Travis Riceが優勝!ボランティアがつくったFreeride Hakubaの舞台裏

スーパースターTravis Riceのライディングに大熱狂となったアジア初のフリーライド世界大会。国内のフリーライドスキーヤー、スノーボーダーにとっても新しい「道」を作ったその舞台裏のドラマを追った。
By 後藤陽一

 

「アジア初」の意義

1月に行われたFreeride Hakuba 2017は、現在世界で年間100大会以上が行われて3500人の選手が参戦する唯一最大のフリーライドスキー・スノーボードの世界選手権Freeride World Tourがアジアで初めて行うイベントで、その予選シリーズ「Freeride World Qualifier」の最高レベル「4スター」に位置づけられる。管理・圧雪されたゲレンデではないエリアを滑るバックカントリーやフリーライドと呼ばれるウィンタースポーツのスタイルは世界的に盛り上がりを見せており、本大会にも海外から66人、国内から61人の選手が出場、その倍近い応募があった。

Travis Riceは過去2年、1月のこの時期を白馬で過ごし、昨年リリースされた「The Fourth Phase」でも「Japan Alps」といって白馬の映像をふんだんに使用。白馬をこよなく愛する、スノー界のスーパースターだ。

彼らの活躍は、日本の山の素晴らしさと、ウィンタースポーツの新しいフロンティアである「フリーライド」でも、日本のライダーが十分世界と戦えることを示してくれた。

日本から世界に。主催となった白馬村観光局と有志が実現に3年をかけたアジア初のフリーライドの世界大会、Freeride Hakubaは、日本のフリーライドスキーヤー、スノーボーダーに今まで無かった新しい「道」を作ったといえるだろう。

 

地元が主体となった立ち上げ

そんなイベントを作り上げたのは、イベント会社でも、大手広告代理店でもなく、テレビ局でもない。地元白馬村の人たちと、東京から駆けつけた、白馬を愛する人たち、そして20年に渡って「フリーライド」を世界中に広めている、ヨーロッパと北米から来た25人のFreeride World Tourスタッフだった。

日本はこれまで3度のオリンピックをはじめ、様々なスポーツの国際大会を開いてきたが、競技連盟でも、企業でもなく、地元が旗振り役となってこのような規模の国際大会を開いたことはかつてあまり例がないのではないだろうか。昨今紙面を賑わせている「地方創生」や「インバウンド観光」の施策としても、とても先進的な事例であることは、経済産業省・スポーツ庁・観光庁が揃って後援についていることからもうかがえる。

白馬村は2011年に、「白馬国際トレイルラン」を立ち上げるなど、イベントで国内外から人を呼び込む戦略を積極的に進めているが、短期的な視点で見ると、1月のこの時期にはインバウンド観光客数がピークを迎え、イベント運営に参加できる地元の人材の数が限られるため、新しいイベントは必要ない。

しかし、白馬にはリフトから短いハイク(歩行)で簡単にバックカントリーやフリーライドを楽しめる場所が無数に存在し、アクティブな「バックカントリー」の安全啓蒙を行うのが急務であったこと、Freeride World Tourが多くのファンを抱える欧米への白馬のPRがインバウンド観光戦略の中で重要な位置づけにあることから、実施に踏み切った。

© Yuma Hamayoshi

 

不安定な天気と言葉の壁

大会期間中は、Freeride Hakubaで運営協力についたヤフージャパンが白馬村で運営する社員向け施設「ヤフー白馬ベース」を大会実行委員会に無償で貸し出し。大会運営スタッフのオフィス、受付デスク、ミーティングルームとして連日稼働した。ボランティアも、ヤフージャパン社員を中心に、なんと2週間でのべ約50人が東京から駆けつけ、4スターの大会当日には、急遽声掛けをした2スターの選手も運営チームに参画。「選手が大会運営を手伝っているのは初めて見た」と海外から来たスタッフを驚かせた。

日本で初めて行われるフリーライドのイベントで、スキー場の外の圧雪されていない、アルパインエリアで行われるイベントは、コアスタッフ含む日本人全員が初体験で運営は困難を極めた。

さらに12月の雪不足から一転。2スターの前日から降り始めた雪が、4日間で2.5mも積もるなど、世界的に見ても非常に不安定で読みにくい天候はFreeride World Tourの山岳ガイドチーム、ロジスティクスチームにとっても過去に例を見ない難しいコンディションだった。

フリーライドの大会(に限らずエクストリームスポーツのイベントでは全てそうかもしれないが)の運営において全てに優先されるのが、選手・スタッフの安全である。Freeride World Tourは「セーフティーファースト」をモットーに、山岳ガイドチームが毎朝山に入って積雪の状態、斜面の状態を確認し、「いつ」「どこの斜面が」大会に使えるのかを決定し、この決定が何よりも優先される。この判断をもとに地元のスタッフ、ボランティアの仕事が決定するため、ボランティアには当日の朝にその日のタスクが伝えられることも珍しく無かった。

天候が比較的安定しているヨーロッパに比べ、山岳ガイドチームの判断は遅くなり、10トントラックいっぱいの機材の運搬手配などを含むロジスティクスと、それに必要な人員の数が前日の深夜まで決まらず、運営チームおよびボランティアチームの負担は大きかった。

また、20年で400以上のイベントを運営、ディレクションしてきたFreeride World Tourのスタッフも、英語が通じない国でイベントをやるのは初めてであり、山岳ガイドがフランス語でディスカッション、決定事項を少数のコアスタッフが英語でヒアリング、日本語で他のスタッフやボランティアに伝えなくてはならならず、3ヶ国語に渡る「言葉の壁」で重要な事項が伝達されていないことも頻発した。

誰も経験したことのない状況を乗り切れたのは、イベントの裏側で、いち「参加者」としてではなく、ときに自ら「リーダー」となって現場を仕切ったボランティアのメンバーの力があったから。そして、そういった人材が集まるコミュニティを過去何年にも渡って育ててきた白馬村のもつ魅力と地元の人の努力にほかならない。

 

地元に残ったもの

今回、選手、スタッフ、ボランティア、全ての人たちから、「また白馬に来たい!」という言葉を聞くことができた。地元がリーダーとなり、誰もが初めて体験する様々なハードルを乗り越え、ギリギリの状態でやり遂げた結果白馬が得たものは、新しい人の繋がりではないだろうか。

Freeride World Tourというイベントと、白馬村という場所。それぞれがオンリーワンの魅力をもっていて、最高の組み合わせになっていなければ、数々の困難を乗り切ってFreeride Hakubaを実現することは出来なかった。イベントを通じて広がった、国籍も住む場所も年齢も職業もバラバラな「白馬コミュニティ」は、来年もその先もなくなることはない。

Freeride Hakubaのコンセプトややり方が一つのロールモデルとなり、白馬のみならず、まだ眠っている日本の自然や人の魅力がどんどん世界に発信されれば、もっとたくさんのひとが日本に訪れるのではないかと思う。

 

 

後藤陽一
電通総研Bチーム エクストリームスポーツ特任リサーチャー
電通総研内のクリエイティブシンクタンク「Bチーム」のメンバーとして、山岳スポーツ・アクションスポーツ・エクストリームスポーツに関連した社内外のプロジェクトを多く支援。国連世界観光機関(UNWTO)・山岳リゾートカンファレンスパネリスト(2015)。Freeride Hakuba 2017実行委員会事務局長。

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