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『ロックマン11』プロデューサー・土屋和弘氏の"人間賛歌的クリエイティブ"

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Written by 山本雄太郎
その人の"生き方"や"クリエイティビティ"に迫るゲームクリエイターインタビュー企画――ゲーム業界、ワタシの履歴書。
もしも"ロックマン"が現実世界にいたら?
もしも"ロックマン"が現実世界にいたら?
『ロックマン』といえば、日本を代表するアクションゲームにして、世界的な人気を誇る名作シリーズだ。
そんな『ロックマン』シリーズが誕生30周年を迎えた2018年、カプコンより最新作『ロックマン11 運命の歯車!!(以下、『ロックマン11』)』が世に送り出されたことは記憶に新しい。
今回は、『ロックマン11』のプロデューサーを務めるカプコンの土屋和弘氏にインタビューを敢行。
8年間もの沈黙を破って不朽の名作シリーズを復活させた立役者の、ゲームクリエイターとしての源流や、類まれな"クリエイティブ観"を語ってもらった。
『ロックマン11』のプロデューサー、土屋和弘氏。
『ロックマン11』のプロデューサー、土屋和弘氏。

◆"おもしろい人"を見抜く嗅覚を培った幼少期

土屋氏は1992年に株式会社カプコンに入社後、プログラマーとして『ロックマン7』の開発を担当。
以後、プロデューサーとして『アスラズ ラース』『ロックマン クラシックス コレクション』といった名だたる作品を手掛けてきた。
そんな同氏の出身は大阪府。奇しくもカプコン本社のお膝もとと言えるこの地で、奔放な幼少期を送っていた。
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「郊外に住んでいたので、虫取りや、魚釣りをして遊ぶことが多かったです。
おやつが食べたいときは、近所の家に友だち3人くらいで『お宅のハチの巣を50円で退治します』と"何でも屋"のようなことをして、お駄賃をもらっていました。
当然、退治に失敗すればハチに刺されるわけですが……逃げ足は、友だちの中でいちばん速かったですね(笑)」(土屋)
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いまでこそ、数多くの制作スタッフを率いる立場にある土屋氏だが、幼少期は進んで中心的な立場に名乗り出ることはなかったそう。
小学生のころの将来の夢は"ブルドーザーの運転手"。
重機好き、メカ好きが高じた結果、当時放映中の『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』といったSFアニメに影響を受けることになる。
次第に、アニメ情報誌などを読み漁るようになった土屋少年には、産み落とされたエンタメ作品をただ甘受するだけでは飽き足らない、"クリエイター志向"の片鱗が芽生えていった。
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「たとえば、『宇宙戦艦ヤマト』の"SF考証や戦艦のデザインがすごい"と思うと、「だれが描いているんだろう?」という部分が気になり出しまして……。
アニメ雑誌でスタッフの参加作品を調べてみると、ほかの作品でも活躍されているすごい方だったり、さらに時系列で追っていくと、ある時にはバイトと紹介されていた方がいつのまにか『マクロス』を作ったりしているという、バックボーンが見えてくるのがおもしろかったです。
当時はネットがなかったので、おもな情報源は"本屋"になるのですが、雑誌類は"いまの情報"しかフォローされていないので、過去の情報を得るために古本屋に出入りするようになり、当時あった大阪球場内の古書街で何年もまえのアニメ雑誌やSF誌のインタビュー記事を徹底的に読み漁るといった日々を送りました」(土屋)
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インタビュー中に「"おもしろいモノ"よりも、それを裏で支えている"おもしろい人"が好き。何かすごいことができる人が好きなんです」と、自身の性格を評していた土屋氏。
ゲームクリエイターとなった現在でも、インスピレーションを感じる対象は"モノ"ではなく"人"であることが多いということだ。
そして、そんな彼の好奇心が"同好の士"を呼び寄せたのか、高校に入学した土屋氏の周囲には個性豊かなマニアたちが集った。
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「当時の僕が属していたグループは、いわゆる"世間からあまり共感性を得られない趣味"に特化した人たちの集まりだったんです。
たとえば、無類の映画好きで好きなジャンルは白黒映像の西部劇という人もいて「こんどすごい映画が来るぞ!」と、みんなで『ターミネーター』を観に行ったり、『2001年宇宙の旅』のビデオを強制的に渡されたりもしました。
もちろん、ちゃんと観ましたよ、感想を言わないと怒られるので(笑)。
また、別の人はディープなSFマニアで、当時、岡田斗司夫さん(※1)が開業した"ゼネラルプロダクツ"というSFグッズ専門店があったのですが、そこの常連だった彼がコアな情報を仕入れてきてくれたり。
さまざまな分野のマニアが集まって、異種格闘技をくり広げているような状態でしたね(笑)」(土屋)
(※1 岡田斗司夫:株式会社ガイナックス・元代表取締役社長)
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こうしたマニア――ある種の天才たちとの邂逅は、後のゲーム制作プロデューサーとしての"仕事観"にも多大なる影響を及ぼすことになるのだが……。
当時の土屋氏は、そうした知識を運んできてくれる仲間たちに対し、自分は仲間たちに返すものがないというマニアとしての至らなさを悔やむこともあったようだ。
そんな苦くも温かい思い出を糧に、土屋氏はゲーム制作者として"クリエイティビティ"を発揮していくことになる。
"クセは強くも愛すべきマニアたち"との交流を懐かしむ土屋氏。
"クセは強くも愛すべきマニアたち"との交流を懐かしむ土屋氏。

◆カプコンとの運命的な出会い

幼少期から高校時代にいたるまで、ゲームの話題が一切出てこないことを訝(いぶか)しむ読者もいるかもしれないが……。
じつはその間、アニメ文化に親しむマニアであったと同時に、生粋のアーケードゲーマーでもあった土屋氏。
なかでも、当時ゲームセンターで多数稼働していたシューティングゲームには、並々ならぬ思い入れがあったようだ。
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「アーケードのシューティングゲームは、『ギャラクシアン』のころから、すべて遊び尽くしてるレベルでやり込んでいました。
当時は、『ゲーメスト』というアーケードゲーム雑誌にハイスコアランキングが掲載されていて、通常のプレイではあり得ないような高スコアがもてはやされるような時代だったんです。
しかし、僕がいたゲーマーのグループは、ハイスコア主義の逆で「おもしろかったらいいじゃない!」という、"魅せプレイ"重視の"大道芸主義"というのを標榜していました。
ハイスコアを突き詰めるプレイは、バグなども冷徹に利用するタイプの遊びかたになるので、僕らはそれが受け入れられなかったんですよね」(土屋)
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大学生のころは、行きつけのゲームセンターの常連たちと"大道芸主義"を布教すべく、アーケードゲームの攻略同人誌を刊行する活動を始めたのだとか。
そこで土屋氏は、ゲームクリエイターという天職、そしてカプコンという一大ゲームメーカーとの出会いを果たす。
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「当時はカプコンの『ロストワールド』というシューティングゲームの攻略本を作っていたのですが、仲間のひとりが「ゲーム内にバグのような抜け道が存在することを、メーカー側は実際どう思っているのだろう?」と言い出しまして、その彼が「カプコンにどうしても取材に行きたい」と。
ちょうど手元にあったカプコンのゲームの取扱い説明書に、お客様サポートセンターの電話番号が書いてあったのでダメもとでアポを取ってみたら、なんとOKが出たんですよ。
正体不明の学生のアポを受けてくれるなんて、いまの時代ではありえませんからね(笑)。
そして、数日後にカプコンにおじゃましたら、当時開発部長として在籍されていた岡本吉起さん(※2)が直々に出てきてくださって、「おもしろいことやっとんな、開発者を何人か呼んで来たるわ!」と仰ってくださったんです。
しかも、取材後に『ストリートファイターII』のダルシムの名前の由来になったと言われている"ダール"というカレー屋でご飯までごちそうになり……そのときに、ゲームメーカーっていいところだな、と思ったんです(笑)」(土屋)」
(※2 岡本吉起:元カプコン専務取締役。『ロストワールド』制作時は開発室責任者。現在はゲームリパブリック代表取締役社長。『モンスターストライク』のプロデューサーとしても有名)
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こうして、ひょんなことから制作現場の裏側を覗き見ることが叶った土屋氏。
その経験に引き寄せられるように、同氏は就職活動を経てカプコンに入社。ゲームクリエイターとしての道を歩み始めることとなった。
ちなみに、当時カプコンに電話を掛ける際に手に取ったゲームの説明書が『ロックマン2』だったというのだから、同作と土屋氏のめぐり逢わせには運命的なものを感じざるを得ない。
「あのころの出来事は、鮮烈に記憶していますね」と語る土屋氏。
「あのころの出来事は、鮮烈に記憶していますね」と語る土屋氏。

◆"作品性"と"市場性"の両面を支えるバランサーとして

大学で機械工学を専門に学んだ土屋氏は、プログラマーとして『ロックマン7』の開発に従事。
その後、ディレクターやプロデューサーとしてのキャリアを積みながら、『ロックマン』ブランドの商品監修窓口なども担当する。
そんな土屋氏に『ロックマン11』の開発を決断させたのは、『ストライダー飛竜(2014年版)』や『バイオハザード0』などを手掛けた名ディレクター・小田晃嗣氏だった。
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「小田のほうから、「もう長いあいだ『ロックマン』の新作が出てない状況はメーカーとして良くないので、いま企画書を書いてるんだけど」と言われて、あなたが『ロックマン』の企画書を書きますか、と。
小田は『魔界村』シリーズなども手掛けてきた経験豊富なディレクターでありながら、なぜか『ロックマン』シリーズには携わってこなかったのですが、そんな彼が『ロックマン』を作ったら絶対におもしろいモノになるだろうと思い、「ぜひやりましょう!」と小田と『ロックマン』復活の準備を始めたのです」(土屋)
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そこで同氏が『ロックマン11』プロデューサーとして最初に着手した業務は、地道なマーケティング調査だったという。
自身にとっても思い入れの深いタイトルでありながら、こうしたバランス感覚を見失わなずにいられるのはどうしてなのだろうか?
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「この業界ではよく「ゲームは作品なのか、商品なのか」という議論が交わされますが、僕は歴代の上司から「ゲームは商品である」ということを常々教えられてきました。
商品である以上、多くの方に楽しんでもらいたいですし、プロデューサーとして『ロックマン』ブランドのゲームを作るからには、昔からのファンを喜ばせるのはもちろんのこと、新しいファンも付いてくれないといけません。
「『ロックマン』は名前しか知らなかったけど今作から好きになりました」と言ってもらえるようなゲームにしたかった。
逆に本シリーズをリアルタイムで遊んだ30代後半~40代の思い入れ"だけ"を結晶にしたようものを作ってしまうと、若い世代には"加齢臭がきついゲーム"としか思われないのでは……という危機感もありました。
ですから、古参のファンと新たなファンが同じ目線で楽しみ、話題を共有できるゲームであるべきだと考えたのです」(土屋)
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あくまで土屋氏が目指していたのは、作品性と市場性が両立された"クリエイティブ"。
極めて理性的にゲーム作りへと取り組む姿勢は、同氏の開発チームに対するマネジメント思想にも表れている。
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「開発スタッフはゲームを作る天才たちの集団であるがゆえに、ときには市場性を見間違える場合もあります。
僕がよく、部下のプロデューサーに言うのは「カプコンのクリエイターは天才肌が多いので、幼稚園の保育士さんになったつもりで引率するといいよ」と伝えているんです。
ふつうの人にはない"天賦の才"を持っているのだから、世間一般的に見てふつうのことが苦手だったりする部分はこちらで補いましょう、というスタンスでいますね」(土屋)
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"おもしろいことができる人"の持ち味を最大限に引き出し、かつ徹底して商品価値を高めんとする土屋氏の舵取りは、ゲームプロデューサーの理想形と言っても過言ではない。
ひょっとすると、こうした同氏の哲学は、学生時代をともにしたマニアたちとのやり取りの中で育まれたものなのではないだろうか――?
そんな筆者の問いかけに、土屋氏は「いま気づきましたが、その可能性はありますね!(笑)」と目を細めてほほ笑んだ。
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◆Special Information

(1)Red Bull Gaming Sphere Tokyo」で、『ロックマン11 運命の歯車!!』のゲーム大会を12月17日(月)に開催! 入場・観覧は無料! 詳細は【こちら】。
(2)2018年12月7日(金)、8日(土)に日本初開催となった「レッドブル・クラッシュドアイス横浜 2018」に"ロックマン"が参戦! 「レッドブル・クラッシュドアイス」をゲームで体験できる、「ROCKMANレッドブル・クラッシュドアイスの戦い!!」は【こちらで遊べます!
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