意見がある。ここにヒントが隠されているのではないか。


スノーボードは競技が中心ではなく、あくまで通過点であり、その一部にすぎない。中学生の柔軟な発想により創造されたこの世界で、その時分から世界と対等に渡り合うスノーボーダーが輩出されてきている。この中学生マインドがあったからこそ、自由を重んじる素晴らしき文化価値が形成されてきたのではないだろうか。ときに一般社会との摩擦を生じることもあるかもしれないが、それを受け継いだ同じマインドを持つライダーたちの滑りや思考によって、さらに成熟されていくに違いない。

 

野上大介(Daisuke Nogami)
大学卒業後、全日本スノーボード選手権大会ハーフパイプ種目に2度出場するなど、複数ブランドとの契約ライダーとして活動していたが、ケガを契機に引退。その後、アウトドア関連の老舗出版社を経て、トランスワールドジャパン株式会社が発刊するスノーボード専門誌「TRANSWORLD SNOWboarding JAPAN」に12年間従事。編集長として10年間に渡り職務を遂行し退社、現在に至る。2013年に開催された、アクション&アドベンチャースポーツのインターナショナル・フォト・コンペティション「Red Bull Illume Image Quest 2013」の日本代表審査員。また、X GAMESやオリンピックなどのスノーボード競技において、テレビでの解説やコメンテーターとして活動するなど、その幅を広げている。 

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