ドキュメンタリー映画『フリーソロ』前後におけるフリークライマーのアレックス・オノルドの人生は「プロジェクト実行まで」、「映画化」、「キャンペーンツアー」という3つのチャプターに分けることができる。
まず、エル・キャピタンのルート “フリーライダー / Freerider” をロープなしで登攀するという目標にオノルドが取りかかるまでは8年という長い準備期間が必要だった。
次に、その準備の途中から成功までを映画監督のエリザベス・チャイ・ヴァサルヘリィとジミー・チンがドキュメンタリー映画『フリーソロ』にまとめていった。この作品は2019年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門を受賞した。
最後に、アレックスは映画の公開に合わせて世界中を回るキャンペーンツアーに帯同した。アレックスは最多で1日5回もインタビューに応じる多忙な日々を送った。
これらの結果、世界で最も有名なフリークライマーのひとりとなった彼は、ノーベル賞のパネリストに招待された他、ベア・グリルスのテレビ番組にも出演したが、本人は映画のキャンペーンツアー中も厳しいトレーニングスケジュールを守ってクライミングスキルを維持し続けた。
さらに言えば、映画『フリーソロ』とそのキャンペーンツアーによってアレックスは世界中に多くのファンを抱えることになり、本人が人道的な目的で立ち上げていた小さな団体は大規模な非営利団体へと成長した。2020年1月、太陽光発電を支援するHonnold Foundation(オノルド基金)の寄付金総額は100万ドル(約1億1,000万円)を突破した。
しかし、アレックスは集中を失っていない。目標を設定し、それらの実現可能性を確認したあと、さらなる目標を設定している。今回は映画『フリーソロ』前後の生活からアレックスが学んだことを本人に語ってもらった。
1:継続が大事
カリフォルニア州サクラメントに住むティーンエイジャーだった頃のアレックスは、週5日、自転車でクライミングジムへ向かい、クライミングジムで何時間もトレーニングしたあと自転車で家へ帰っていた。アレックスは次のように振り返っている。
「基本的には僕ひとりでジムに通っていた。父親が一緒の時もあったけど。今振り返ると、あの頃に耐久力がついたんだと思う。メンタルの耐久力がね。何しろ、高校時代を通じて毎週110km自転車に乗っていたんだから。これは子供にはかなりの距離だ。自立心も育てることができたと思う」
アレックスは、ライトを忘れてしまった日はクライミングジムから暗闇の中を帰らなければならなかった。このような暗闇では、家までの道のりを “感じる” 必要があった。
「真っ暗だったから、ルートを感じ取っていたんだ」と振り返るオノルドは同時に恐怖にも直面していた。サクラメントを流れるアメリカン川沿いのそのルートはピューマが出ると言われていたのだ。アレックスが続ける。
「ピューマに襲われたらどうしようと心配していた。ひとりで自転車に乗るのは少し怖かったね」
そして2019年秋、アレックスのこの “継続力” が再び発揮されることになった。アレックスは映画のキャンペーンツアー中もフィットネスレベルを維持するためにLattice Trainingのトレーニングプランを1年間続けたのだ。
2019年9月、ネバダ州のチャールストン山でキャリア初の難度5.14dルート “アレステッド・デベロップメント / Arrested Development” の完登に成功したアレックスは「Lettice Trainingのトレーニングプランがなければ成功できていなかったと思う」とコメントした。
2:ピンチの時こそ冷静を保つ
アレックスの母親デアドラ・ウォロニック・オノルドは回顧録『The Sharp End of Life: A Mother’s Story』の中で、アレックスが山で強風に吹き飛ばされたあと救出された2004年のアクシデントについて触れている。
クリスマスの翌日、アレックスはひとりで地元にある3,000m級のタラック山へスノーシューイングに向かったが、強風で吹き飛ばされて滑落してしまった。本人は「手首を骨折して、顔面が陥没骨折してしまった。全身をひどく打ちつけてしまったんだ」と振り返っている。
目まいと出血に襲われたアレックスは携帯電話で母親に連絡を入れ、母親が救急隊に連絡を入れた。その後すぐにヘリコプターに救出されたアレックスはそのまま救急病院へ搬送された。
アレックスはこのヘリコプター搬送について「(ヘリコプターの中が)かなり狭かったから、気分は良くなかった。どこに連れて行かれるにせよ、到着まで眠りたいと思っていたことを覚えているよ」と振り返っている。
また、母親はヘリコプターによる救出は必要だったとしているが、アレックスは異なった見解を述べている。
「あの救出が僕を変えることはなかったし、ただの嫌な思い出さ。携帯電話を持っていなかったら自力で下山していたと思う。あの日に学んだ教訓は “常に冷静であれ” だね」
2017年、アレックスは南極のドロンニング・モード・ランドへ向かい、マイナス30度の中でセダー・ライトと3つの初登攀を記録した。最も難しかった最後の登攀の途中、高さ45m地点から下を見たアレックスはライトを呼び止めた。
「上手く言えないんだけど、今凄く怖いんだ。少し待ってくれないか」と冷静に伝えたアレックスはそのあと集中を取り戻し、2人で高さ365mの氷壁フェンリスツンガの初登攀に成功した。
3:我慢は美徳
アレックスは、エル・キャピタンのフリーソロ世界初成功を記録した直後、フォトグラファー / クライマーのサム・クロッスリーを伴って母親(ハンドアッセンダーを使用)と同ルートに挑んだ。
毎朝の登攀しているアレックスだが、66歳の母親と一緒に高さ910mのロックウォールを登るためにはいつもよりスピードダウンする必要があった。
エル・キャピタンに挑む前、アレックスと母親はマテス・クレスト・トラバース(Matthes Crest Traverse:オノルドはこのルートを俳優ジャレッド・レトと登攀した経験を持つ)やロイヤル・アーチズ(Royal Arches)を含むヨセミテ内の複数のロングルートを登攀していた。
オノルドは「母親と一緒に素敵な時間を過ごすことができたよ」と振り返っている。
2017年のハロウィンにエル・キャピタンを母親と登攀したアレックスは、何に一番苦労したのだろうか? アレックスは「我慢することだね。ひたすら待たなければならなかった」と回答する。
2人は登攀に13時間、下降に6時間をかけた。アレックスひとりなら下降は1時間で終わるが、深夜を過ぎてもアレックスは母親の近くに位置し、彼女の下降を我慢強く見守り続けた。
ちなみに、母親デアドラのエル・キャピタン登攀はギネスブックに掲載された。2020年2月現在、デアドラはエル・キャピタン登攀最高齢女性記録を保持している。
4:リスクを減らす
母親との登攀とは時間的真逆に位置するのが、2018年6月16日にアレックスとトミー・コールドウェルが達成したノーズの世界最速記録(1時間58分)だ。ノーズの2時間切りはかつて不可能とされていた。
「トミーとの登攀では、毎回少しずつタイムを削ろうとした」と振り返るアレックスは、微調整を繰り返しながら効率を高めていった。また、世界記録ペースでのクライミングは全身全霊の努力が必要になるため、2人はリスクを最大限回避しつつ、ここぞのタイミングで全力勝負に出た。
世界記録を達成した当日、トミーは重要なギア、ロープで使用していた片方のハンドアッセンダーを落としてしまったのだが、トミーはハンドアッセンダーがない方の手でロープを力強く掴みながら残り3分の1を登り切った。
アレックスとトミーは他にもいくつかのクライミングプロジェクトでコラボレートしており、2014年にはフィッツ・トラバース(Fitz Traverse)と呼ばれるフィッツ・ロイ縦走ルート(全長5,000m)を5日で攻略した。
また、2019年10月にはヨセミテのエル・キャピタンの “Passage to Freedom / パッセージ・トゥ・フリーダム”(難度5.13+)のフリー化に成功した。
5:世界を変える何かをする
ソーシャルメディア上に約200万人のフォロワーを抱えているアレックスは、Honnold Foundationの活動報告を続けている。
過去5年はアレックスの収入でこの非営利団体を支えていたが、映画『フリーソロ』の成功と本人の人気の高まりによって、現在、Honnold Foundationは大きな成功を収めるようになっている。オノルドは次のように語っている。
「映画『フリーソロ』のあと、最も大きな成功を収めているのがHonnold Foundationなんだ。寄付金が順調に集まっているから、世界にインパクトを与えられるようになっている。2020年には寄付金が100万ドル(約1億1,000万円)を突破した」
スポンサーのThe North Face、Black Diamond、Maxim Ropesによる募金キャンペーンもいくつか行われているが、アレックスは「寄付金の大半は一般個人から」とし、次のように続ける。
「先日、太陽光発電に取り組んでいる企業や団体を対象にした助成金申請の公募を発表することができた。なぜなら十分な寄付金が集まったからさ。本当に素晴らしいよ」
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