Screenshot from Detroit: Become Human

『Detroit: Become Human』:ストーリーテリングの未来

© Quantic Dream / SCE

ストーリーの力で全体を動かすアドベンチャーゲームを作り出してきたQuantic Dreamが最新作をリリースする。彼らのこれまでの歩みを改めて振り返ってみよう。

    
ビデオゲームシーンの中に存在する優秀なストーリーの数の多さを考えると、ビデオゲームがそれを伝えるアート、つまり “ストーリーテリング” をそこまで得意としていないという事実に驚きを覚える人もいるだろう。
一般的なストーリーとは “既に用意されているもの” で、インタラクト、つまり相互作用を生み出すことはできない。しかし、ビデオゲームの世界では、プレイヤーがアクションを担っているので、彼らがストーリーのリズムも担っている。
この結果、プレイヤーの主体性が削除され、制作側が進めたい方向にストーリーが勝手に進むポイント(例:カットシーン)が含まれているゲームが世の中に存在している。
前述した通り、ストーリーは “既に用意されているもの” なので、カットシーンをプレイヤーが自主的に操作して、ストーリーを大きく変えることはできない。
プレイヤーが “運転席” に戻れるのは、カットシーンでの説明が終わり、制作側がステアリングホイールを譲ってくれたあとだ。
他のスタジオがオープンワールドなアプローチを強め、プレイヤーにできる限り多くの自由を与えようとしている中(直近の例は『ゼルダの伝説』シリーズの “アタリマエ” を見直した作品『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』だ)、そのような作品とは真逆のアプローチを採用しているのが、フランスのスタジオQuantic Dreamだ。
彼らは "最新のテクノロジーを用いながら、重厚なストーリーが全体を動かしていくビデオゲーム" というジャンルをプッシュしようとしている。
Quantic Dreamを率いるDavid Cageは『メタルギア』シリーズの小島秀夫や『NieR:Automata』のヨコオタロウと同じく、真の “作家” だ。
彼が手掛けたビデオゲームは必ずしも万人受けするわけではなく、また最近は、スタジオの劣悪な労働環境が告発されたことからメディア上でネガティブキャンペーンも展開されている(尚、Quantic Dreamはこの告発内容を全否定しており、法的手段を取る予定だ)。
しかし、ナラティブ重視のゲーミングにおける彼の貢献度の高さは無視できない。
David Cage初のメジャータイトルは『Omikron: The Nomad Soul』で、これは故David Bowieがキャラクターとオリジナル楽曲を担当したことが話題になった、壮大なドリームキャスト用タイトルだった。
『Omikron: The Nomad Soul』はアクションやパズルなど、複数のジャンルを大胆に組み合わせていたゲームだったが、同時にCageが持っている「業界の常識に挑む」という強い意志が感じられるゲームでもあった。
このゲーム内では、キャラクターが死ぬと、ゲームオーバーになる代わりに、他のキャラクターとして再生した。
ゲームオーバーはCageが長年異論を唱えてきた概念で、2013年の『Joystiq』のインタビューの中で、Cageは「ゲームオーバーはプレイヤーのミスというよりも、ゲームデザイナーのミスだ」と発言している。
"プレイヤーがミスしてもゲームは終わらない" というのは、Cageの作品群に通底しているアイディアだ。
『Omikron: The Nomad Soul』をリリースしたQuantic Dreamは、2005年に第2作『ファーレンハイト』をリリースした。
これはCageのストーリー重視というアイディアがネクストレベルに引き上げられていた作品で、脚本だけで約2,000ページもあった。
また、この作品は、プレイヤーから主体性を取り除いて全体のプロットを重視しようというCageのアイディアが具体的に持ち込まれた初タイトルでもあった。
この作品は3Dレンダリングで表現されていたが、操作の大半はアナログスティックのみで行うようになっており、コンテクストがゲーム全体を引っ張っていた。プレイヤーは右スティックを特定の方向に傾けて、キャラクターの行動を決めることができた。
『ファーレンハイト』のナラティブは固定されていたが、会話にはツリー型の分岐が用意されており、ストーリーに関わってくる部分にプレイヤーが驚くほど多くの思考を持ち込めるようになっていた。
しかし、現実を言えば、これは見せかけの自由であり、プレイヤーが結末を変えることはできなかった。
いずれにせよ、『ファーレンハイト』はリリース直後に世間から高く評価されることになり、Cageの “ゲーミング業界屈指のエキサイティングなストーリーテラー” としての評価を確かなものにした。
Cageは次の作品で固定されたストーリーというアイディアから離れ、プレイヤーにより大きな余韻を与える選択肢を用意しようと考えた。
こうして2010年にリリースされた『HEAVY RAIN -心の軋むとき-』は、主人公が死ぬことさえ可能で、この仕様はこのゲームのナラティブに大きな影響を与えていた。この作品は、真の意味でのストーリーの分岐が用意されていたのだ。
大げさに褒めているわけではない。実際、このゲームには様々なエピローグが20種類以上用意されており、陰惨な事件の主犯を見つける作業は、プレイヤーの予想の斜め上を行く複雑さを誇っていた。
セールス的にもレビュー的にも成功を収めた『HEAVY RAIN -心の軋むとき-』は、ビデオゲームにおける “フレキシブルなナラティブ” というアイディアをネクストレベルへ進化させることになった。
このゲームには練りに練られた非常に魅力的なストーリーが用意されていたが、プレイヤーのアクションにより、プレイヤーが気付くことなくストーリーを微妙に変化させることが可能だった。
複数のエンディングが用意されていたこのゲームは、まるで読むたびにエンディングが変わる小説を読んでいるかのように感じられた。
Cageはこのフリーフォームなアプローチを次の作品、2013年にリリースされた『BEYOND: Two Souls』でさらに進化させた。
この作品は、エレン・ペイジウィレム・デフォーなどのハリウッド俳優を主役クラスで起用したことも話題になった。
しかし、主人公が霊とリンクして、壁をすり抜けたり、他人に取り憑いたりできるという、超自然現象を組み込んでいたこのゲームは、リアリティに欠けるという印象を一部のプレイヤーに与えてしまい、評価も絶賛というよりは生ぬるいものに終わった。
中には、ユニークで非直線的なナラティブを備えたゲームを目指すQuantic Dreamの旅は、目的地を通り過ぎてしまったと評価する者もいた。
数人の批評家が触れていたように、この作品はインタラクティブな要素を含めることによって優れたストーリーを台無しになってしまっていた。
評価が分かれた『BEYOND: Two Souls』だったが、それでも全世界で200万本以上を売り上げ、トライベッカ映画祭に出品された初めてのビデオゲームとなった。
この事実はCageの中で、自分の “インタラクティブなストーリー” というアプローチの正当性の裏付けとして受け止められたはずだ。
Screenshot from Detroit: Become Human
コナーは電気ヒツジの夢を見るのだろうか?
この作品が、Cageの最新作『Detroit: Become Human』に繋がった。
2012年に彼らが公開したPS3用テックデモ映像(女性アンドロイドが組み立てられ、徐々に感情を持っていく様子を描いた映像)から発展した『Detroit: Become Human』は、我々人間と、我々が近い将来必ず作り出すことになるロボットアシスタントの違いについて探求していく作品だ。
優秀なSF作品と同じく、『Detroit: Become Human』も重要な疑問、「我々を人間たらしめているものは何か?」を提示しているが、この作品は3人のアンドロイドの視点からこの疑問に迫っていく。
1人目は、前述した2012年のデモ映像に登場していた、自己意識を芽生えさせていく女性アンドロイドのカーラで、彼女はプレイヤーと同じく、不慣れな新世界に身を置くことになる。
カーラの真逆に位置していると言えるのがコナーで、彼はプログラムされた役割を放棄したアンドロイド(変異体)を追跡する警察アンドロイドだ。
そして、3人目が、その変異体と呼ばれる “人間の意に沿わない” アンドロイドたちをまとめ、アンドロイドの解放を目指すマーカスだ。
3人の異なるキャラクターを操作できる『Detroit: Become Human』には、3種類の異なる視点とストーリーラインが用意されているが、この3つのストーリーラインは必ずどこかで重なることが予想されている。
この作品で非常に興味深いのは、Cageが異なる特徴を持つ3人のキャラクターを用意するだけでは飽き足らず、カメラの動き方音楽もキャラクター別に用意しているため、キャラクターごとに完全に異なるゲームをプレイしているように感じるという点だ。
たとえば、コナーは周辺環境を調査して手がかりを集めたり、現場の出来事を再現して真実を突き止めたりすることができる。
Cageの過去作品には全て重厚なナラティブが用意されていたが、『Detroit: Become Human』のスケールは過去作品を軽々と上回っている。
CageがリードライターのAdam Williamsと組んでデザインチームに見せるために用意した初稿は2,000~3,000ページもあり、セリフの収録では声優250人513人分の役を担当した。
脚本は完成まで2年かかり、Cageはその期間に6,000ページ分のメモを取りながら、このゲームの複雑で近未来的なナラティブに含まれる全ての分岐ルートを細部まで仕上げていった。
では、彼の努力はビデオゲームとしてどう活かされているのだろうか?
『Detroit: Become Human』は、Cageが手掛けた他の作品と同じくオープンエンドなゲームだ。特定の重要なイベントはリプレイできるが、ゲーム内の大半は、自分が選択した行動に沿って進まなければならない。
また、Quantic Dreamの他のゲームと同様、キャラクターの死はゲームオーバーを意味しておらず、複数に分岐するナラティブが、ストーリーを様々な方向へ進ませていく。
また、Cageは物議を醸すトピックを避ける人物ではない。2017年に公開されたトレイラーも、父親によって虐待される子供が含まれているショッキングな内容だった。
『Detroit: Become Human』は、人間性と人間であることとは何かを深く問う作品だ。
よって、ゲーム内のキャラクターやプレイヤーの行動の正当性は、非常に興味深いポイントになる。
たとえば、少し調べてみると、前述した児童虐待の父親は抗うつ剤を服用しており、それが彼の行動に影響を与えている可能性があることが見えてくる。
彼が自分の意思とは関係ない行動を取っているという前提が成り立つのであれば、子供を救うための最も簡単な選択肢 “父親の殺害” は正しい行動と言えるのだろうか?
『Detroit: Become Human』には、このような道徳と倫理のジレンマが数多く含まれており、プレイヤーは自分が取った行動がもたらす結果について深く考えることになるが、同時に、それぞれ異なった目的・意見・感情を持つ3人のアンドロイドたちの立場に立って考える必要もある。
"行動の結果” が全体を左右するストーリー主導のビデオゲームの数は多くない。
たとえば、このジャンルのクラシックタイトルのひとつ『L.A.ノワール』は、いくつかの重要なシーンで正しい質問をしたり、正しい証拠を掴んだりすれば捜査が先へ進むようになっているが、試行錯誤を繰り返せば、いずれ犯人に辿り着けるようになっている。
ナラティブ重視のビデオゲームの問題は、制作側(より正確な表現をすれば “ストーリーテラー”)が、プレイヤーを正しい方向へ導かなければならないという点にある。
正しい方向からプレイヤーがズレたり、プレイヤーがその方向を見つけることができなかったりすれば、ストーリーはそこで止まってしまうのだ。
その中で、『Detroit: Become Human』はプレイヤーの行動によって柔軟に進化・変化しながら進むストーリーを用意している。プレイヤーの行動の大半は、ストーリーが終わるまでストーリーに影響を与え続ける
とはいえ、オープンエンドなストーリーがメインに据えられているビデオゲームの多くは、このジャンルの究極のゴールには未来永劫辿り着けないだろう。
コンピューターが自主的に新しいストーリーを書いたり、記録したりすることはできないので、制作側が、プレイヤーが行き止まりに向かわせないようにありとあらゆる選択肢を “あらかじめ” 用意しておく必要があるからだ。
これを踏まえると、Cageは作家というよりは、“マスター・オブ・ミスリード”、つまり、ルールや分岐の制限が用意されている中でも受け手に自由を感じさせることができる “イリュージョニスト” として見なされるべきなのかもしれない。
2018年5月25日に『Detroit: Become Human』がリリースされれば、Quantic Dreamがこの部分を上手くやり遂げたのかどうかが分かるだろう。
CageとQuantic Dreamが成功するかどうかはさておき、ビデオゲームにおけるストーリーはテクノロジーと共に進化を続けている。
1990年代前半に流行した “インタラクティブ性が低いフルモーション映像” を指す言葉として生み出された “インタラクティブ・ムービー” という言葉が、『Detroit: Become Human』の中のアンドロイドと同じように "リアルで信じられる存在" になる日は近いのかもしれない。
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