バスケットボール
コール・アンソニー:日本のアニメとビデオゲームを愛する若きNBAポイントガードのすべて
恵まれた環境に甘んじることなく自力でチャンスをものにしてトップレベルに到達したニューヨーク出身のプロバスケ選手がこれまでのキャリアを振り返った。
アンソニーの母親は優秀な弁護士・作家・ディレクター・プロデューサーで、実父グレッグ・アンソニーはネバダ大学ラスベガス校(UNLV)のバスケットボールレジェンドで、NBAで長年プレーしたあと解説者として活躍している。また、継父のレイモンド・J・マクガイアはニューヨーク市長選挙に出馬した経験を持つ実業家で、年下のきょうだい2人もそれぞれの道を歩もうとしている。
このような家族を持つアンソニーは「優秀な人物」に囲まれてきた。そして、言うまでもないが、本人も多くの注目を集め続けてきた若き才人だ。
6分
コール・アンソニー:インタビュー(英語)
先日、NBAのシュートコーチで、“Lethal Shooter” として知られるクリス・マシューズとロサンゼルスでトレーニングキャンプに入っていたアンソニーは、マシューズとの会話の中で次のように語っている。
「僕はスポットライトを心地良く感じるタイプなんです。そういう生い立ちなんですよね。皆さんご存じの通り、実父がNBA選手でしたので、僕はバスケットボール選手としての才能を見せていなかった小さな頃から注目されていました」
「そこから自分がバスケ選手として成長していくにつれて、“グレッグ・アンソニーの息子” ではなく、“コール・アンソニー” として注目されるようになりました。今は父が “コール・アンソニーの父” として認識されるようになっています。とても誇りに思いますね」
今は父親が “コール・アンソニーの父” として認識されるようになっています。とても誇りに思いますね
続けて、マシューズに父親を抜いたと思った瞬間はいつかと続けて質問されたコールの回答には、彼の強い競争心とひとりの人間として認められたいという気持ちが確認できる。
「僕が父親より上手いと自覚したのは13歳か14歳の頃です。バックヤードで父親と1on1をして、1試合目でいきなり勝ったんです。それで頭にきた父親が本気を出したので2試合目は負けました。そして迎えた3試合目は、同点で僕の攻撃になりました。勝てる自信がありました。ですが、父親が “脚が… 脚が…” と言ったので、そこで終了となりました(笑)。その瞬間に父親より上だと確信しました」
ここから先は、アンソニーの実際の生い立ちがどのようなものだったのかを振り返っていこう。
01
幼少時代
アンソニーはいつから注目されていたのだろうか? 母親クリスタル・マクラリーは、元ニューヨーク・ニックスのアマーレ・スタウダマイアーとラッパーのルーペ・フィアスコがプロデューサーを担当したドキュメンタリー映画『Little Ballers』で監督を務めたが、この2時間の長編作品は、アンソニーを含む11歳の少年バスケットボール選手たちがAAU(アマチュア・アスレティック・ユニオン)のチャンピオンになるまでを追っている。
マクラリーは次のように語っている。「この作品には、私の息子がベッドの上でぬいぐるみを抱えながら “できる限り早くNBAに入って、NBAで一生を終えたいです” と語っているシーンがあります。このような発言はセリフとして用意できるものではありません。実に息子らしいですね」
また、アンソニーを追ったドキュメンタリー『Becoming Cole Anthony』の中で、本人は次のように語っている。「母親が生後半年くらいの僕の写真を持っているんです。その写真の僕はまだ歩けないのにリングに向かってバスケットボールを投げているんですよね。僕は小さい頃からバスケットボール選手になるという夢を持っていました。実力についてはまったく気にしていませんでした。ただただNBAに入りたいと思っていたんです」
しかし、騙されてはいけない。アンソニーはバスケットボールのことだけを考えていたわけではなかった。少年時代を謳歌し、友人たちと遊ぶのを好んでいた。彼の顔が光り輝くのは、『ドラゴンボール』を含む日本のアニメ作品に話が及ぶときだ。『ドラゴンボール』は主人公孫悟空が様々な敵と戦いながら成長を続けていくストーリーが世界的人気を誇る。
アンソニーがさらに盛り上がるのが『ポケモン』シリーズだ。ビデオゲームから始まったこのグローバルセンセーションは、フィギュアやトレーディングカードなど多様な展開で知られる。また、彼は『ワンパンマン』の大ファンでもある。
このように家族、バスケットボール、日本の漫画とアニメに囲まれていた11歳の “エナジーの塊” は、やがてポケモンのような “火を吐くドラゴン” へ “進化” していった。
02
高校時代
身長191cmの万能ポイントガードとして知られるアンソニーは、ニューヨークのバスケットボールシーンで頭角を現すと高校時代は強豪校を渡り歩いた。
最初の数シーズンをケニー・スミスやケニー・アンダーソンなどのNBAレジェンドたちを輩出したことで知られる古豪アーチビショップ・モロイで過ごしたアンソニーは、シニアシーズンに入るとケビン・デュラント、カーメロ・アンソニー、レイジョン・ロンドなどを輩出したことで知られる名門オークヒル・アカデミーでプレーした。
このオークヒルで、アンソニーはトリプル・ダブル(編注:得点・リバウンド・アシスト・スティール・ブロックショットのうち3項目で2桁を記録すること)に近いアベレージを残すという前人未踏の記録を打ち立てた。
また、アンソニーはニューヨークの地域リーグ、エリート・ユース・バスケットボール・リーグにも参加し、現在オーランド・マジックでチームメイトのモハメッド・バンバと同じロースターでプレーした。
ニューヨークは名ポイントガードを数多く輩出してきたことで知られており、アンソニーも、ネイト・アーチボルド、ケニー・アンダーソン、ステフォン・マーブリー、セバスチャン・テルフェア、レイファー・アルストンをはじめとする先人たちが運んできたトーチを引き継いでいる。高校時代のアンソニーは自分で自分のキャリアを築いていくことで、“元NBA選手の息子” を超えた存在になっていった。
この年、U-18米国代表バスケットボールチームに選出されたアンソニーは、2018年のFIBA U-18アメリカ大陸選手権(Americas Championships)に出場してオールトーナメントに選ばれると、2019年のナイキ・フープサミットでも米国代表の得点源として活躍した。また、アンソニーは、『USA Today』が選出する2019年全米ファーストチームに選出された他、同年のマクドナルド・オール・アメリカンとジョーダン・ブランド・クラシックでMVPに選ばれた。
恵まれた環境で育ったアンソニーに強い競争心と情けを嫌う気持ちが備わっているのは明らかだった。彼は、すべてのステップで自力で周囲から正当なリスペクトを勝ち取りたいと思っていたのだ。
しかし、皮肉なことに、彼の高校時代は高校バスケットボール選手たちをフィーチャーしたソーシャルメディアが爆発的人気を獲得したタイミングと重なっていた。@overtimeのようなメディアが毎日のようにアンソニーと彼の才能を取り上げた結果、彼のソーシャルメディアフォロワーは50万人を突破し、ジュニアシーズンにはスター選手の通過儀礼と言える『SLAM Magazine』のカバーを飾った。同時に、アンソニーは強烈なダンクを次々と放つダンクシューターとしての才能を発揮するようになっていった。
本人は「8年生(編注:中学2年生相当)か9年生(編注:中学3年生相当)の頃、他の選手たちがいつもダンクを決めているのを見て、僕もやってみたいと思ったんです。それで、練習のあとに体育館に残ってダンクの練習をしていくと、徐々に高く飛べるようになりました」と語っている。
ここまでを振り返ると、周囲からの注目はコールにとってまったく邪魔ではなかったことが分かる。彼の中で、それは運命と捉えていたものの一部に過ぎなかった。
03
大学時代とCOVID-19
高校を卒業したアンソニーは、強豪ノースカロライナ大学チャペルヒル校(編注:マイケル・ジョーダンの母校)へ進学。すでにプレシーズンオールアメリカンに選出されていた彼は “マーチ・マッドネス(3月の狂乱)” ことNCAA男子バスケットボールトーナメントでの活躍を期していた。
そして、これまで見てきた多くの選手よりも世慣れていて大人だという理由から、ノースカロライナ大学ヘッドコーチ、ロイ・ウィリアムズに「異種」と評価されていたアンソニーは、大学1試合目から活躍。ACCフレッシュマンとノースカロライナ大学デビューシーズンの最多得点記録を更新する34ポイントをマークすると、同大学のポイントガード最多記録に並ぶ1試合11リバウンドもマークした。いずれも大学1年目ではまず達成不可能な数字だ。さらに、アンソニーは右膝の半月板を部分断裂して離脱するまで9試合平均で得点19.1 / リバウンド6.3 / アシスト3.6 / スティール1.9を記録した。
その後、アンソニーは復帰1試合目で26ポイントを記録する活躍も見せたが、COVID-19の影響でシーズン後半は中止となってしまった。こうして大学1年目を波乱とともに終えた彼は、次の一歩について考えることになった。
04
NBAドラフトへ
世界が置かれていた状況を踏まえ、アンソニーと家族は彼の大学卒業を諦めてNBAドラフトにアーリーエントリーすることを決めた。
米国ではCOVID-19がピークを迎えていたため、チームとの面談、ステイホーム、ニューヨークでのトレーニングを含むすべてがストレスを伴うものになった。また、ノースカロライナ大学でのプレー経験が少ないことから、ドラフトでどのチームがピックアップしてくれるのかが明確に見えてこなかった。しかし、アンソニーはマイアミ・ヒート、オーランド・マジック、ワシントン・ウィザーズから興味を持たれ、スカウトや評論家の多くもアンソニーをドラフト上位10選手に入ると評価した。
注目の2020年のNBAドラフトは非常にユニークなものとなり、全選手がそれぞれのバブルに入った状態でバーチャルに開催された。会場で名前が呼ばれた選手がチームのキャップを掴んだあとコミッショナーと握手する定番シーンは削除された。アンソニーは次のように当日を振り返る。
「家族と僕にとってとても長い1日になりましたね。正直に言うと、どのチームにピックされるか分かりませんでした。何も決まっていませんでした。13巡目が終わったあとにエージェントから連絡が入って、オーランドが獲得に動くと伝えられました(編注:15巡目にピック)。全員が盛り上がりましたよ。仲良くしているモハメッド・バンバから僕がどこへ行くのかすでに知っているんじゃないかと4回ほど確認の連絡が入ったのを憶えています」
05
スティール
得点力と運動能力、そして血筋が高く評価されていたニューヨークの神童は、オーランドへ向かった。
しかし、アンソニーのNBAルーキーシーズンは試練の連続となった。というのも、本人が真っ向勝負を好んだからだ。そして「嚢中の錐」というたとえは本当だということが証明された。アンソニーは15巡目のピックだったが自分が “スティール”(編注:Steal - ドラフト下位で入団後に活躍する選手を意味する)だということを証明した。
得点力のあるポイントガードが試合を支配する現代のNBAでは、トップレベルのポイントガードはあらゆるボールをバスケットに入れる。アンソニーもそのひとりで、2020-21シーズンの彼は1本ならず2本も決勝シュートを決めた。決勝シュートは試合では滅多に見られない。ましてやルーキーの決勝シュートはレア中のレアだ。
「決勝シュートをルーキーシーズンに2本も決められるなんて滅多にありません。本当に恵まれているとしか言いようがないですね」と本人は語っている。
シュートを打つのに忙しくない夜のアンソニーは、オーランド・マジックモデルのゲームパッドを持って『コール オブ デューティ』を深夜までプレイしており、そのプレイはInstagramのストーリーやYouTube、Twitchなどで確認できるときがある。彼がすでにいくつもの称賛を手にしていて、世界中のファンから期待されていることを踏まえると、彼がまだ21歳という、本来なら秋から大学3年生になる若さだということを忘れてしまう。
大学3年生になる代わりに、アンソニーはNBAで2シーズン目を迎える。だからこそ、2021年の夏を “Lethal Shooter” のようなトップコーチたちとのトレーニングに費やしているのだ。
「ジャンプシュートを安定して決められるようになれば、パーフェクトな選手になれると思います」とアンソニーは語っている。「シュートが安定すればネクストステップへ進み、新しい可能性を開けるでしょう。ステフィン・カリーとデイミアン・リラードはシュート力があるから恐れられているのです。彼らはコートのどこからでもシュートを打てます。シュートの選択肢が増えれば、チームメイトがさらに攻撃に絡めるようになりますし、ゴール下へ詰められるようにもなります」
優秀な家族と才能に恵まれ、仕事と遊びのバランス感覚に優れているコール・アンソニーの未来は明るい。
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