陽が落ちた頃からしとしと降り出した雨が街の騒音を包み込み、嵐の前の静けさとでも言おうか、これから起こる時間を予兆しているかのようだ。
90年代のニューヨークで数々の即興パフォーマンスを実現させてきたカジワラトシオとダンサー・振付家の東野祥子によって設立されたANTIBODIES Collective、ノイズミュージックの帝王として世界中から賞賛を集めるMERZBOWこと秋田昌美。この両者がコラボレーションする夜は、そんな日に行われた。
受付を過ぎ、黒い幕で仕切られた導線をくぐり抜けていくと、目の前に表れたのはANTIBODIES Collectiveの世界。フロア全体を広く使い、パフォーマーたちが動き回る。
淡々と延々と演説をする男性、顔まで隠れるキャットスーツに身を包んだポールダンサー、狐面をつけて徳利とおちょこを運ぶ着物姿の女性、60年代の学生運動を想起させるヘルメット姿の男、フリフリのレースを着て紅茶を飲む女の子たち、ときおり声を発する修行僧、顔に紙袋をかぶったバニーガールなどが視界の中を、外を行き来する。
ステレオタイプな身なりをすることで匿名性を出しているかのようだ。思い思いに動いている/踊っているようでいて、カジワラトシオがその場で生み出す不協和音〜音楽の断片と調和するさまは見事だ。
舞台美術、特殊装置、映像、照明とすべてにこだわり抜かれていて、緊張感が漲りながらも、ときにお客さんに質問を投げかけたり、そっと抱きしめたりすることで、「演じる」と「観る」の境界をなくしていく。
それらが連続するなか、MERZBOWが登場。カジワラトシオからバトンタッチされる形で音楽を放つ。ノイズという、究極の形のひとつである音楽が充満し、収斂していく。ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーらアンビエント〜ドローン〜実験音楽の潮流も盛んだが、そのさらに極北に位置するもの。
その場全体を轟音が埋め尽くしていくなか、衣装を統一した10名以上のパフォーマーがときに同じ振り付けで動き、再びバラバラになる、を繰り返す。
そのすべてが知覚を刺激して、解放する。まさに総合芸術だ。感じたのは圧倒的なまでの生の謳歌。こういった実験的な夜さえもプログラムに加えるという振り幅と提案力、バランス感覚こそが、RED BULL MUSIC FESTIVAL TOKYO 2017を他にはない、独自性の高いフェスティバルにしている所以だろう。外に出ると雨は止んでいた。