サッカー
【EURO2020優勝記念】サッカーイタリア代表GK ジャンルイジ・ドンナルンマ インタビュー
EURO2020決勝でPK2本を止める活躍を見せて大会最優秀選手に選ばれたイタリア代表守護神が、これまでのキャリアや自分について語ってくれた。
「恐れ知らず」 - これがジャンルイジ・ドンナルンマのサッカーに対する姿勢だ。ピッチに初めて立った5歳からセリエAデビューを飾った16歳、そして自身初のメジャートーナメントとなったEURO2020出場まで、イタリア代表の新守護神は常に恐れることを禁じてきた。
また、ドンナルンマは野心家でもある。「できる限り多くのトロフィーを獲得したいですね」と彼は語る。「青いユニフォームを着たイタリア代表としてできる限りの勝利を得たいです。どうなるかは分かりませんし、大きな夢ですが、いつの日か… バロンドールも獲得できればと思っています。そのために必要なことはどんなことでもやりますよ」
ドンナルンマがプロサッカーシーンに登場してからすでにかなりの年月が経っているため、彼がまだ22歳だということを簡単に忘れてしまう。
ドンナルンマが、フランスとの親善試合のハーフタイムで彼のアイドルだったジャンルイジ・ブッフォン – ドンナルンマの21歳年上 – と交代してイタリアA代表デビューを飾ってから約5年が経った。そして、17歳189日でイタリア代表史上最年少ゴールキーパー記録を更新した彼は、それからたった2年で正ゴールキーパーの座を手にしている。
そのブッフォンはまだ現役で、2021-22シーズンは古巣パルマ(セリエB)でプレーしている。「僕も40歳になってもピッチでチームを助けていたいですね」と語るドンナルンマは、元ACミラン・元ブラジル代表ゴールキーパーのジーダをもうひとりのアイドルとして挙げている。「自室にはブッフォンとジーダのポスターを貼っていました。2人のことはずっと好きでしたね。サッカー選手のポスターしか貼っていませんでした。サッカーの部屋というか… とにかくすべてがサッカーでしたね」と彼は続ける。
“ジージョ” の愛称で親しまれるドンナルンマが初めてピッチに立ったのは、サッカーコーチだった叔父エンリコ・アルファーノにサッカークラブ “ASDナポリ” のアカデミーの練習に連れて行かれたときだった。ASDナポリはナポリ近郊のクラブで、ドンナルンマの地元カステッランマーレ・ディ・スタービアはナポリから南へ約30Km、世界遺産で知られるポンペイの真下に位置するコムーネだ。
「あのクラブでゴールキーパーへの情熱が芽生えました。ゴールキーパーとして初めてプレーした日に、初めてサッカーが楽しいと思えました。叔父が放つシュートに飛びついていましたね。恐怖は感じていませんでした。だからこのポジションを選んだのかもしれませんね」
「まだ身体は小さかったですが、情熱に溢れていました。あの頃からずっとゴールを守り続けています。昔から恐れ知らずでした」と振り返るドンナルンマは、土のピッチも嫌がらなかった。「もちろん、最初は嫌でしたよ。土のピッチへのダイブは簡単ではありませんからね。ですが、僕には情熱がありました」
少年ドンナルンマは、雨が降って練習ができなくなると泣いていたくらいサッカーを愛していた。
「学校が終われば一目散に帰宅していました。サッカーが自分のすべてだったんです。ですので、雨が降って練習が中止になると泣いていましたよ。とにかくプレーがしたかったんです。家の中で泣きわめいていました」
叔父のエンリコ・アルファーノが亡くなると、スカウトのエルネスト・フェラーロがドンナルンマの新たなメンターとなり、プロ入りを熱心に勧めるようになった。「フェラーロさんは僕の才能を信じ抜いていました」とドンナルンマは振り返る。「僕に情熱と努力があれば必ずセリエAでプレーして代表にも入れるといつも話していましたね。当時の僕はそのような話を夢としか思えませんでしたが、フェラーロさんが本当に信じていることは理解していました」
ドンナルンマは、謙虚さや犠牲心をはじめとする自分の価値観を植え付けてくれたのは、大工の父親だとしている。「父には色々なことを教わりました。彼が今の僕を作ってくれました」と語るドンナルンマは、父の仕事を手伝うこともあったようだが、「サッカーのことしか考えていませんでしたね。大工になることは一度も考えたことがありませんでした」と続けている。
ジャンルイジ・ドンナルンマ:キャリアハイライト
10歳になるまでにドンナルンマの身長は182cmを超えていたため、大きな注目を集めるようになった。そして、2013年に14歳でACミランへ入団するのだが、そこから先は簡単ではなかった。
「最初は、実家から遠く離れた生活がとにかく嫌でした。チームメイトと一緒にいる間はそのことを忘れているんですが、起床時が辛かったです。実家が恋しかったですね」と彼は振り返る。「毎朝泣いていましたよ。家族の元を去るのは簡単ではありませんでした」
しかし、ゲーミングがホームシックをある程度紛らわせてくれた。
「夕方になると、3〜4人で集まってビデオゲームで遊んでいました。ゲーミングはかなり楽しんでいましたね。対戦が面白かったです。まともに動かないコントローラーもあったのですが、問題なかったですね。とにかく楽しかったです」
ACミランでのドンナルンマは、自分よりも上の世代のチームで出場を重ねたあと、2015-16シーズンにトップチームへ昇格すると、当時の監督だったシニシャ・ミハイロヴィッチからすぐにチャンスを与えられ、2015年10月25日のサッスオーロ戦で初出場を記録した。まだ16歳242日だった彼は、ACミランの大先輩ジョゼッペ・サッキに次ぐ史上2番目の若さでセリエAデビューを飾ったのだった。
「ミハイロヴィッチ監督から “プレーするのが怖いか?” と訊ねられましたが、監督は僕が “怖くありません” と答えることを知っていました。出場経験がなくても怖がってはいけないのです。むしろ、僕は出場したい気持ちで一杯でした。ですので、監督とは良い会話ができましたね。監督から “お前を信じている。お前がチームの中で一番だ。次の試合で先発してもらいたい” と言われました。本当に嬉しかったです。監督に感謝したあと、“任せてください” と返しました」
「その日の練習後、シャワーを浴びて両親に電話するのが楽しみで仕方がありませんでした。ワクワクした瞬間でしたね。それで、父に “明日の試合で先発するんだ。電車に乗って観に来てよ” と伝えました」
ACミランはその試合を2-1で勝利した。ドンナルンマはドメニコ・ベラルディにフリーキックで(ポストに当たっての)ゴールを許したことを不満に思っていたが、ミハイロヴィッチ監督の言葉が彼を安堵させた。「監督からは “今日のプレーを続けろ。お前には全幅の信頼を置いている” と言ってもらえました。あの言葉はとても大きかったですね」
ドンナルンマはこの日からリーグ戦を5試合しか欠場していない。そして、すべてのプロフェッショナルと同じで、彼も非常に高い基準を自分に設定している。それゆえに彼は自分のミスを許すのに苦労するときがある。「ミスをしたあとは気持ちの整理に時間がかかりますね。ずっと囚われてしまうんです。試合後はアドレナリンが放出されているので眠るのが難しいのですが、ミスをしたあとは尚更眠れなくなります」
しかし、彼がプレッシャーに動じることはない。「冷静を保っています。これが昔からの僕の強みです」と語る彼は、次のように続ける。「セリエAで6シーズンプレーしてきたので、当然ながら周囲からある程度のリスペクトが得られています。ですので、自分の考えをしっかり伝えることを意識していますね。僕はまだかなり若いですが、意見を言って当然だと思っています。多少経験を積んできたので聞いてもらえますね」
「ゴールキーパーの意見はチームに伝える必要があります。守備の指示を出し、自分が後ろを守っているので安心だとチームに思ってもらうのです。僕も彼らがいるから安心できています。だからこそ、チームメイトは重要なのです。僕は彼らを信頼していますし、彼らも僕を信頼しています。この相互関係がチームにとって非常に重要なのです」
集中と学習も重要だ。ドンナルンマが続ける。「高い集中力も僕の強みのひとつですね。この強みを維持していきたいです。良く言われることですが、“次のキック” が一番重要なのです」
「また、学び続けることも意識してきました。5年、10年、20年経っても僕は学び続けます。練習へ出向けば、そこには常に学びがあります。僕は常にこう考えてきました。これが僕の一番大きな性格的特徴かもしれませんね」
では、ジージョが恐れているものはあるのだろうか? ピッチで絶えず滞空している人物の答えとしては奇妙に思えるかもしれないが、彼は飛行機が得意ではない。「飛行機が少し苦手なんです。慣れてきてはいるのですが(笑)」
▶︎世界中から発信される記事を毎週更新中! 『新着』記事はこちら>>