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エベレスト:驚きの記録 15選

© Harry Kikstra
エベレストの登頂回数は65年前の人類初登頂から8,306回を数えている。世界最高峰に刻まれてきたユニークな記録の数々を紹介しよう。
Written by Will Gray公開日:
標高8,848mエベレスト。ネパール語では "サガルマータ"、チベット語では "チョモランマ" と呼ばれ、(共に「聖母峰」を意味する)、あらゆる冒険家を強烈に惹きつけてやまない。
幾度となくエベレスト登頂が行われる中、近年は誰もがこの世界最高峰での "史上初" の称号を手にしたいと考えているため、エベレスト登頂史に刻まれる記録はますます奇想天外なものになりつつある。
過去の記録には、ショートパンツで登頂した者や上半身裸で登頂した者、さらにはエベレスト山頂で挙式を行なったカップルなどが残っている(念のために言っておくと、これ以降ネパール政府はエベレストの神聖性を保つため登頂手続きの厳格化に着手している)。
今回は、エベレスト登頂史に刻まれた数々の驚くべき記録とそれらの背景にあるストーリーを紹介していこう。

人類初登頂

ニュージーランド出身のサー・エドモンド・ヒラリーとネパール人シェルパのテンジン・ノルゲイは、イワシの缶詰とビスケットで栄養補給を行いながら、エベレスト山頂を目指して最後のアタックを試みた。
強風や壮絶な雪嵐、マイナス28ºCの極寒を乗り越え、彼らは1953年5月29日にエベレスト山頂に到達した。
Tenzing Norgay and Edmund Hillary after successfully completing the first ascent of Mount Everest at 11.30am.
エドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイ
これはあまり広く知られていない事実だが、英国が主導したヒラリーのエベレスト初登頂の前年、テンジンはスイス人登山家レイモン・ランベールと組み、山頂まで残り150mの地点まで到達していた。
ヒラリーたちが記録した1953年の人類初登頂は、ネパールが鎖国を解き、より難易度の低いチベット側の北陵ルートでの登攀が可能となってからわずか3年後に達成された。
そして、1年に1回しか入山が許可されていなかった当時、1953年の人類初登頂に続く2回はフランス隊スイス隊によって記録された。英国隊が失敗に終わっていれば、人類初登頂はフランスかスイスのものになっていたかもしれない。

女性初登頂

ヒラリーとテンジンの人類初登頂から22年後の1975年日本人女性登山家の田部井淳子が、女性だけで構成されたエベレスト日本女子登山隊の一員として女性初のエベレスト登頂を達成。ルートはヒラリーたちと同じだった。
1985年、コミュニズム峰(現イスモイル・ソモニ峰)に挑む田部井淳子
1985年、コミュニズム峰(現イスモイル・ソモニ峰)に挑む田部井淳子
彼女は登山中に雪崩に巻き込まれ、雪の中で約6分間意識を失っていたが、九死に一生を得て生還。そのまま登山を続行して山頂に到達した。また、彼女は初めて世界七大陸最高峰全登頂を果たした女性登山家でもある。

最多登頂回数

Climbing through the Yellow Band on Mount Everest, May 2007.
21回ものエベレスト登頂は想像を絶する
エベレスト登頂は1回だけでも偉業と言えるが、延べ21回も登頂を果たした人物が3人いる。
まず2011年アパ・シェルパが21回目の登頂を成功させ、続いて2013年にはプルバ・タシ・シェルパカミ・リタ・シェルパもそれぞれ登頂回数21回に到達した。
ネパール人以外で最多登頂回数を保持している人物としては、米国人マウンテンガイドのデイブ・ハーンが挙げられる。彼は2013年に15回目のエベレスト登頂を果たしている。

史上最速登頂

ベースキャンプからエベレスト山頂までの標高差は実に3,500m近くもあるため、大半の登山家は途中に複数のキャンプを張り、その間を行き来しながら高地環境に順応しながら最終アタックに備える。そのため、ベースキャンプから山頂まで一気に登る者は稀だ。
Photograph taken from the Everest summit on May 22, 2013.
エベレスト山頂から下界を望む
体力が万全で高地順応を経たあとでも、全ルート踏破に34〜38時間はかかる。ベースキャンプ〜キャンプ1、キャンプ1〜キャンプ2、キャンプ2〜キャンプ3、キャンプ3〜キャンプ4の計4レグはそれぞれ6時間を要し、各キャンプの合間にも数多くの休憩地点がある。そして、山頂を目指す最終アタックは10〜14時間を要する。
しかし、2004年にシェルパのペルパ・ドージェがベースキャンプから山頂までを8時間10分で一気に踏破することに成功した。また2017年には、トレイルランナーのキリアン・ジョルネが固定ロープも酸素ボンベも用いず、ベースキャンプから一気に26時間で単独登頂した。

史上最速下山

2001年、マルコ・シフレディ標高8,848mのエベレスト山頂から標高6,400mのアドバンス・ベースキャンプ(キャンプ2)までをスノーボードに乗って2時間半で下山した。
しかし、滑降で下山した人物は彼が初めてではなかった。
スロベニア出身のダヴォ・カルニカは、2000年に山頂からベースキャンプまでをスキーで一気に下山した。ベースキャンプまでの滑降に成功した人物は彼が世界初で、5時間の滑降中にクライマーの凍死体をかすめたという。
尚、カルニカはモンブランやマッターホルンアイガーアンナプルナなどでも山頂からのスキー滑降を成功させているが、エベレスト滑降に比べれば簡単だったはずだ。
とはいえ、前述した2名は最速記録ではない。フランス人のジャン=マルク・ボワヴァンは、果敢にもパラグライダーで山頂の長さ40mのスロープから助走して空に舞い、標高5,900m地点のキャンプ2まで11〜12分で下山した。

瞑想

ほとんどの登山者がエベレスト登頂直後に下山するが、ヘブンリーパス派の "シュプリームマスター・ゴダンゲル" として知られるネパール人の高僧バクタ・クマール・ライは、2011年にエベレスト山頂に32時間滞在した。そのうち27時間は瞑想に充てられ、11時間を酸素ボンベなしで過ごした。

山頂からの初ツイート

2011年、英国人登山家のケントン・クールはマーケティングキャンペーンの一環として世界初のエベレスト山頂からのツイートを行なった。彼のTwitterアカウントに投稿されたテキストは次の通り。
「9度目のエベレスト登頂! 微弱な3G電波が届くおかげで、世界最高峰からの世界初ツイートだ」

宇宙飛行士の登頂

米国人宇宙飛行士のスコット・パラジンスキーは、5回の宇宙探査ミッションと計47時間の宇宙遊泳だけでは飽き足らず、2009年に宇宙飛行士初のエベレスト登頂を3度目の挑戦にして達成した。
エベレスト登頂後、彼は次のように語っている。
「宇宙探査ミッションとエベレスト登頂は、チャレンジの性質が全く異なるので比較にならないよ。比べるつもりもないね」

史上最高齢登頂

2013年、日本人登山家の三浦雄一郎(当時80歳)は史上最高齢のエベレスト登頂を達成した。4カ月前に胸部手術を受けたばかりだった彼は、登頂には成功したものの体力消耗が激しく、標高6,500m地点からベースキャンプまでヘリコプターで下山した。
三浦は1970年にスキーでエベレストを滑降した世界初の人物でもあるが、90歳を迎える2022年にエベレスト登頂に再挑戦したいという意志を表明している。
女性最高齢記録を保持している人物は同じく日本人の渡辺玉枝(たまえ)で、彼女は2012年73歳で登頂に成功した。

史上最年少登頂

史上最年少登頂は、2010年に米国人登山家のジョーダン・ロメロがわずか13歳10カ月で記録した。
2014年には、インドのマラバト・プルナ女性最年少登頂記録を達成。ロメロの記録からわずか1カ月遅れの13歳11カ月だった。

その他のユニークな記録

Mount Everest and Nuptse seen from Kalapatthar.
カラ・パターから望むエベレストとヌプツェ
1988年、中国日本ネパールの合同登山隊が史上初のエベレスト南北交叉縦走に成功した。同登山隊は北陵と南陵の両ルートから同時に登頂し、互いに交叉したのちにそれぞれ反対側のルートから下山した。
クシャン・シェルパは初めて3つの異なるルート全てで山頂に到達した人物だ。クシャンは1993年にサウスコル経由で登頂したあと、1996年に北陵ルート、1999年にカンシュン・フェイス経由の登頂にも成功した。
オーストラリア出身のティム・マッカートニー・スネイプは、1990年にベンガル湾のサーガル島からエベレスト山頂までの1,200kmを踏破。海抜0mから徒歩でエベレスト登頂を果たした世界初の人物となった。吐き気や下痢に体力を奪われながら単独登頂に挑んでいた彼は、カメラ調整のために立ち止まった瞬間に滑落しそうになったという。
マッカートニー・スネイプのさらに上を行くのが、英国人のポーリーン・サンダーソンだ。2006年、彼女は海抜マイナス420mの死海からスタートして、エベレスト登頂を達成した。標高差は合計9,269mで、彼女は出発から約6カ月を経て夫のフィルと共にエベレスト山頂に到達した。2人は夫婦でエベレスト到達を果たした世界初のカップルとなった。

番外編

サー・エドモンド・ヒラリーによる人類初登頂50周年まであと4日と迫った2003年5月25日、息子のピーター・ヒラリーはエベレスト山頂から衛星電話で父と通話した。