過去30年以上に渡り、F1イギリスGPはシルバーストンで開催されている。
しかし、この英国モータースポーツ界最重要イベントはかつてケント州のカントリーサイドに鎮座する天然のアンフィシアター(円形競技場)を舞台にしていた時代があり、F1史に残る偉大なバトルがここでいくつも記録された。
ブランズハッチはサウスロンドンからほど近いが、都市の喧騒からは遠く離れている。百戦錬磨のベテラン、駆け出しの新人を問わず、あらゆるレーサーにとって、ブランズハッチは英国の他のサーキットにはないオーラと魅力をたたえているサーキットだ。
ブランズハッチはとびきり手強いサーキットだった。ゲートに着いてコースを見ただけでチビってしまうくらいね
ブランズハッチでは1986年以来F1レースは一度も開催されていない。
しかし、1964年から1986年までの22年、4輪レース界のサラブレッドたちが全長4.2kmの手強いグランプリ・サーキットを疾駆し、第1コーナーのパドックヒル・ベントへ一斉になだれ込んでから森の奥へと加速していく様子は満員のグランドスタンドを魅了し続けた。
魅力
近年、ブランズハッチのグランプリ・サーキットが使用される機会は稀だ。しかし、距離を短縮した “インディ・サーキット” では、今も英国ツーリングカー選手権(BTCC)やドイツツーリングカー選手権(DTM)、スーパーバイク世界選手権(SBK)、英国トラックレーシング選手権などが開催されている。
BTCCのレース解説を担当しているモータースポーツ・コメンテーターのデビッド・アディソンはブランズハッチの魅力を明快に語る。
ブランズハッチは昔ながらの姿を留めている数少ないサーキットのひとつです
「ブランズハッチは今もコースレイアウトが変更されていない数少ないサーキットのひとつです」とアディソンは切り出し、さらに続ける。
「このサーキットは数十年間ほぼ同じ姿を保っていますが、ドライバーの視点から見ると多くの起伏や難所があります」
「ブランズは、昔ながらの姿を留めているのに今もドライバーとファンの両方が楽しめる数少ないサーキットのひとつです。ドライバーには攻め甲斐があり、ファンには多くの見どころがあるサーキットなのです」
「また、狭い敷地に多くの人が詰めかけるとスタジアム感が出るので、ビッグイベントが映えるサーキットです」
歴史
モータースポーツは数々の名ドライバーと名ライダーが築いてきた伝説の上に成り立っている。ブランズのコース沿いに立ち並ぶ木々が言葉を話せるなら、このサーキットの各コーナー名の由来となった男たちの逸話を語り始めるはずだ。
ジャック・ブラバム、ジョン・クーパー、マイク・ホーソーン、グラハム・ヒル、マイク・ヘイルウッド、ジョン・サーティース… このサーキットは錚々たるヒーローたちの勇姿を目の当たりにしてきた。
ブランズハッチの起源は1920年代まで遡る。当時のバイク乗りたちがA20号線(ロンドン〜ドーバー間を結ぶ幹線道路)沿いにあった草の生い茂るすり鉢状の土地を使って走り始めたことがきっかけだった。
その後しばらくはモトクロス用トラックとしてレースが開催され、青年時代のマレー・ウォーカー(のちにBBC F1中継コメンテーターとして活躍)もブランズを走った経験がある。
戦後の緊縮財政を経て、自動車レースに熱中する向こう見ずな若者たちが登場した1950年代になるとブランズハッチのコースに舗装工事が施され、1960年8月までに全長4.2kmのグランプリ・コースが完成。インディ・サーキットとの2コース体制になった。
かつて英国スーパーバイク選手権でチャンピオンを獲得した経験を持つスティーブ・パリッシュはあらゆるタイプのバイクはもちろん、4輪レース経験も豊富だが、彼が1970年代初頭にレースデビューを果たしたのもブランズハッチだった。
ブランズハッチは、昔のホッケンハイムに少し似ているね
「ブランズハッチには特別な魅力がある。地形が特殊なんだ」とパリッシュは語る。
「ファンはスタジアムというか、円形競技場で観戦しているような感覚が得られる。車やバイクが森の中から飛び出して次の周回に入る様子をドキドキしながら待ち構えるんだ。昔のホッケンハイムに少し似ているね」
F1時代
1964年にはF1がブランズハッチで初開催され、ジム・クラークが優勝した。そしてそれから22年間、イギリスGPはブランズハッチとシルバーストンで交互に開催された。
ブランズハッチで開催された1976シーズンのイギリスGPの決勝スタートは、F1史上屈指のドラマを生み出したことでファンの記憶に残っている。
しかし、この裁定を不満に思った英国人ファンが暴動寸前の騒動を起こしたため、レースオーガナイザーは当初の裁定を覆しハントの再スタートを認めることになった。そしてハントはこのレースで見事に勝利したのだが、のちにフェラーリ側の抗議により失格処分となった。
ハント vs. ラウダの激闘から10年後、1986シーズンのイギリスGPで地元のナイジェル・マンセル(ウィリアムズ・ホンダ)が優勝したが、この優勝と共にブランズハッチはF1に別れを告げた。
直前の1985シーズンにブランズハッチでキャリア初優勝を記録していたマンセルは、宿敵にしてチームメイトのネルソン・ピケ用にセッティングされていたスペアカーを駆り、ピケを逆転して優勝したのだ。
この優勝によりマンセルは1980年代最強の英国人ドライバーとしての地位を確立。あの日に彼が見せたスピードと狡猾さ、大胆さは、ブランズのF1時代のフィナーレにふさわしかった。
愛され続ける名サーキット
英国人ドライバーたちは今もブランズハッチに特別な興奮を感じている。世界ツーリングカー選手権(WTCC)で3度のチャンピオンに輝いたアンディ・プリオールは、ブランズハッチでレースを戦う感覚を次のように説明する。
僕はコリン・マクレーが亡くなった週にブランズで開催されたレースで優勝した。ブランズにはエモーショナルな記憶が詰まっている
「ブランズでは年に一度グランプリ・サーキットでWTCCが開催されていたんだ」とプリオールは回想する。
「世界各地を転戦したあとブランズのファンたちに暖かく迎えてもらうと誇らしい気持ちになる。僕はコリン・マクレーが亡くなった週にブランズで開催されたレースで優勝した。ブランズにはエモーショナルな記憶が詰まっているよ」
「サーキットとしてのブランズは、小型版ニュルブルクリンクってところだね。ジェームス・ハントからスーパーバイクのカール・フォガーティまで、あらゆるレジェンドたちがこのコースで戦ってきたし、素晴らしいツーリングカーレースも開催されている」
「僕は長年に渡りブランズで数多くのレースを見てきたし、自分でも走れるなんて本当にラッキーだよ。色々な意味でスペシャルな場所さ」