ラリードライバーたちは世界で最も恐れを知らないドライバーだと言われるが、それはおそらく事実だ。なぜなら、過去から現在に至るまでWRCで使用されてきた以下の6ステージは、並の人間をミイラのような包帯ぐるぐる巻きの怪我人に変えてしまうからだ…。
1.パンツァープラッテ(ラリー・ドイチュラント)
軍事演習場内に設定されていることからも想像できる通り、このパンツァープラッテはまさに情け容赦のないステージで、過去長年に渡り多くのドライバーたちがその洗礼を受けてきた。このステージ特有の障害として立ちはだかるのが “ヒンケルシュタイン” だ。これは演習時のパンツァー戦車が脱輪しないように設けられた巨大なコンクリート製ブロックだ。また、ここのコンクリート路面は「降雨時スリップ注意」の道路標識はここに起源があるのではないかと思わせるほど滑りやすく、鋭く切り立った路面のエッジがまるでナイフのようにタイヤに襲いかかる。雨天時のパンツァープラッテはまさに悪夢のドライブであり、しかも、ラリー・ドイチュラント開催時には雨に見舞われる可能性が高い。現行WRCカレンダー屈指の危険度を誇るステージだ。
2. ジュリオ・セザール(ラリー・アルゼンチン)
この「ジュリオ・セザール」という山岳ステージ名は帝政ローマの礎を築いた終身独裁官ユリウス・シーザーのスペイン語読みに由来しており、シーザーが辿った非業の死と同じくドライバーを背後から刺すかのような無慈悲さが特徴だ。エンジンを酸素欠乏状態に陥れる標高、滑りやすい路面、クレイジーな傾斜を備えているこのステージは、ラリー最高難度のチャレンジだ。山頂に近づくと、濃霧やサッカーボール大の岩に遭遇することになるが、本当に厄介なのはここからだ。視界が最小限の中を全開で疾走しなければならず、エンジンは薄い酸素によってパワーが不足し、十分なトルクも得られない。2001年WRCワールドチャンピオンの故リチャード・バーンズはこのステージを「ペースノートに注意深く耳を傾けながらステアリングを操作する。あとは運任せだ」と表現している。このステージは現在もラリー・アルゼンチンの名物ステージとして使用されている。
3. モツ・ロード・ゴージ(ラリー・ニュージーランド)
残念ながら、ニュージーランドはWRC現行カレンダーから外れているが、このステージのスケール感は壮大だ。ここでWRCラリー・ニュージーランドが開催されていた1990年代のモツ・ロード・ゴージはその恐るべき手強さで知られ、このステージの結果がその年の優勝争いを大きく左右した。全てのコーナーには極端なバンク角が付いているため、ミスを犯せば即刻コース外へと無慈悲にはじき出されてしまう。グラベル路面で高速のメリーゴーランドに乗っているような気分、と言えば少しは伝わるだろうか。このステージは距離も非常に長く、故コリン・マクレーが1994年に記録した37分21秒が最速レコードとして残っている。マクレーはモツ・ロード・ゴージを大の得意としており、WRC現役時にラリー・ニュージーランド3勝を記録した。あの豪胆なマクレーが得意としていたという事実だけでも、このステージ特有のクレイジーさが伝わるだろう。
4. セッテ・シダーデス(ERCアゾレス・ラリー)
通常のラリー開催時には2回使用されるうず高い盛り土に囲まれたこの圧倒的なステージに挑むドライバーは、刃先を走っているかのようにマシンのバランスを取らなければならない。また、彼らの眼下には盛り土の向こう側に70k㎥もの火山湖が広がっているため、その壮観さは唯一無二だ。毎年ここでERC(ヨーロッパラリー選手権)が開催されるたびに、多くの熱狂的なラリーファンがこぞってこの小さなサンミゲル島に集結する理由はそこにある。そしてもちろん、彼らの最大のお目当てはこの名物ステージだ。
5. オウニンポウヤ(ラリー・フィンランド)
恐怖のラリーステージリストはこのオウニンポウヤ抜きでは完成しない。オウニンポウヤにはラリー・フィンランド最大のクレストは存在しないが、地形の妙によって造られた発射台のごときクレストが存在す、ラリーマシン群が次々とビッグジャンプを披露してくれる。また、名うての超高速セクションとしても知られているため、そのジャンプの滞空時間は恐ろしく長く、一旦マシンがジャンプしてしまえば、ドライバーたちがその軌道をコントロールできる手立ては一切ない。多くのドライバーがオウニンポウヤを恐れるのも頷ける。
6. アジャクシオ~カルヴィ間(コルシカ島 / ツール・ド・コルス)
「コースト・ロード」とも呼ばれるこのステージはツール・ド・コルス屈指の名所で、1980年代を通じて様々な変遷を遂げてきた。アジャクシオ~カルヴィ間を海沿いに繋ぐ175kmもの狭くツイスティな一般道を使用したこのステージは、ほんの小さな石製の欄干が道と海を隔てているだけだ(ちなみに、これまでに175kmを一気に走りきるステージ設定は一度も行われていない)。1980年代に伝説的な活躍を残した女性ラリードライバー、ミシェル・ムートンは「片方には海が迫っているかと思えば、もう片方には山が迫っているから、道の中央を見ておくのがベストね」と振り返っている。ムートンの指している “道” には、SS対象区間だけではなく、通常のラリーでロードセクションに位置付けられている区間も含まれているが、当時のツール・ド・コルスのような古典的スプリントラリーではロードセクションを悠長に走っている時間的な猶予がなかったため、ドライバーはロードセクションもペースノートを使用してドライブしていた。





