BMX
中村輪夢というオトコの半生
Simple SessionやX Gamesなど、トップレベルの大会で目覚ましい結果を残す中村輪夢(なかむら・りむ)。 そんなBMXパーク・ライダーの誕生から2020年8月までの軌跡をインタビューで訊ねた。今、世界が注目するトップライダーの轍を一緒に辿っていこう。
“BMX界の神童”と呼ばれた中村輪夢も気づけば来年の2月で20歳になる。世界人口の眼差しが東京に集中した8月1日からわずか数日後、BMXライダーがまだ誰も足を踏み入れたことのない大舞台を経験し、また一つ大きくなった彼を独占インタビュー。
シーンを最前線で牽引するトップライダーの誕生から現在、そしてこれからの夢をここに記録しておく。
ーーまずは、輪夢くんの原点から教えて下さい。どういった場所で生まれて、いつ頃からBMXを始めたんですか?
中村輪夢(以下:輪夢)「生まれも育ちも京都で今もここを拠点に活動しています。お父さんはBMXライダーでハングアウトっていうBMXショップを経営してます。父やその友達がずっとBMXをやってたので、ごく自然な流れで僕も初めました。2歳の終わり頃には補助輪ナシで乗ってたらしいです」
ーーお父さんもBMXライダーって話は割と有名だけど、具体的にどういったライダーだったんですか?
輪夢「僕みたいにパークで乗って大会に出るライダーとは違いました。もちろんパークもやるけど、友達とストリートを走って映像を作ったりしてたらしいです。だから僕も小さい時はストリートもやってたんですよ」
ーー一番初めに乗ったチャリを覚えてたりします?
輪夢「メーカー名までは覚えてないですね。確か、(勅使河原)流星のお下がりを譲り受けて乗ってた記憶があります。最近は子供用のめちゃくちゃ本格的なBMXが販売されてるけど、当時はそんなのなかったんですよ。今思い返すとオモチャみたいなBMXでした(笑)」
ーー流星ってBMXライダーの勅使河原流星さんですか? 名古屋出身の方ですよね。その頃から繋がってたんですね。
輪夢「はい。流星や兄貴の大地とはその頃からの付き合いになります。お父さん同士がBMXで繋がってたので、僕たちも小さい頃から仲が良かったんです」(※勅使河原兄弟の父は、日本BMX界のレジェンド勅使河原正太郎さん)
ーー輪夢くんが始めてパークに入ったのはいつ頃からですか?
輪夢「4歳で初めて大会に出たのでそれくらいです」
ーーパークで初めてメイクした大技は?
輪夢「360が出来るようになったのが7歳くらいでした。でも最近のキッズライダーは凄くて、8歳で(後方に宙返りする)バックフリップをメイクしちゃう子も出てきてますね」
ーー8歳でバックフリップは凄い! 近年は本格的なパークも充実してきただろうけど、輪夢くんがキッズだった頃はまだそういった場所が少なかったよね。どういった所で練習してたんですか。
輪夢「公園ですね。少し大きくなってからは、京都のBMXライダーがよく集まるスポットがあって、そこに自分たちで作ったランプを置いて練習してました」
ーーなるほど。“ないなら自分たちで作る”D.I.Y.精神はスケーターと同じなんだ! ちなみにこれまで輪夢(※名前の由来はこちら)って名前にプレッシャーを感じたことはなかったですか?
輪夢「全くないですよ。最近はメディアの方とかがそこに注目してくれたりするから“話題になって良かった”ってくらい(笑)。僕自信は“この名前だからBMXやらなあかん”みたいな使命感は全くないです。好きだから続けてるだけで、嫌いになってたら辞めてたと思います」
ーー少年時代に影響を受けた雑誌やビデオを教えてください。
輪夢「BMXブランドが出してたビデオをよく観てました。特に記憶に残ってるのは、10歳の頃に観たデニス・エナーソンってライダーが始めたマーキットってブランドのビデオです」
ーーその映像のどこが良かったんですか。
輪夢「映像がカッコ良かったのはもちろんですが、後日、実際に本人に会えたってことが当時の僕にとっては感動的で」
ーー映像で観てグッときた人に実際に生で会うとより強い感動を覚えるあの感覚ね! やっぱりお父さんがライダーだったから、そう言った人と会う機会も他の人に比べると多かったんですね。
輪夢「それはあると思いますね。毎年、日本のディストリビューターが海外ライダーを日本に呼んでたんですよ。だからお店にもよく色々な国のライダーが遊びにきてくれてました」
ーーこの当時、好きなライダーや影響を受けたライダーは誰だったんですか?
輪夢「海外のライダーは沢山いすぎて絞るのが難しい。日本だと、京都には同世代のライダーがいなかったのでピンとこないです」
ーーじゃあ身近な所だと?
輪夢「(勅使河原)大地とは小さい頃から仲が良かったし一緒に乗って刺激をもらってました」
ーー大地さんとは一緒にSimple Sessionに出場したりしてましたもんね。幼馴染と今でも切磋琢磨できる関係性っていいですよね。ちなみに輪夢くんは、どんな学生時代を過ごしてたんですか?
輪夢「めっちゃ普通の子(笑)。学校の授業が終わるとひたすらチャリに乗ってました。でも、京都に同世代のライダーがいなかったのでお父さんやその友達と一緒に街を回ったり、休日には全国様々なパークに連れてってもらったり。同い年っていうより10、20歳としの離れた人と遊ぶことが多かったですね」
ーーある意味、BMXの英才教育なんだ。
輪夢「そうですね。ありがたい環境で育ちました!」
ーーお父さんとは凄く仲良さそうだし、大会を見に行くと、毎回ご両親も一緒に来てたり、中村家はすごく仲が良い印象。反抗期はなかったですか?
輪夢「どうだろう……、なかったと思います。チャリに乗ってなかったらあったかもしれないですね(笑)」
ーー小学校高学年頃から、出場する大会という大会のキッズクラスで優勝してきた輪夢少年が“BMXのプロでご飯を食べてく! ”って決めた瞬間はいつですか?
輪夢「2016年にG-Shock Real Toughnessで優勝した時です。その日の夜にレッドブルとジー ショックからお声かけがあって。中学生の夏で“高校どうしょ? ”って悩んでた時期でもあったから“チャリで生きて行きたいし時間に融通のきく通信制高校に行こう”って決意しました」
ーー中学生の夏にその決断をしたのは流石に凄い! スケートもそうだけど、このカルチャーって日本だとプロとしてご飯を食べてく人って限りなく少ないですよね。まだ未開拓に近いフィールドだけど、その道に進む時の不安とかはなかったですか?
輪夢「もちろんありましたよ。その時はまだ、世界各国のライダーのレベルが凄すぎて、自分の実力では世界で戦えないとって思ってましたから」
ーーでも、そこから僅か数年経った頃には、世界トップレベルの大会で破竹の勢いの活躍を見せる訳だけど。
輪夢「めっちゃ嬉しかったですね」
ーー10代の頃の大きなターニングポイントを3つあげるとすれば?自分のキャリアを決定づけた瞬間を教えて!
- G-Shock Real Toughness 2016 ゴールドメダル
- X Games Men's BMX Park 2019 シルバーメダル
- Simple Session 2020 ゴールドメダル
ーーどれも僕たちの記憶にもはっきりと残ってる歴史的大会でしたよね。特にFISE HIROSHIMA 2019で日本人初の表彰台に立ってシルバーメダルを獲得して、翌年には、Simple Session 2020では見事ゴールドメダルの快挙、しかもこの日はバースデイという感動的な出来事。順風満帆って感じでしたよね。
輪夢「そうですね。もーあの時はノリにノッってました」
ーーやっぱりひとつの大会で良い結果を残すと次も順調だったりするんですか?
輪夢「自信が付いたのでそれが走りにも出てた部分はありますね。でも僕は、前の大会で優勝したら次も調子がいいってタイプではないんですよ。1個終わったら次の大会は気持ちを入れ替えるタイプなので」
ーーライダーとして、もしくは人間として成長した部分はありましたか?
輪夢「ずっと“日本人が海外で活躍するのは難しい”って思ってたけど、やっと“俺も世界で戦っていける! ”って感じで一筋の光が見えてきたました。だけど、まだまだこのレベルではダメだとも感じてました」
ーー“日本人が海外で活躍するのは難しい”とはどういった理由? 輪夢くんは今、身長が168cmだけど、これは世界で戦うには有利? それとも不利ですか?
輪夢「体格はあんまり関係ないですよ。確かに大きい方がパワーは出るんですけど、コツさえ掴んでしまえば小さくてもパワーは出せるんです。それよりも、当時の僕はエアーの高さでは勝負できるけど、技がまだ世界レベルではないと感じてたんです」
ーー世界で戦えるって自信が確信に変わり始めたのはいつ頃から?
輪夢「やっぱり自分専用のパークを作ってもらって、そこで色々な技の練習が毎日できた頃ですかね。それまでは、こういった環境が日本になかったから定期的に海外に行って練習してたので」
ーーもう、大舞台に向かって絶好調! って時に人生初めての大きな怪我をして……、タイミング的にはかなりのダメージだったよね。その時の心境をドキュメンタリー動画の『POSSIBLE』で語ってるけど、あれは観てるこっちも辛くて泣けてきちゃいます。
輪夢「落ち込むって言うより、シンプルにめちゃくちゃ痛すぎて辛かったです(苦笑)。もちろん落ち込んだけど、途中からは“今までがチャリに乗りすぎてたんやからこの機会に少し休もう”って気持ちを入れ替えました。でも、チャリしか乗ってこなかったから、やることなさすぎて暇すぎて、それはそれで辛かったですね(笑)」
ーーこの競技をずっとやっていて、今まで大きな怪我をしたことがなかったってことに驚きです。
輪夢「他のみんなは怪我ばっかりしてますからね。親しい人から“輪夢も人間やったんやな”って言われました。そりゃーそーやろって(笑)。でも、色々と考えたり自分の走りを俯瞰して見れたのでいい充電期間になりましたね」
ーーそこから数ヶ月後に、BMXライダーがまだ誰も足を踏み入れたことのない場所に立った訳だけど、それを経験して何か変わりましたか?
輪夢「あれ以上の緊張は経験したことがないし、それ以上に強烈なプレッシャーがありました。あの1戦を超えるプレッシャーはないだろうから、次からは楽になるかなって」
ーーTVで応援してたこちら側は“かなり堂々とした19歳。やっぱり肝っ玉が座っててスゲー”って思いながら観てたけど。
輪夢「楽しさもありましたからね。怪我した時に学んだのが、痛いって思ったら余計に痛くなってくるってこと。だから常に楽しいって思うように心がけてました。実際にめちゃくちゃ楽しかったし。でもここだけの話、モニターに写ってる時はあえてテンション上げてたけど、写ってないところではひどい顔してたと思いますよ(苦笑)」
ーー今のBMXパークで、これがメイクできたら世界で1位が狙えるって言う大技ってあるんですか?
輪夢「(後方に2回転宙返りする)ダブルバックフリップとかはやっぱり難しいです。ただ、2年前はまだ誰もやってなかったですけど、最近はちょいちょい表れています。なので、難易度も大事なんですが、あんまり誰もやってない技をチョイスするだとか、昔は結構主流だったけど最近見ないトリックに再注目して取り入れるだとか、そういったことも大事だったりします。とにかく“この技は誰もやってない。誰とも被らない”ってものを探して取り入れることを意識してます」
ーーこれまでの輪夢くんの代名詞に“ハイエアー”“スーパーマン”などがあるけど、大舞台を終えて次のステージに進む輪夢くんがこの代名詞を変更するとしたら?
輪夢「確かに僕の得意分野ではあるんですけど、最近はそこまで“高さ”に拘ってはいませんね。というのも、17歳くらいの頃はそれでしか世界と戦えなかったんです。でも最近は、技の難易度やバリエーションでも勝負できる感じになってきたので、今は高さを出しつつ人と被らない技をメイクするのが理想です」
ーーいつも大会で意識してることとかってありますか?
輪夢「昔からの願いはBMXをもっと多くの人、幅広い世代の方に知ってもらいたいってこと。やってるこっちが楽しんでないと見てくれてる人に楽しさは伝わらない。だから、楽しんでプレイすることを心がけてます。TVでBMXの大会が放送されるなんて今までなかった最高の機会。だから目一杯楽しんでプレイしました」
ーーそれはかなり伝わってると思いますよ。
輪夢「最近、小さなお子さんを連れたお母さん世代の方から声をかけてもらって。あれは凄く嬉しかったですね」
ーー来年で20歳。それまでに達成したいこってありますか?
輪夢「悔しい思いをバネに練習することですかね」
ーー少し話が早いですが、次のターニングポイントとなる30歳までに叶えたい夢とか計画を教えて下さい。
輪夢「一番の夢は3年後に結果を出すこと。それと、まだX Gamesで優勝できていないのでそれも達成したいですね。後は、面白いこともしたい。例えば、レッドブルのプロジェクトにセバスチャン・キープの『Walls』やドリュー・ベザンソンの『Uncontainable』、クリス・カイルの『Dropping in on Dubai』などがありますよね。“僕にもできると思うけど絶対にやりたくない! ” とか“これは絶対ムリ”って作品が色々あるけど、いつかそういった企画にもチャレンジしてみたいです」
ーーじゃあ、また30歳になるタイミングで続きのお話を聞かせて!
輪夢「もちろん! 」
※本稿は2021年8月にインタビュー&執筆されたものです
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