ゲーム

サウンドクリエイター佐宗綾子さんの「ナムコの門を叩くまで」 ——ゲーム業界、彼女の履歴書

女性の就業率が低いゲーム業界で、第一人者として活躍する佐宗綾子さんの人物像に迫る。
Written by Riko Kushida
読み終わるまで:7分公開日:
ゲーム業界における女性開発者の割合は、15.5パーセント(出典:一般社団法人コンピュータエンターテインメント協会(CESA)『ゲーム開発者の就業とキャリア形成2015』)とまだまだ少ない。加えて、5年以内の離職率も高いと聞く。そんななか、『リッジレーサー』シリーズなどで知られる、ゲームサウンドクリエイターの佐宗綾子さん(株式会社スーパースィープ取締役)は、25年以上も第一線で活躍し続けてきた。佐宗さんはどのようにして業界へ足を踏み入れ、どんな経験を積んできたのだろう。まずは、最初の就職先となった、当時のナムコ(現・バンダイナムコエンターテインメント)の門を叩くまでのお話を伺った。
佐宗綾子さん近影

佐宗綾子さん近影

© Red Bull

「音楽以外には興味が持てない」——音楽三昧の日々が進路を決めた

前出のCESAの調査によると、「最初に就職する際に必要な技能をどのようにして身につけたか」という質問に対し、サウンドクリエイターの50パーセントが「ゲームに関連しない学校教育で」と回答している。佐宗さんはどうだったのだろう。
両親が社交ダンスを趣味としていた佐宗さん宅には、いつも課題曲であるラテンのナンバーが流れていた。3歳のときには、ルンバがどういうリズムでチャチャチャはどうなのかを、すでに理解していたというから驚きだ。ほか、父親が市民オーケストラで指揮者を務めるほどの音楽好きだったことで、クラシックをはじめ、ニニ・ロッソのトランペット曲など、幼少期からさまざまな楽曲に親しむ機会があったという。
7歳になると、エレクトーンをやっていた従姉妹の影響でピアノをはじめる。中学では、吹奏楽部でバリトンホルンを受け持ったが、体力の問題で退部することに。しかし、高校入学後に再び吹奏楽部へ入り、ユーフォニアムを担当。さらに、高2のときには従姉妹からエレクトーンを譲り受けたそうだ。ほか、空手バカボン(有頂天と筋肉少女帯のヴォーカル2人によるインディーズユニット。エレクトーンでカラオケを作り、YMOの曲に歌詞を付けた『来たるべき世界』が有名)のコピーバンドにもキーボードで参加するなど、音楽三昧の日々を送っていた。
やがて、進路選択の時期を迎え、自然と導き出された答えは「音楽以外には興味が持てない」。だが、音大受験の準備をするには時間が足りなかったため、当時からエレクトーンで著名だった音楽専門学校、東京コンセルヴァトアール尚美(現・尚美ミュージックカレッジ)の電子オルガン学科を専願受験したのだった。
子供時代、ピアノを習っていた佐宗さん

子供時代、ピアノを習っていた佐宗さん

© Red Bull

部活が終わるとゲーセンへ。「『ゼビウス』は手の皮がむけるまでやりました」

一方、ゲームへの興味はというと、本格的に夢中になったのは中3の頃から。スーパーの屋上で、妹や同級生と『キング&バルーン』、『ボスコニアン』、『フロッガー』、『ペンゴ』などのアーケードゲームに熱中したそうだ。また、一家4人で『テレビベーダー』(インベーダーゲームが遊べる家庭用ゲーム機)に興じたり、妹の中学入学祝いがパソコンのPC-6001だったりと、ゲームに理解のある環境で育ったことが伺える。
高校時代には、部活が終わるとゲーセンへ繰り出し、「『ゼビウス』は手の皮がむけるまでやりました」という佐宗さん。そのとき、ソル(隠しキャラ)の位置を教えてくれた後輩は、のちにセガAM2研の本部長になった、片岡洋さんだというからビックリだ。この頃、細野晴臣プロデュースのアルバム『ビデオ・ゲーム・ミュージック』に衝撃を受けたり、『ラリーX』の曲を覚えて部活の余興にしたりと、ゲームと音楽とが結びつく体験をしている。

授業の課題で『アウトラン』を打ち込んだ音楽専門学校時代

 

さて、専門学校入学当初は、エレクトーンのデモ奏者に憧れていた佐宗さんだが、「ヤマハ演奏グレード3級あたりが"先生クラス"と言われており、同級生には2級のコもいたんです。で、私はというと、エレクトーン歴1年半で6級でしょ(笑)」と、早々に諦めたとのこと。とはいえ、在学中には『ヤマハエレクトーンフェスティバル』首都圏大会で銀賞に輝き、プレイヤーとしての才能も見せている。
そんな佐宗さんが興味を持ったのは、シンセサイザーやコンピュータミュージックの授業だ。もともと『うる星やつら』のファンで、アニメで使われていたシンセサイザーサウンドを気に入っていた背景もあった。課題では『アウトラン』のBGMを打ち込んでみたり、自宅では妹のPC-6001でバッハのピアノ曲を"PLAY文"で鳴らしたこともあったとか。
また、あいかわらずゲームも好きで、『スーパーマリオブラザーズ』や『ドラゴンクエスト』の曲をクラリネット四重奏やバリチューバアンサンブルなどの譜面にして、クラスの笑いをとっていたそうだ。このような経緯があって、佐宗さんの志望先は、ゲームメーカー=ナムコへと定まっていった。「中学、高校と"ナムコっ子"だったので、ナムコしか考えてなくて。ナムコしか受けなかったんです」。
現在の佐宗さんの作業スペース。スーパースィープにて

現在の佐宗さんの作業スペース。スーパースィープにて

© Red Bull

いざ、ナムコへ。小沢純子さんと川田宏行さんが面接官だった

 

佐宗さんが4年生だった1988年当時は"就職協定"が存在し、会社訪問は8月以降と定められていた。実際には学生と企業の接触は5月頃から行われていたのだが、佐宗さんはバカ正直に協定を守り、8月から就職活動をはじめたのだとか。
そこで、ナムコへ出入りしていたバイト先の後輩の友達こと、のちに初代『鉄拳』の企画に携わった木元昌洋さんに相談してみたところ、サウンドチームの開発者と会う機会を設けてくれたという。その開発者こそ、株式会社スーパースィープの代表取締役として、現在も一緒に仕事をしている細江慎治さんだった。「デモテープを持っていったのですが、実は曲を作るのが好きじゃなかったこともあって、最初に得意のアレンジ曲を収録していたんですね。そしたら細江さんに『自分をアピールしないといけないのに、先にひとの曲を持ってきちゃダメでしょ』って言われて」。
細江慎治さん近影。トークライブ『細江慎治とゆかいな仲間たち2』にて

細江慎治さん近影。トークライブ『細江慎治とゆかいな仲間たち2』にて

© Red Bull

細江さんのアドバイスを反映したデモテープを新たに作り、「受付小町さん(ナムコ本社の受付にいたロボット)に人事部へ取り次いでもらって」、ナムコの門を叩いたのは、9月に入ってからのこと。
一次面接の面接官は、『ギャプラス』や『ドルアーガの塔』のサウンドクリエイター・小沢純子さんと、『妖怪道中記』のサウンドクリエイター・川田宏行さんだったそうだ。「ナムコしか受けてないと言ったら、小沢さんに『失礼ですが、もしダメだったらどうするんですか?』って聞かれたんです。『もう1年がんばって、来年また受けます!』って答えました」。その意気込みが買われたのか、その後人事面接、部長面接、役員面接を突破し、スタートこそ出遅れたものの10月にはみごと内定を勝ち取ったのだった。
ここまでを振り返り、佐宗さんは「学生時代の経験は、今でも役に立ってます。たとえば吹奏楽部では、それぞれの楽器の得意な音域を知ることができたんですね。その知識を曲作りに活かしています」と語った。
「音楽以外には興味が持てない」と音楽学校を、「ナムコしか考えてなくて」とナムコを専願した佐宗さん。そのひたむきさ、ブレのなさが、道を切り拓いたのではないだろうか。
【関連リンク】
日本のテレビゲームミュージックに隠された歴史を探るドキュメンタリー!