あまりにも多くのエゴがひしめき合うF1の世界では、時としてビッグネームたちが大胆すぎる発言をするものだ。今回は、強気な予想や期待が外れてしまった例を7つ紹介しよう。
1. ファン・パブロ・モントーヤ
2002年の発言:
「ゾーン? 何それ? メンタル面の準備? それが何? レースの前に『ここのコーナーで誰々をパスして、あそこのコーナーでは誰々をパスして…』などと考えることはないね」
「レースが始まった瞬間、ライバルは予想と違う動きをするものさ。プランを立てたとしても、その通りになることなんてあり得ない。マシンに乗り、ドライブして、その場で判断していく… それだけさ」
モントーヤは上記の発言をしたあと、2002シーズンのチャンピオンシップでミハエル・シューマッハとルーベンス・バリチェロの2人に大差をつけられて敗北を喫している。
もちろん、当時のFerrariの2人は圧倒的な強さでF1界を制圧していたため、「ベスト・オブ・ザ・レスト」の選手権3位は決して恥ずべき結果ではない。
しかしながら、結果こそ選手権3位とはいえ、このシーズンのモントーヤはチームメイトのラルフ・シューマッハに対して何度か不必要にアグレッシブなアクションを仕掛け、貴重なタイムを失っていた。
結局、モントーヤはこの2002シーズンを1勝も勝利できずに終えることになる。対するラルフが第2戦マレーシアで1勝を挙げていることを考えれば、モントーヤのレースアプローチが正しかったとは言えない。
2. フェルナンド・アロンソ
2017シーズン シンガポールGP決勝前の発言:
「このコースでは好調だし、ウェットなら表彰台フィニッシュは確実だ。あるいは、優勝争いだって可能かもしれない」
2017シーズン、Honda製の新型パワーユニットへの不満を募らせながらも、フェルナンド・アロンソはシンガポールGP決勝に向けて手応えを感じていた。
しかし、キャリア屈指のビッグな勝利を目指してスタートを切ったアロンソは、ターン1で発生したキミ・ライコネン、マックス・フェルスタッペン、セバスチャン・ベッテルの多重クラッシュに巻き込まれてしまった。
普段は冷静さを失わないことで知られるアロンソだが、レース後にクラッシュのリプレイ映像を見て一世一代のビッグチャンスを失ってしまったことを知って激昂し、ドライバー控え室の壁にパンチして穴を開けたという。
3. フェリペ・マッサ
2012シーズン開幕前の発言:
「素晴らしいリザルトを手に入れて、かつてのように優勝戦線に戻りたいというモチベーションはこれまで以上に高い。最大のプレッシャーは、自分の内面から来ている」
「モチベーションはすごく高いし、素晴らしい1年・素晴らしいチャンピオンシップを過ごせると確信している。異なる特徴を持つ、異なるマシンを手にすることになるので、僕たちにとってこれまでとは違うシーズンになりえると考えている」
失意の2011シーズンを経て、フェリペ・マッサはより進化したシャシーを手にしてリザルトの向上に高い望みを持っていた。
しかし、残念なことに、彼の楽観的な望みは現実とはならず、マッサの2012シーズンはマヤ文明の人類滅亡説が現実になったかのような不振に苦しんだ。
開幕戦オーストラリアオーストラリアGPでのブルーノ・セナ(当時Williams)との接触を皮切りに、中国では決勝13位、スペインでは決勝15位、ドイツではダニエル・リカルドとの不必要な接触によってフロントウイングを失って入賞圏外の12位に終わるなど、マッサは低迷を極めた。
よって、2012シーズン末、Ferrariのマッサ放出は必至と考えられていたが、多くのFerrariファンの願いに反し、最終的にマッサは1年契約でマラネロに残留することになった。
4. ダニール・クビアト
2016シーズン開幕前の発言:
「(RB12は)F1史上最速マシンのひとつだ。コーナーリングスピードはダウンフォースレベルの増大に伴ってさらに高くなるはずだ」
「このコーナーリングスピードの向上を体感できるのはものすごくエキサイティングだよ。これが僕がこのマシンを楽しんでいる理由さ。コーナーを走るのが楽しいんだ」
上記のコメントに反し、実際のクビアトは全くと言っていいほどコーナーを楽しめなかった。第3戦中国GPにおいてRed Bull Racingにとってこのシーズン初の表彰台を届け、幸先の良いスタートを切ったかに見えたクビアトだったが、その後彼は自らのキャリアを急転下のうちに打ち砕いてしまう。
全ての間違いの引き金となったのは、彼の母国レースである第4戦ロシアGPのターン2だった。彼はセバスチャン・ベッテル(Ferrari)に2度も接触し、ベッテルをスピンアウトさせてしまう。
ベッテルからFワードまじりで激しく非難されたクビアトは、直後にToro Rossoへと降格され、そのまま2012シーズンを終える結果となった。
5. ピーター・ウォー
1984年の発言:
「たとえ天地がひっくり返ったとしても、ナイジェル・マンセルがGPで優勝することはありえないだろう!」
コーリン・チャップマン亡き後の名門Lotusを牽引した名マネージャー、ピーター・ウォーが残したこの有名な暴言は、当時Lotusの秘蔵っ子だったナイジェル・マンセルが1984シーズンのモナコGPでアラン・プロスト(当時McLaren)から奪った首位の座を自らの失敗によってみすみす手放したあとの発言だ。
のちにウォーは、この失敗がこのシーズン限りでのマンセル放出、そして翌1985シーズンに向けたアイルトン・セナ獲得を決断させた直接の理由になったと語っている。
一方、このシーズン末でLotusを追われたマンセルはWilliamsに加入し、加入初年度となる1985シーズンには2勝を記録。のちにマンセルが築く通算31回の優勝への基礎を固め、最終的には1992シーズンのワールドチャンピオンを獲得する。
これがウォーの地位にどのような意味をもたらしたかについては、謎であり続けている。
6. ジェンソン・バトン
2011年の発言:
「ルイス(・ハミルトン)のスピードは失われていないよ。彼は今でもスピードを秘めているし、信じられないほど速い。きっとカムバックしてみんなを驚かせるはずさ」
ジェンソンのこの意見は正しかったが、“みんなを驚かせる方法” に関しては、予想とは少し違っていた…。
しかし、ハミルトンがMercedesへ移籍した2013シーズンのマレーシアGP決勝中、間違って古巣のピットにマシンを停止させそうになった時、McLarenのピットクルーが驚いたのは確かだ。
ハミルトンは当時高い評価を欲しいがままにしていた元チームメイト(バトン)のことを考えていたのかもしれない。
尚、皮肉なことに、バトンも2011シーズンの中国GP決勝中に間違えてRed Bull Racingのピットに停止しそうになるミスを犯している。
7. エリック・ブロードリー
1997シーズン開幕前の発言:
「我々はワールドチャンピオンを狙うつもりで開幕戦へ向かう。ひとつだけ確かなことがあるとすれば、我々には優れたドライバーとシャシーがあり、それぞれが非常に素晴らしい仕事を果たしてくれるということだ」
これは、1997シーズンにMasterCard Lola F1チームを率いて参戦したエリック・ブロードリーという人物のコメントだ。彼の名を覚えていなくても仕方ない。
1996年、それまでF3000などのワンメイクシャシー製作で名を馳せていたLolaを率いていたブロードリーは、1998シーズンからの参戦を目指してF1チームを立ち上げようと決心した。
ところが、スポンサーだったMasterCardからの商業面でのプレッシャーもあり(一説によると、MasterCardは当時他チームとタンパリング交渉を行っていたという)、ブロードリーは計画を1年前倒しして1997シーズン開幕戦オーストラリアGPにチームをデビューさせることにした。
しかし、Lola F1 Teamの活動はこの1997シーズンのオーストラリアGP1戦限りで終焉を迎える。2人のドライバー、リカルド・ロセットとヴィンセンツォ・ソスピリは共に予選を通過できず、その直後にブロードリーはチームを畳んだ。
