インディ500、ル・マン24時間、ラリー・モンテカルロと並び、ダカール・ラリーはモータースポーツシーンの至宝のひとつだ。
40年近くに渡り、ダカール・ラリーはマニュファクチャラー / サポートクルー / 2輪ライダー&4輪ドライバーたちに対し、多彩な路面条件で行われるユニークかつ過酷な2週間のチャレンジを提供してきた。
長距離ラリーレイドと言えば、ダカール・ラリーが文句なしの主役だが、これは、プロ / アマを問わずあらゆるドライバー&ライダーをオフロードに連れ出し、ほとんど不可能と思えるチャレンジを100年以上に渡って突きつけてきた無数のラリーイベントのひとつに過ぎない。
ダカール・ラリー2019が迫る中、今回はオフロード耐久レースの歴史を彩ってきた重要イベントの数々を振り返りながら、現代のラリーレイドが成立するまでの経緯を辿ってみよう。
北京-パリ大陸横断ラリー
- 初開催:1907年
- 走行距離:14,994km
- 参加者数:11名
20世紀初頭にパリから北京を目指すチャレンジをフランスの新聞『Le Matin』が発表した時、彼らは「今証明すべきは、自動車がある限り、人間は何でもできる、どこへでも行けるということだ」と宣言した。
このレースはあらゆる耐久レースの起源だ。第1回北京-パリ大陸横断ラリーは1907年6月10日に北京のフランス大使館前からスタートした。当初は40名がエントリーしたものの、実際にスタート地点へ現れたのは5台の車両と11名だけだった。
当時は自動車が発明されてほんの数十年しか経っていなかったが、参加者たちは広大なゴビ砂漠やシベリアの大自然などに対峙しながら、それまでは馬でしか横断を試みられていなかったルートに挑んだ。
レースに優勝したのは、イタリアの王子(当時)シピオーネ・ボルゲーゼが駆った40馬力のItala号だった。ボルゲーゼ王子とそのパートナーを務めたジャーナリストのルイジ・バルツィーニは、2カ月をかけて中国・ロシア・ポーランド・ドイツ・ベルギーを横断してパリに到着。現代の基準に照らし合わせても発想と実行の両面で無謀と思われるレースを完走した。
サファリ・ラリー
- 初開催:1953年
- 走行距離:5,000km以上
- クラス:4輪
- 参加者数:200名以上
開始当初は、イースト・アフリカン・コロネーション・サファリという名称がつけられていた、このマシンと肉体を痛めつけるイベントは、驚くことにかつてはWRCラウンドのひとつに組み込まれていた。極めてチャレンジングなこのラリーは、通常のラリーイベント3勝分に相当する価値があると考えられていた。
ケニア、ウガンダ、現在のタンザニアを横断するこのイベントの特徴は、常に変化する過酷な気象条件、洪水、路上に出現する重い岩、そしてコースに身を乗り出す危険な観客だった。クルーはヘリコプターを飛ばして、ドライバーたちに接近する対向車両や無防備なキリンなどの存在を知らせていた。
当然ながら、このレースは周辺地域に明るいかどうかが成功のカギで、地元ケニア出身のシェカー・メッタが歴代最多勝を記録した。また、フィンランドのWRCレジェンド、ハンヌ・ミッコラもこのエクストリームなラリーイベントで勝利を挙げている(1997年 / マシンはAudi 200 quattro)。
27分
ラリーレイド ABC
あらすじ: ラリーレイド。厳しい自然環境の中で最速のルートを見つけ、ゴールを競うモータースポーツだ。この戦いを勝ち抜く上で必要なものとは何だろうか?【過酷なスポーツの基本(シーズン1/日本語字幕)】
バハ1000
- 初開催:1967年
- 走行距離:1,000km以上
- クラス:2輪 / 4輪 / トラック / VW Beetle
- 参加者数:300名以上
壮大なエンデュランスイベントとして知られているバハ1000は、世界最長のノンストップ・ポイント・トゥ・ポイント・レースだ。
このレースは、1960年代初頭にHondaの米国法人が当時新型のCL72 Scrambler 250バイクをテストするために、ティファナからラパスまでのハイウェイの過酷な路面条件を使用していたことがきっかけとなって創設された。
1967年までにそのルートは1,400kmを走破するオフロードレースへと拡大し、1978シーズンのF1ワールドチャンピオンとして知られるマリオ・アンドレッティや、ハリウッドスターのスティーブ・マックイーン&ジェームズ・ガーナーなど、スリルを追い求める数多くの著名レーサーやアマチュアレーサーを魅了してきた。
この “ワイルドウエスト” を舞台にしたラリーレイドは毎年11月に開催されており、バハ・カリフォルニア砂漠のビーチや山岳、川床などを疾走する。また、クルーやライダーたちの足元をすくおうとするファンたちが仕掛けるブービートラップも悪名を馳せている。
3分
X-raidミニJCWバギー初走行
X-raidチームの新メンバー、カルロス・サインツ、ステファン・ペテランセル、シリル・デプレがミニ ジョン・クーパー・ワークスバギーで初走行。モロッコのサハラ砂漠を駆け抜ける。(日本語字幕)
ロンドン-シドニー・ラリー
- 初開催:1968年
- 走行距離:11,265km
- クラス:4輪
- 参加者数:100名
1967年暮れ、英国の大衆紙『Daily Express』は英国からオーストラリアを目指すという、にわかに信じがたいレースの創設と後援を決定し、英国を出発したあと、フランス・イタリア・ユーゴスラビア・ブルガリア・トルコ・イラン・アフガニスタン・パキスタン・インドを巡り、オーストラリア大陸を4,184km走破してシドニーでゴールを迎えるというルートが設定された。
1968年11月下旬、100台の車がロンドンをスタートした。参加者の中には当時の花形ラリードライバーだったパディ・ホップカークやロジャー・クラーク、F1ドライバーのルシアン・ビアンキ(故ジュール・ビアンキの伯祖父にあたる)なども顔を揃えていた。
しかし、全56名の完走者中トップでゴールしたのはアンドリュー・コーワンだった。Hillman Hunterをドライブした彼は、12月18日にシドニーに到着した。
コーワンは1977年に開催された第2回大会でも優勝を飾り、このイベントは様々な形式の下で1993年・2000年・2004年にも開催された。さらに2014年には、シドニーをスタートしてロンドンを目指す逆ルート形式で開催された。
ダカール・ラリー
- 初開催:1979年
- 走行距離:80,000km以上
- クラス:2輪 / 4輪 / クアッド / トラック
- 参加者数:500名以上
1977年、フランス人2輪レーサーで冒険家でもあったティエリー・サビーヌは、サハラ砂漠のテネレ地方で遭難した。しかし、彼はパニックに陥る代わりに、この荒野が自分のラリーレイドイベントのパーフェクトな舞台になることを確信した。こうしてパリ-ダカール・ラリーが誕生した。
1979年から2007年まではヨーロッパスタートだったこのイベントは、アリ・バタネンやジャッキー・イクスをはじめとするモータースポーツシーンのビッグネームたちを惹きつけながら世界的に知られる一大イベントへと急成長し、1980年代後半以降はToyotaやMitsubishi、Peugeot-Citroën(PSA)などのマニュファクチャラーも参戦するようになった。
アフリカの治安悪化から、2009年以降のダカール・ラリーは南米大陸で開催されており、ペルー・パラグアイ・アルゼンチン・チリ・ボリビアにステージが設定されている。ダカール・ラリーは今も最も過酷なモータースポーツ・チャレンジのひとつであり続けている。
シルクウェイラリー
- 初開催:2009年
- 走行距離:6,500km以上
- クラス:4輪 / トラック
- 参加者数:300名以上
ダカール・シリーズを起源とするシルクウェイラリーは、2009年に第1回大会が開催され、ロシア・カザンをスタートしたあと、4,500kmを走破してトルクメニスタン・アシガバートでゴールを迎えた。
この記念すべき第1回大会を制したのは、元WRCチャンピオンのカルロス・サインツで、彼は2010年にも優勝している。
シルクウェイラリーは大規模なラリーレイド・チャレンジへと成長を続けており、ジャン=ルイ・シュレッサーやシリル・デプレなどダカール優勝を経験しているトップドライバーや、Team Peugeot Total、Toyota、Volkswagen、ロシアの最強トラック艦隊KAMAZなどのマニュファクチャラーを惹きつけている。
2018年のシルクウェイラリーは2レグ開催で、ロシアを舞台にしたファーストレグはモスクワをスタートして同じくロシア南部の港町アストラハンを目指した。その後、中国を舞台にしたセカンドレグが9月に開催された。
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