【お宝ゲームを発掘せよ】SNSを中心に流行りつつある「#実家DIG」にチャレンジしてみた!
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【お宝ゲームを発掘せよ】SNSを中心に流行りつつある「#実家DIG」にチャレンジしてみた!

実家の押し入れや倉庫、屋根裏部屋などに眠る、お宝ゲームをサルベージせよ!
Written by ポルノ鈴木
読み終わるまで:8分公開日:

◆実家に帰省する人におすすめしたい「#実家DIG」とは?

この時期(8月のお盆時期)、実家に帰省している人、する予定の人も多いだろう。
渋滞や満席地獄を乗り越え実家に辿り着いたからには、炊事洗濯を親に任せ、昼からゴロゴロして『ヒルナンデス』→『ミヤネ屋』コンボを決めながら箱買いしたアイスをペロナンデスする気マンマンのことかと思うが、この夏せっかく帰省したなら、実家で昔懐かしいゲーム機をDIG(発掘)ってみることをおすすめする。
ファミリーコンピュータ(1983年)の登場から35年、スーパーファミコン(1990年)ですら登場から28年の時が経っており、いまこの時代のゲーム機には立派な"ヴィンテージ"としての価値が付き始めている。
実家を出て以来、自分の部屋がそのままタイムマシン状態で残っている人も多いと思うが、その部屋の時間が長い間止まっていればいるほど、そこから"お宝"が出土する確率が高いというわけだ。
筆者の実家からもお宝が出土。当時モノのファミコン千代紙。
筆者の実家からもお宝が出土。当時モノのファミコン千代紙。
SNS全盛のこの時代、#実家DIGというタグを付けて実家から何か懐かしい物が出土した楽しさを共有するムーブメントも広まっており、いま実家はトレジャーハントの場としてアツい注目を集めている。
そこでここでは、そんな#実家DIGの実例として、筆者の実家の場合をお見せすることにしよう。
筆者の実家には屋根裏に物置があるのだが、実は先日ここを片づけている時に懐かしい物を発見したのが、今回当コラムを書くに至ったきっかけでもあるからだ。
筆者の実家にある屋根裏へと続く階段。ちなみに真夏の屋根裏部屋は灼熱地獄だ。
筆者の実家にある屋根裏へと続く階段。ちなみに真夏の屋根裏部屋は灼熱地獄だ。
果たして実家の屋根裏には何が眠っていたのか。
それは、MSXである。
箱付きで残っていたことに驚き。隣のドデカホーン(ラジカセ)も懐かしい。
箱付きで残っていたことに驚き。隣のドデカホーン(ラジカセ)も懐かしい。
MSXとは何か
それは1983年に発売された、"家庭用"をコンセプトの軸としたホビーパソコンの統一規格名だ。
'80年代当時、パソコンはまだまだ高価格で、ホビーユースとするには手が届きにくい存在だったが、MSXはマイクロソフトとアスキーの共同企画により、家庭でも使いやすいようにと機能を限定し、低価格での発売を実現
なお、MSXは共通規格なので、この"MSX規格"の商品は各社より登場している。
これは今で言うAndroid携帯が各社から発売されているようなものなのだが、当時、そうそうたるメーカーがMSXを製造、発売していた。
実家を漁っていたらMSX発売前に作られたガイドブックが出てきたのだが、それに掲載されている広告を見れば、いかに当時MSXに勢いがあったかがわかる。
小学生の時、何度も繰り返し読んだ『MSXパソコン比較大図鑑』。
小学生の時、何度も繰り返し読んだ『MSXパソコン比較大図鑑』。
余談だが、著者クレジットにはあの"浜村通信"(現:ファミ通グループ代表)の名前も!
余談だが、著者クレジットにはあの"浜村通信"(現:ファミ通グループ代表)の名前も!
表2(表紙裏)広告は東芝! 横山やすし親子!
表2(表紙裏)広告は東芝! 横山やすし親子!
富士通はタモリ! 本格パソコンFM-7との値段の違いにも注目。
富士通はタモリ! 本格パソコンFM-7との値段の違いにも注目。
表4(裏表紙)広告はソニー! 聖子ちゃん!
表4(裏表紙)広告はソニー! 聖子ちゃん!
キヤノンのMSXは、今見てもカッコ良いデザイン。
キヤノンのMSXは、今見てもカッコ良いデザイン。
MSXに開幕から参入したメーカーは、東芝ビクター富士通ナショナル三洋電機キヤノン三菱ヤマハ日立ソニーゼネラルと、ほとんどの日本の電器/情報機器メーカーが揃い踏み。
後にカシオ計算機がここに加わったほか、海外ではSpectravideo金星電子など、アメリカ、韓国、ブラジル、アルゼンチンのメーカーも参加していた。
MSXは共通規格なので、MSX用のソフトはどのメーカーのハードを買っても動作するのがウリ。
しかし各ハードメーカーは自社の特色を出すべく、共通規格であることを踏まえつつハードに個性的な機能を付加していた。
我が家にやってきたMSXは父親が買ってきた物なのだが、音楽好きの父親が選んだのはヤマハ製のMSX<YIS503>だった。
今見てもカッコ良いパッケージデザイン。志の高さが伺える。
今見てもカッコ良いパッケージデザイン。志の高さが伺える。
今考えるとヤマハがパソコンを作っていたというのもスゴイ話だが、YIS503はヤマハ製らしく音楽機能に特化した作りになっていた。
MSX本体内蔵のピコピコとしたPSG音源だけでは本格的なDTMはできないという理由から(DTMという言葉は当時なかったが)、本物の楽器に近い音色が出るFM音源ユニットも同時にリリース。
作曲ソフト音色作成ソフト鍵盤も本体と同時にリリースされ、1983年の時点でお茶の間にDTMを持ち込もうとしていたのだ。
ちなみに我が家には当時それらがフルセットで揃っていたのだが、ずっとあったはずの鍵盤ユニットが実家内で突如行方不明になってしまった。
母親に「捨てるなって言っただろ!」と詰め寄ると、「捨ててないわよ! どっかにあるわよ!」とキレ返されるというやり取りも含めて、"実家DIGあるある"なのだなと思った次第だ。
シルバー&グレーのシンセサイザー的な本体配色。
シルバー&グレーのシンセサイザー的な本体配色。
ソフトはファミコンのようにROMカートリッジ式で供給された。
ソフトはファミコンのようにROMカートリッジ式で供給された。
YIS503専用の拡張ユニットであるFM音源ユニットは、下部に格納。
YIS503専用の拡張ユニットであるFM音源ユニットは、下部に格納。
今回こういう絵面をお見せしたかったが、鍵盤が行方不明に……。
今回こういう絵面をお見せしたかったが、鍵盤が行方不明に……。
MSXはパソコンなのに、ファミコンの様なROMカートリッジでソフトが供給されるのが特色だった。
それまでのパソコンソフトといえば、5インチのフロッピーディスクカセットテープで供給されており、起動するには長い読み込み時間を必要としていたので、差すだけですぐにソフトが起動するROMカートリッジを装備したパソコンというのは斬新だったのだ。
とはいえデータの追加やセーブを行う際にはまだまだカセットテープが有用だったので、データレコーダーという機材を介してカセットテープもメディアとして大活躍した。
FM音源の追加音色データはカセットでリリースされた。
FM音源の追加音色データはカセットでリリースされた。
箱をあけるとこのようにカセットテープが。
箱をあけるとこのようにカセットテープが。
これがデータレコーダー。パソコンとリンクし、音楽ではなくデータを再生、録音する。
これがデータレコーダー。パソコンとリンクし、音楽ではなくデータを再生、録音する。
ちなみに実家から出土したこのアイワ製データレコーダー"DR-2"だが、これは12歳か13歳の時に友人のアメミヤ君に借りて以来、ずっと実家にあるという30年越えの借りパク物件
久々に屋根裏から出てきたその姿はまだシャンとしており、動作もしたので、「覚えてるかな?」と思い30年ぶりの姿を撮影し、写真をアメミヤ君に送信
するとすぐさま「ちょうど探してたんだよ! 『ハイドライド』の続きをやろうと思って」と返信がきたので、古い友人とはかくも最高なものかと思った。
(下の動画はMSX版の『ハイドライド』)。
さてこのMSX、"家庭用"にこだわったポイントとして忘れてはいけないのが、RF接続に対応していた点だ。
今ならなにがしかの映像機器をモニターに繋ごうと思ったら、HDMIなどのケーブルを端子に接続するだけで済むが、'80年代の家庭に普及していたテレビにはビデオ端子も付いていない場合が多く、このRF接続によってモニター(テレビ)に映像を出力していた。
RF接続とは平たく言えば、"機器から発せられる映像信号をテレビ放送の信号と同じに変換してチューナーに受信させる"方式で、初代ファミコン等もこれを採用していた。
接続にはテレビアンテナを差し込んだりと面倒が多く、アナログ方式なので電波の影響を受けやすく映像も不鮮明だったが、それでもMSXは"家庭用"のホビーパソコンであることにこだわり、このRF接続方式にも対応していたのだ。
これがMSX用RF接続モジュール。ヤマハ純正だ。
これがMSX用RF接続モジュール。ヤマハ純正だ。
もちろんMSXはRF接続以外にビデオ出力RGB出力にも対応。
映像信号も音声信号もごちゃ混ぜのRF、映像信号と音声信号を分けたビデオ、映像信号をさらに赤、緑、青に分けたRGBでは、後者ほど映像が綺麗になっていくのだが、筆者はMSXの後継機種であるMSX2に買い替えたタイミングで、このRGB接続に対応したモニターを導入。
そのあまりにもレベルが違う映像の美しさに、かなり感動したものだ。
MSX2本体と揃えたパナソニック製モニター。
MSX2本体と揃えたパナソニック製モニター。
この21ピンRGB端子には、たしかにカネを払う価値があった。
この21ピンRGB端子には、たしかにカネを払う価値があった。
MSXはそのスタートこそ華々しかったが、パソコンとしては価格が安いぶん性能も低く、中途半端な存在として参入メーカーが次々と撤退。
ソフトもゲームばかりが充実していったが、同時代の覇者であるファミコンよりもグラフィックや動きで劣り、ゲームマシンとしては価格が高くて半端な存在だった。
そこで1985年には性能を大幅にアップさせたMSX2が登場。
ROMカートリッジだけではなく3.5インチのフロッピーディスクもメディアとして活用し、パソコンとしてもゲームマシンとしてもグレードアップを図った。
1988年にはMSX2+、1990年にはMSX turboRと次々と高性能な後継機を投入していったが、MSX2+の時点で参入メーカーはパナソニックソニー三洋電機のみとなり、最終モデルのMSX turboRに至っては、パナソニックのみが本体をリリースした。
周りの友人がファミコンスーファミを買って遊んでいるさなか、筆者はひたすらMSXMSX2でゲームを遊んでいた。
アーケードゲームの移植作などは、明らかにファミコン版よりもクオリティの面で劣っていたが、それでも"MSXで遊べる"ことに意義を感じ、このハードに夢中になった。
ビデオゲームの楽しさや深さをMSXから学んだが、MSX2以降はレールを外れ、他のゲームハードを買った
あれだけ夢中になったMSXとその関連ハードは屋根裏にしまいっぱなしになってしまったが、今こうして眺めてみると、我が家に来た初めてのパソコンであり、ゲームマシンでもあったMSXは、非常に思い出深い1台だ。
ジョイスティックコントロールパッドを持っていなかったので、最終的に『グラディウス』キーボード操作でクリアできるようになったこと。
『ハイドライド』を友だちと一緒にクリアした時、嬉しさのあまり"歌舞伎揚げ"をその友だちにたくさん振る舞い、あっという間にひと袋食べきったこと。
中古ソフトや周辺機器を求めて秋葉原に足繁く通うようになり、あの街に詳しくなったこと。
母親が『パックマン』のモンスターが止まる裏技を偶然見つけ、「これずっと遊べちゃうんだけど」と言いながらすごいハイスコアを記録していたこと。
父親が買いそろえた作曲システムは、結局ほとんど意味不明で使わなかったこと。
そしてデータレコーダーはアメさんから30年以上借りパクしていたこと……。
#実家DIGお宝の発掘でありつつ、思い出の発掘行為でもある。
日記や写真だけでなく、我々は'80年代のエレクトロニクス製品からも、様々な思い出を想起する。
この夏、実家に帰省する人は、実家をディグってみてはいかがだろうか。
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