F1史に永遠に刻まれる偉人ファン・マヌエル・ファンジオ
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F1史に刻まれたハットトリック

“ハットトリック” はサッカーの専売特許ではない。今年のF1カレンダーには3週連続GP開催が組み込まれている。というわけで、F1史に残るハットトリックをまとめてみた…。
Written by James W Roberts
読み終わるまで:8分公開日:
通常、F1のGPは隔週開催となっている。もちろん、2週連続でGPが開催される時もあるが、今シーズンのような3週連続のGP開催は前例がない
6月24日決勝のフランスGP(ポールリカール)を皮切りに、7月1日決勝のオーストリアGP(レッドブル・リンク)、7月8日決勝のイギリスGP(シルバーストン)と続くF1史上初の3週連続GP開催を祝い、今回はF1ファンの記憶に残る偉大な(そして不名誉な)ハットトリックの数々を振り返ってみよう。

ファン・マヌエル・ファンジオ:F1史上初の3年連続タイトル獲得

F1史に永遠に刻まれる偉人ファン・マヌエル・ファンジオ
F1史に永遠に刻まれる偉人ファン・マヌエル・ファンジオ
F1にまつわる “ベスト記録” をまとめたリストには必ずと言っていいほどファン・マヌエル・ファンジオの名前が登場するが、これは全く驚きではない。
この威厳に満ちたアルゼンチン出身の名手は、1951シーズンから1957シーズンの間に合計5回のワールドチャンピオンを獲得し、その中でF1史上初の3年連続のタイトル獲得を達成している。
1951シーズンにAlfa Romeoで初戴冠を果たしたファンジオだったが、翌1952シーズンはモンツァで行われた非選手権レースで負った怪我の影響で1年間の休養を強いられる。
しかし、1953シーズンに復帰したファンジオは、1954シーズン / 1955シーズン / 1956シーズンに3年連続でチャンピオンを獲得。3タイトルのうち、最初の2回は “シルバーアロー” と謳われたMercedes-Benzで獲得したもので、残り1回の1956シーズンはMaseratiで獲得した。
ファンジオ以外で3年連続ワールドチャンピオンを達成したドライバーは、Ferrari時代のミハエル・シューマッハRed Bull Racing時代のセバスチャン・ベッテルだけだ。

3連勝を達成しながらチャンピオンを獲得できなかったドライバーたち

ニコ・ロズベルグ&ルイス・ハミルトン
ニコ・ロズベルグ&ルイス・ハミルトン
どのモータースポーツカテゴリーのどのドライバーでも、3連勝を飾ったらそのシーズンのタイトルは手に入れたも同然と思うはずだ。
しかし、一部のF1ドライバーにこれは当てはまらないようだ…。
2015シーズン、ニコ・ロズベルグ(当時Mercedes)はシーズン終盤のメキシコ / ブラジル / アブダビで3連勝を飾った。しかし、チームメイトのルイス・ハミルトンがチャンピオンを確定済みだったため、ニコは3連勝を達成したにも関わらずタイトルを手にできなかった。
3連勝を達成しながら当該シーズンの王座を獲得できなかったドライバーはロズベルグだけではない。
“無冠の帝王” ことスターリング・モスのそのひとりで、1979シーズンのアラン・ジョーンズ、1989シーズンのアイルトン・セナ、1990シーズンのアラン・プロスト、1991シーズンのナイジェル・マンセル、1993 & 1994シーズンのデイモン・ヒル、1998 & 2006シーズンのミハエル・シューマッハなども含まれる。

ハンス・へイヤー:1レースで3回の失格処分

1970年代に活動したドイツ人ドライバー、ハンス・へイヤーはスポーツカーやサルーンカーを主戦場に腕を鳴らす実力派レーサーだった。しかし、彼がF1に残した記録は印象的かつ滑稽なものとなった。
1977シーズン、へイヤーは母国で開催されたドイツGPで生涯唯一となるF1へのエントリーを果たした。
しかし、母国のレースファンの間でカリスマ的な人気を誇っていたとはいえ、スポット参戦で予選通過できるほどF1は甘くない。へイヤーがあえなく予選落ちしたのは想定内だった。
しかし、彼の心は折れなかった。 普段からチロリアンハットを愛用していたことからファンの間で “ハット(The Hat)” と呼ばれて親しまれていたへイヤーは、旧知のマーシャルたちを甘い言葉で言いくるめ、その隙に彼のマシンを決勝グリッド上に忍び込ませることに成功した(!)
決勝がスタートしてから10周目、へイヤーのギアボックスが壊れ、彼の非公式なF1キャリアは終わりを告げる。しかし、予選落ち(DNQ:Did Not Qualify)/ 決勝リタイア(DNF:Did Not Finish)/ 失格(DSQ:Disqualification)を1回のレースウィークエンドだけで成し遂げたへイヤーの珍ハットトリックは、今後二度と繰り返されることはないだろう。 

グレアム・ヒル:世界3大レース優勝

グレアム・ヒルがモータースポーツ史に残した記録は驚嘆すべきものだ。
2度のF1ワールドチャンピオンを獲得したグレアム・ヒルは、1960年代から1970年代前半にかけて史上初のモータースポーツ3冠を達成。この記録は現在もなお破られていない。
モータースポーツ3冠(トリプルクラウン)は公式なタイトルではないが、具体的には「F1モナコGP」、「ル・マン24時間レース」、「インディ500」の “世界3大レース” 全てで優勝を果たす偉業を意味する。
ヒルは1963シーズンから1969シーズンにかけてモナコGP通算5勝を達成し、1966年にはインディ500のブリックヤードでミルクを飲み干し、さらに1972年のル・マン24時間レースで圧勝した。かくして、史上初・史上唯一の世界3大レース制覇は成し遂げられた。
また、こちらは偉業とは言えないものの、ヒルは1963シーズン / 1964シーズン / 1965シーズンで、3年連続ドライバーズ選手権2位を記録した。もちろん、これはこれで素晴らしい記録であることに変わりはない!

マラネロの悪しき伝統:Ferrariによる3度のチームオーダー事件

2002年オーストリアGPでのチームオーダー事件は物議を醸した
2002年オーストリアGPでのチームオーダー事件は物議を醸した
F1のチームオーダーは古くから存在するものだ。したがって、F1の歴史そのものと言える名門チームが3度に渡ってチームオーダー関連の事件を起こしてきたのも無理はない。
2002シーズン、ミハエル・シューマッハルーベンス・バリチェロを擁したFerrariの圧倒的な強さはピークに達していた。
第6戦オーストリアGPを迎える時点で、シューマッハはすでにこのシーズンのチャンピオン争いで圧倒的な優勢に立っていた。
しかし、Ferrari首脳陣はシューマッハのチャンピオン獲得を確実なものとするため、オーストリアGP決勝で首位を快走してチェッカーフラッグを目前に控えていたバリチェロに対し、シューマッハに優勝を譲れという指示を出す。シューマッハとバリチェロの2人は、表彰台で観客からブーイングを浴びせかけられた。
また、同年のインディアナポリスで開催されたアメリカGPで、ライバル勢に圧倒的な差を築いて独走していたシューマッハとバリチェロに対し、Ferrariは “意図的なデッドヒート” を演じるよう指示を出した。この試みは失敗に終わり、バリチェロが0.011秒差で優勝を手にした。この一連の経緯は、FIAの不興を買った。
2010シーズンドイツGP、FerrariはPR面で大打撃となる3度目のチームオーダー事件を起こす。
コンストラクターズ首位の座をRed Bull Racingから奪還しつつ、フェルナンド・アロンソの2006シーズン以来となるチャンピオン獲得の可能性を広げるため、Ferrariは決勝レース49周目にフェリペ・マッサに対し、アロンソへ順位を譲れというチームオーダーを発令。その結果、ファンは素晴らしいバトルを楽しむ機会を目の前で奪われた。
世界中にファンを抱えるFerrariは、3度に渡るチームオーダー事件によってその名声に傷をつけてしまった。

井上隆智穂:セーフティーカー絡みの珍事件(ハットトリック未遂)

井上隆智穂の代名詞となった1995年ハンガリーでの珍事件
井上隆智穂の代名詞となった1995年ハンガリーでの珍事件
グレアム・ヒルによる「世界3大レース優勝」は我々には決して手の届かない大記録だが、1990年代のペイドライバーで万年バックマーカーだった井上隆智穂(海外では「タキ・イノウエ」として一部のF1ファンに親しまれている)が1995シーズンに残したユニークなハットトリック記録(未遂)なら真似できるかもしれない。
当時Footworkのシートを得て参戦していた井上のF1キャリアは短期間だったが、コースカー絡みの2つのインシデントによって強く印象付けられている。
最初の事件はモナコGPのプラクティスセッション中に起きた。
スイミングプールセクションの近くでストップした井上のマシンは、井上がコックピットに座った状態のままトラックに牽引されてピットへ戻されることになったが、その途中で後方から走ってきたコースカーに追突されてしまう
結果、井上のFootworkは横転してしまうが、幸いなことにコックピットに座っていた井上に怪我はなかった。
また同じく1995シーズンのハンガリーGP決勝中、井上のマシンはエンジントラブルでストップした。
小さく炎を上げるエンジンを消火するマーシャルを手助けしようと試みた井上だったが、その姿がTVカメラを通して世界中に中継される中、後方からゆっくりと走ってきたコースカー(正確にはソビエト製のTatra 623)にはねられてしまう
善意から行動したはずの井上は足元から崩れ落ち、そのままあっさりと地面に倒れた。幸運なことに、井上は脚とプライドが若干傷つくだけで済んだが、このインシデントは、屈指の傑作モータースポーツGIF画像を生み出した。
残念ながら(否、幸いと言うべきか)、1995シーズン限りで井上の参戦資金は底をつき、セーフティーカー絡みの珍事件ハットトリックという試みは未遂に終わった。