ビデオゲームを楽しむネイマール
© Instituto Projeto Neymar Junior
サッカー

ネイマールの少年時代

世界を代表するサッカー選手ネイマール。その少年時代を当時の監督と父親が語る。
Written by Corinna Halloran
読み終わるまで:7分公開日:
4分
Discover Neymar Jr's childhood in Brazil
ネイマールのストーリーは整備された正式なサッカーグラウンドから始まったわけではない。数多のブラジルのサッカー少年たちと同じく、それはストリートから始まった。
ブラジルでは誰もが小さな頃からストリートサッカーをプレーする。ストリートサッカーは僕たちの血なんだ
ロナウド

ネイマールの地元

ネイマールが生まれ育ったエリアは、あの有名なファベーラに結びつけられることが多い、ステレオタイプな “危険なエリア” ではない。ネイマールの地元のストリートは、ブラジルらしい活気あるエナジーに溢れている。ブラジリアン・マジックとも呼べる情熱的なエナジーだ。
裸足の子供たちが空気の抜けたボールを追い回してストリートサッカーを楽しんでおり、最年少の子供でさえ、我々がいくら頑張っても到達できないレベルでプレーしている。そして、全身から熱い気持ちを溢れ出させているティーンエイジャーたちは2人乗りのバイクで走り回り、窓を開けてゆっくりと走る車は、ブラジリアン・ヒップホップを爆音で鳴らしている。生命が感じられるリアルなストリート。ネイマールはここで育った。
ネイマールの父親、ネイマール氏は当時を次のように振り返る。「この辺りが今のように開発される前に住んでいました。当時は低所得者層の集まるエリアで、まだゴミ処理場がありました。市内のすべてのゴミが集められるゴミ処理場です。当時と言っても2000年頃の話で、私たちはネイマールがプロになる直前の2008年頃まで住んでいました。ここが私たちの世界でした。この世界が抱える問題と日々直面しながら生活していました」
ネイマールが幼少時に住んでいた家は、ゴミ処理場があった場所から数ブロック先のProjeto Instituo de Neymar Jr(ネイマールが建てたサッカー教育施設)の裏手にある静かなストリート沿いにひっそりと建っており、その周辺の住宅地も非常に静かだ。今やネイマールは世界的に有名なサッカー選手として知られているが、ここには彼を称えるオマージュやマーク、旗などは一切存在しない。
ここは寂れたエリアというよりは、様々な素材で建てられた、様々な高さの住宅がひしめきあい混沌としているエリアだ。そして、一帯を照らす埃っぽい黄金色は、プライア・グランデ市全体とロングビーチ、そしてサンパウロへと続く丘陵地帯に広がる森も照らしている。

ネイマールのはじまり

では、ネイマールはプライア・グランデのストリートからバルセロナのビッグスタアムまでどのような道を辿ってきたのだろうか? ネイマール氏が振り返る。「私たちは息子がほんの小さな子供の頃から、夢を追い続けるように言い聞かせてきました。息子が初めて契約を交わしたのは12歳の時で、練習生としての契約でしたが、当時から、私は息子がプロサッカー選手になるだろうと思っていました」
しかし、その契約を交わす前、正式なスパイクを履く前、名前入りのユニフォームに袖を通す前のネイマールは、至って “普通の少年” だった。
「息子は他の子供と同じで、常にハッピーでした。純粋な気持ちで常に楽しく遊ぼうとしていました。その遊びの大半はサッカーでしたがね。妻と私は、自分で幸せを選べるように息子と娘を伸び伸びと育てました。ですので、幼い頃の息子は色々な夢を持っていましたよ。スーパーマンやパワーレンジャーになりたいと言っていました。本当に活発な子でした。今もそうですが(笑)」

才能の発掘

他の子供と同じように、ネイマールの夢も日々変わっていたが、彼には他の子供とは違う点がひとつあった。それは、彼がサッカーをプレーする時に輝きを放った類い稀な才能だった。ネイマールは3歳の頃からサッカーを始めており、たとえば「歩く」、「話す」などの幼少時に体得する能力と同じように、自分の成長と共にサッカーを身に着けていった。そのネイマールの才能を見出した人物は、初めて見た時からその才能は光っていたと振り返る。
ネイマールを初めて指導した恩師ベチーニョ氏は「私がネイマールを初めて見たのは、1998年にサン・ビセンテで開催されたビーチサッカーの試合でした。走り回る6歳の彼に私の目は惹きつけられました。そのスピードとボディバランスに本当に驚かされましたよ。あのスピードで人や物と衝突したら、酷い骨折は免れませんでしたから」と語っている。

サッカーグラウンドが喜び

もちろん、プロサッカー選手だった父親に助けられた部分もあったが、ネイマールはその後もそのスピードを維持し続けた。そして、幼い頃から胸に秘めていたサッカーへの愛が彼のその才能を更に伸ばすことになった。
ネイマール氏が説明する。「サッカーグラウンドは息子にとっての喜びなんです。サッカーグラウンドを息子に与えれば、彼はそれで幸せなんです。その喜びはブラジルであっても、バルセロナであっても変わりません。サッカーグラウンドが息子を幸せにしているんです。ですが、私たち家族も、できる限り息子の近くにいて、彼の幸せのためにベストを尽くそうとしています」
そのサッカーへの愛が、5on5のユニークなサッカートーナメント、Neymar Jr’s Fiveの誕生へと繋がった。今年開催された第1回は40カ国から10,000チーム、65,000人が参加。7月にはProjeto Instituo de Neymar Jrでワールドファイナルが開催された。
そして、母国ブラジルもネイマールが今のようなサッカー選手に成長する大きな要因となった。ベチーニョ氏が説明するように、ネイマールには “ジンガ” (ginga)が備わっている。サッカースタジアムに響き渡るチャントのように、彼のプレースタイルにはリズムが感じられる。
「これまで沢山の少年を見てきましたが、ネイマールのような才能を持った子供はいませんでしたね。あのスピードは彼の “ジンガ” なんです。ジンガがあれば、対戦相手を惑わしたり、高速でドリブルしたり、そして自分の体全体を上手く使ったりすることが可能になります。彼には “ジンガ” が備わっているんです。これはブラジル人特有のもので、すべてのブラジル人がそれぞれの “ジンガ” を持っています」

地元にサッカー教育施設を創設

しかし、ネイマールにはもうひとつの特徴がある。これは必ずしもブラジル人特有のものではないが、彼の個性のひとつであることは確かだ。それは、家族や友人との時間を大切にするという彼の姿勢だ。
「ネイマールが創設したProjeto Instituo de Neymar Jrでは、『リスペクト、チームワーク、愛』を掲げています。彼は昔からこの3つを大事にしていました」とベチーニョ氏が説明する。そして、その姿勢が、Projeto Instituo de Neymar Jrを地元に建てた理由のひとつだ。ネイマール氏が続ける。「このコミュニティに住む人たちの現実を少しでも良くしたいという思いから、息子はこの施設を建てたんです」

ブラジリアン・マジック

今回、ネイマールの地元を訪れ、恩師と父親の話を聞いたことで、ネイマールは天賦の才が備わっている10億にひとりの存在なのだということがしっかりと理解できた。そして、ブラジルという国がなければ、ネイマールが今のような選手になれていなかったことも理解できた。ブラジルの魔法のようなエナジーがなければ、そしてプライア・グランデの自宅の外でボールを追いかけ回したあの日々がなければ、ネイマールはネイマールにはなれなかった。