雪山に縁遠い地元・奈良に“環境”を創造した平岡卓

元ライダーの雑誌編集長が綴る SNOWBOARDING IS MY LIFE. Vol.95
Taku Hiraoka © Maruo Kono
By DAISUKE NOGAMI

さる9月17日。三連休の初日ということもあり、奈良県御所市のとあるスポットには多くの横乗り愛好家が集結していた。関西圏のスケートボーダーはもちろん、Red Bull所属のプロスケートボーダー・瀬尻稜のロードトリップ撮影クルーや、茨城県からプロショップのバスツアーで訪れていた一行、さらには前夜に東京で行われていたBURTONキックオフイベントに参加していた片山來夢や宮澤悠太朗まで。そう、言わずと知れたソチ五輪ハーフパイプ種目の銅メダリストであり、ここ御所が地元である平岡卓がプロデュースする「御所スケートボードパーク」のグランドオープンに駆けつけた面々だ。

加えて、テレビ局や新聞社の取材陣も総勢20名ほどはいただろうか。卓と父・賢治さんの両名がグランドオープンの挨拶を終えると、マスコミによる囲み取材が始まった。2020年の東京五輪からスケートボードが正式種目として採用されるだけに、スノーボードのメダリストがスケートボードパークを造るという動きは、専門メディア以上に大きく注目されているのだということを実感できた。

この御所スケートボードパーク、実のところ、すべて卓の出資によって造成された。国際大会で上位に名を連ねるトップランカーではあるが、まだ20歳の若者。自身への投資や好きな物に費やすことを優先してもよさそうなものだが、彼は地元に貢献する道を選んだのだ。

「昔から、スノーボードをするために岐阜の高鷲(スノーパーク)まで5時間くらいかけて父に連れて行ってもらっていました。周りのスノーボーダーに比べたら環境があまりよくなかった。(平野)歩夢は地元にスケートパークもあるし、新潟やったら山もあるし。わりと最近ですけど、何年か前から地元にこういう環境を作りたいと思っていたんです」

「奈良ってホンマにスノーボードやスケートボード、サーフィンをやる人たちが少なくて……。小さい頃から親以外とはひとりで滑ってきたこともあって、はじめからこういう環境があって先輩とかもいたら、また違ったんかなって。次の世代にこうした環境を提供することで、いい流れができたらと思います」

賢治さんがサーファーだったことから、卓は物心つく前からスケートボードやサーフボード、そしてスノーボードに跨っていた。受け継がれた横乗りのアイデンティティを育むための環境もまた、父の努力によって与えられてきたもの。

また、スポーツを体得するうえで、必要な特性を急速に伸ばすことができる大切な期間がある。いわゆる“ゴールデンエイジ”と呼ばれる時期であり、諸説はあるものの5~13歳くらいを指すようだ。同じく世界トップコンペティターとして名を馳せる、卓と同種目で活躍する平野歩夢は、4歳の頃から父が運営するスケートボードパークとハーフパイプを融合させて技術力を高めてきた。スロープスタイルとビッグエア種目の世界トップランカーである角野友基は、隣町にあった雪を必要としないジャンプ練習施設に毎日のように通って基礎力を高め続けていた。

だが、卓が滑れるのは、父が休める週末のみ。年齢は平野より3つ、角野より1つ上ではあるが、そのゴールデンエイジと呼ばれる時期の滑走日数は圧倒的に少なかったはずだ。雪がない時期は愛媛にあった室内ゲレンデへ、冬になると岐阜でハーフパイプを滑り込む日々。この差を埋めるためには、親子二人三脚による並々ならぬ努力が必要だったに違いない。

「スケートボードをやることで、横乗りの感覚は絶対に養えます。常に板の上に乗っていることはめっちゃ重要。ここはRがメインで、オレもRが好きやし、(トランジションで)踏めるところがたくさんある。その人次第でラインが無限に選べるから、楽しみながら自然にそういった感覚が養えると思います」

御所スケートボードパークを作ろうと思ったキッカケを尋ねたときに、「スキー場を作るのは難しいから、じゃあスケートパークかなと思った」と答えてくれたが、雪や山に恵まれていない地元に、さらには横乗りシーンに貢献するためには、スノー・スケート・サーフという枠組みを越えて融合させるべく、スケートボードパークを提供したのだろう。これは、卓が幼少期からすべての横乗りスポーツを通じて自然と体得してきた感覚であり、地元には雪が降らないから、東京五輪で正式種目に採用されるから、といった安直な理由でスケートボードパークを作ったのでは決してない。

「(東京五輪を)目指す子がいても面白いと思います。でも、スノーもスケートもそうやけど、オリンピックを目指すためにやるのは違うかなって。これをキッカケに、スケーターやスノーボーダーが地元で増えてくれたらうれしいですね」

ここ御所を中心に、関西エリアの横乗りシーンが活性化されていくことは間違いない。「自分が楽しめる拠点がほしかった」という言葉どおり、提供するだけでなくこのパークで滑り続け、己を高めていくことになる卓。こうした思考を持ったメダリストがいるかぎり、スノーボードやスケートボードが有するフリースタイルの本質は守られていくのだ。そして、卓のように己の確固たるスタイルを持ったメダリストが、彼の背中を追い続けた結果としてこの地から誕生するのかもしれない。


野上大介(Daisuke Nogami)
スノーボード・ジャーナリスト。1974年生まれ。千葉県松戸市出身。スノーボード歴24年。専修大学卒業後、全日本スノーボード選手権大会ハーフパイプ種目に2度出場するなど、複数ブランドとの契約ライダーとして活動していたが、ケガを契機に引退。その後、アウトドア関連の老舗出版社でスノーボード・エディターとしての道を歩み出し、2004年から世界最大手スノーボード専門誌の日本版「TRANSWORLD SNOWboarding JAPAN」に従事。編集長として10年3ヶ月に渡り職務を遂行し、2016年3月に退社。2013年に開催された、アクション&アドベンチャースポーツのインターナショナル・フォト・コンペティション「Red Bull Illume Image Quest 2013」の日本代表審査員を務める。また、X GAMESのほか各種スノーボード競技において、テレビでの解説やコメンテーターとして活動するなど、その幅を広げている。2016年8月18日、スノーボードメディア「BACKSIDE」をローンチ。フリースタイルスノーボーディングを再構築することで、シーンのさらなる活性化を目指す。 

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