【ゲームを仕事に!】<eスポーツキャスター編・アール>~後悔なき人生を手繰り寄せるカギは"自己肯定感"にあり~
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【ゲームを仕事に!】<eスポーツキャスター編・アール>~後悔なき人生を手繰り寄せるカギは"自己肯定感"にあり~

eスポーツキャスターとして活躍するアール氏が"ゲームを仕事にする"ための秘訣を語る! ゲーム業界への就職活動(就活)のヒントがここに!
Written by 山本雄太郎
読み終わるまで:17分公開日:
突然だが、"ゲームに関わる仕事"と聞いて思い浮かぶ職業はどのようなものがあるだろうか?
ゲームクリエイター? プログラマー? プロゲーマー? 真っ先に連想しがちなのは恐らくこのあたりの職種だとは思うが、ほかにもゲーミングチームのコーチやマネージャー、ゲーム大会のイベンターやキャスターなど、いまやゲーム業界/eスポーツシーンはさまざまなプロフェッショナルたちの手によって支えられていることを、ぜひ知っておいてほしい。
彼らの活動内容や、そこに秘めたる想いを知ることで、きっとアナタのゲームライフはより豊かなものになるハズだ。
そんな"ゲームに関わる仕事"で活躍する人にスポットを当てることで見識や理解を深め、将来ゲーム業界に就職したい(就職活動をしたい)と思っている方々へ捧げる本インタビュー企画。
その第1回目としてお話を伺ったのは、eスポーツキャスター界の第一人者・アール氏だ。
eスポーツキャスター、アール(本名:野田龍太郎)。1979年4月23日生まれ、埼玉県出身。
eスポーツキャスター、アール(本名:野田龍太郎)。1979年4月23日生まれ、埼玉県出身。
日本でeスポーツキャスターという職業を確立させ、その最前線で活躍するアール氏に、キャスター業の魅力をはじめ、仕事をするうえでのポリシーや、やりがいなどを語っていただいた(下の動画は、アール氏自らプロデュースした自身のプロモーションビデオ【This is ARU】)。

◆自分の大好きなコミュニティーが、世間に認められない歯がゆさ

アール氏は、2000年代前半より格闘ゲームのアマチュア実況者として数々の大会でマイクを握り、2011年よりプロへと転向。現在はフリーの専業eスポーツキャスターとしてシーンの最前線で活躍を続けている。
そもそもeスポーツキャスターとは、おもにゲーム大会での試合実況やゲームイベントのMC(進行役)などを務め、試合の戦況や選手たちの心情、会場の熱狂などを観客に伝える職業のこと。
たとえるならば、F1/プロレス実況の古舘伊知郎さん、プロレス/総合格闘技実況の清野茂樹さん、野球実況の徳光和夫さんのような立ち位置だ。そのeスポーツ(コンピュータゲーム)版と捉えてもらって間違いない。
2021年現在、eスポーツ関連企業や芸能事務所との所属契約、またそうした企業からのスポンサードを受けている、あるいはフリーで活動している"プロeスポーツキャスター"の総数は、国内では30人と満たない。
そんなeスポーツキャスターという存在を職業として認知してもらうための活動に、国内でいち早く乗り出したアール氏。その原動力になったのは、いちプレイヤーとして格闘ゲームに打ち込んでいたころに抱いたある想いだ。
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「現在、さまざまなスタイルのeスポーツキャスターがいますが、自分の実況スタイルは、基本的にゲームのプレイ経験から生まれています。
<ゲームが好きで、格闘ゲームが好きすぎて、その格闘ゲームが世のなかに認められていないことに憤慨していた。だけど、独りよがりに『格ゲーはおもしろい!』と言い張っていてもナンセンス。何がどうおもしろいのか、どこがどうアツいのかを伝える人間がいないと、この魅力はなかなか伝わらないだろう>
そう、20代のころに思ったんですよね」(アール)
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アール氏とゲームとの出会いは、彼が小学6年生のころまでさかのぼる。当時『ストリートファイターII(以下、ストII)』がゲームセンターに登場し、その後一大ブームを築いていくなか、アール少年はゲームセンターに通い詰める友人たちを羨ましげに見つめる立場だったという。
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「当時の自分は親の方針で私立中学の受験を目指していました。めちゃくちゃゲーセンに行きたい気持ちがあったにもかかわらず、勉強を優先するため親からゲーセン通いを禁止されていたんです。
……だけれども、寝ても覚めても『ストII』のことばかりが頭を過ぎって勉強に身が入らず、結局は私立中学にすべて落ちて、公立の中学に行くことになりました。
何にせよ受験勉強が終わってしまえば親もとやかく言わなくなったので、しめしめとばかりにゲーセンに通い詰めるようになり(笑)、受験勉強の縛りから解放された反動もあって、ゲームにのめり込んでいったんです」(アール)
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格闘ゲームに魅了されたアール氏は、高校・大学と進学するに連れて地元埼玉から千葉や都内のゲームセンターにも足を伸ばすように。
そこで盟友とも言うべき存在との出会いも数々経験することになり、その顔ぶれのなかには現在レッドブル・アスリート(eスポーツ部門)として活躍するウメハラこと梅原大吾の姿もあった。
そして21歳のころには、当時流行していた格闘ゲーム『CAPCOM VS. SNK』の公式全国大会で準優勝を収めるなど、名実ともにトッププレイヤーとしてその名を轟かせていたアール氏。
"ベテラン格闘ゲーマー"たちによるゲーム大会で優勝したアール氏(下段中央)。キャスター業の傍ら、いまなおプレイヤーとしても有数の実力を誇る。
"ベテラン格闘ゲーマー"たちによるゲーム大会で優勝したアール氏(下段中央)。キャスター業の傍ら、いまなおプレイヤーとしても有数の実力を誇る。
しかしその裏では、同じく当時から"最強プレイヤー"と謳われていたウメハラをはじめとする盟友たちの活躍が、世間に認めてもらえない歯がゆさも感じていたという。
そこで、もともと裏方気質を持っていた彼は、次第に「自分の好きなコミュニティーがもっと大きくなり、世間にも広まってほしい」という気持ちに突き動かされるようになっていく。
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「20歳のころに『ストリートファイターZERO3(以下、ZERO3)』の大会を主催したんです。当時の公式全国大会というのはゲーム販促の意味合いが強いこともあり、ゲームがリリースされた初年(1年目)にしか開催されなかったんです。
最初で最後の全国大会で結果を出せなかったら、それで終わりみたいな風潮があったんですが……その大会が終わった後も引き続きゲームをやり込んでいた自分たちのようなプレイヤーとしては、やはり成果を披露する場がなくなってしまうわけで、悔しいじゃないですか。
だから、『メーカーが開いてくれないなら自分たちでやろうぜ!』と。ただ、変に本格志向なところがあったので、どこかのゲーセンを借りて、なあなあにやるというのも嫌だったんです」(アール)
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「本格志向」という言葉通り、アール氏が主催のひとりとして開催した『ZERO3』大会は千葉・市川の文化会館をレンタルし、そこに自費購入したゲーム筐体を運び込むという徹底ぶり。
さらには、当時のアメリカ最強プレイヤー、アレックス・ヴァイエ選手までも招いたうえ、日本全国の強豪プレイヤーによって王座を争うという異例の規模で開催された。
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「大したツテもないなか、段取りや設営もすべて自前でやり、当時はインターネットもそこまで普及していなかったので、宣伝も自分たちで行いました。
先輩の車に乗せてもらって、ウメハラたちと手当り次第にゲーセンを回り、とにかく『ZERO3』で対戦しまくる。そうすると、だんだんそのゲーセンの常連たちが集まってくるんですよね。
それで常連たちを相手に試合をし、ひとしきり連勝してみせたところで、『今度こういう大会を開くので、もしよかったら』と声をかけるんです(笑)。ポスターなんかも店に貼ってもらったりして」(アール)
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これ以上ないほどに実力行使の営業スタイルによって、全国の猛者たちを見事集結させたアール氏だったが、その背景にあったのはやはりプレイヤーとしての情熱だ。
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「結局、自分がそれだけの情熱を持ってプレイヤーとしてやってきたから、ほかのプレイヤーの情熱に敏感だし、その熱量をどうやって伝えるかというのがつねに自分の実況の根幹にあるんです。
いまでこそ、全国規模のビッグイベントのお仕事の話もいただくことはありますが、"ちょっとお呼ばれして出演する"程度の感覚では、自分の心情としてはお受けできないんですよね。そのコミュニティーに対して失礼だと思ってしまうから。
お仕事として引き受ける以上は、大前提として自分がそのゲームを理解できたと思うまでプレイして、熱心なプレイヤーの方々とも交流させてもらい、しっかりシーンの現状を知ったうえで臨むようにしています」(アール)
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「ゲームに関わる仕事」をする以上、プレイヤーやコミュニティに対するリスペクトは必須。そのことを"言葉"ではなく"心"で理解しているからこそ、アール氏の実況は観客たちの心を震わせるのかもしれない。

◆齢30にしてゲーセンバイトで武者修行!? 目指したのは"最強のキャスター"

20代のころから各地のゲームセンターで行われる草大会をはじめ、自身が主催した大会や、2003年~2012年まで国内で開催されていた大規模格闘ゲーム大会"闘劇"などでも、たびたびアマチュア実況者としてマイクを握っていたアール氏。
その後、結婚を経て環境も変化し、30歳を過ぎたころには「もう格闘ゲームは十分楽しみきったのではないか」という思いも頭を過ぎったが、そんな彼が"プロのeスポーツキャスター"を目指すようになったキッカケは2011年の東日本大震災だったという。
東北地方に多くの友人を持つアール氏。被災した友人に支援物資を送るべく希望を募ってみると、彼らは「無理なことを言っているのはわかっているんだけど、とにかくアールに来てほしい」と口々に言うのだった。
そんな友人たちの心の叫びを聞きつけたアール氏は家族を説得し、震災からわずか1ヵ月後に現地入りを果たす。そこで彼らとの再会を喜ぶ一方、アール氏は震災の爪痕を目の当たりにしたことで人生観が変わるような衝撃を受けたとも語る。
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「友人らの『ここに○○があった』『ここで親戚のおじさんが……』といった話を聞いているうちに、"死"って間近にあるんだなと思ったんです。
自分はその当時もう結婚をし、格闘ゲームはオンライン対戦で楽しんでいる状況だったのですが、頭の片隅にはいまだ何かしらゲームに関わる仕事をしたいという想いも燻っており、このままでいいのかなと。友人たちからも『生きているうちにやりたいことをやれ』と、背中を押されました。
『自分も明日死ぬかもしれない』という気持ちが湧き、だからこそ全力で生きようという覚悟が決まりました」(アール)
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そして東北から帰宅したアール氏は、"ゲームを仕事にしたい"という十年来の想いを妻に伝えることに。すると妻から返ってきたのは、『やっと気付いたの? 好きに生きて。死んだような顔で生きるな』との激励の言葉だった。
これからは遠慮なく、好きに生きよう。そう決意したアール氏は、これまでアマチュア実況者として数多くの現場を経験してきた自分だからこそできる役割だと信じ、当時はまだ存在すらしていなかった"プロeスポーツキャスター"という道を無我夢中で開拓していく。
2011年の震災以降、アール氏(写真中央)は海外の大規模大会(EVO)などにも現地リポーター兼プレイヤーとして精力的に参加するように。
2011年の震災以降、アール氏(写真中央)は海外の大規模大会(EVO)などにも現地リポーター兼プレイヤーとして精力的に参加するように。
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「当時のプロゲーマーといえば、ウメハラくらいしかいない状態でした。プロゲーマーの認知もまだまだなのに、"プロeスポーツキャスター"が職業として認められ、それで食っていけるようになるなんて夢物語だとは自分自身も思っていたんです。しかし、何年か後にでも自分がそう呼ばれる存在になるためにはどうしたらいいかと、真剣に考え始めました。
そこで思い至ったのが、自分なりの"最強のキャスター"を作り出すことでした。何日話しても声が枯れない、それでいて実況のクオリティーも落とさない、さらに正確性やエンターテインメント性も持ち合わせる……というような、誰が見ても最強だとわかる理想像を描き、それを本気で目指していく。
そんな"最強のキャスター"を志すうえで自分に何が足りないかと考えたときに、マイクを握ることを"日常化"しなければならないと思ったんです。そこでまず、やり始めたことが、マイクを使ってしゃべることができるゲームセンターを探し、夜番でバイトに入ることでした」(アール)
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アール氏は30代にして自らを研ぎ澄ますために、とあるゲームセンターのアルバイトとして勤務を開始。当時から格闘ゲーマー兼アマチュア実況者として、シーンの界隈では名の知られた存在であったにもかかわらず、自分を追い込むため、あえて格闘ゲーム筐体が設置されていない店舗を選んだという。
そしてクレーンゲームコーナーの片隅から時間の許す限り、新たな景品入荷情報やオススメの台などを宣伝する、店内の呼び込みアナウンスに打ち込んだのである。
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「プロとして対価をいただくためには、たとえばタフさひとつとっても、"普通の人"にはないプラスアルファが必要だと思いました。自分もバイトを始めた当初は3時間もしゃべり続ければ疲労を感じていましたが、日々地道に呼び込みを繰り返すうちに、気付けば7時間以上ぶっ通しでしゃべり続けても疲れ知らずな自分ができあがっていました。
あのとき、クレーンゲームコーナーを選んだのもいま思えば正解でした。どのようにしゃべったらお客さんがお金を入れてくれるか、また楽しんでくれるかが間近で観察できたので……。こちらの声に耳を傾けさせるために、語り口調や声色も必死に工夫しましたね。
基本的に、ゲーセンの店内放送なんて誰も聞いてくれませんから(笑)。それをどのように聞かせて、いかに『遊んでみようかな』と思わせるか、というノウハウを少しずつ溜めながら攻略していく。そんな日々でした」(アール)
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そうした下積みを1年半ほど続けた後、その身ひとつでさまざまなゲームメーカーやイベント主催社に営業をかけていったアール氏のもとには、じょじょに大会実況やイベントMCのオファーが届くように。
フランス・パリで開催された格闘ゲーム大会、Red Bull Kumiteでは、日本向け配信のメイン実況を務めた(写真手前から4番目がアール氏)。
フランス・パリで開催された格闘ゲーム大会、Red Bull Kumiteでは、日本向け配信のメイン実況を務めた(写真手前から4番目がアール氏)。
ただ、そうしてeスポーツキャスターとしての地位を地道に築き上げていくなか、次第に「なんで毎回、実況がアールなんだ」、「いつ見てもこいつじゃないか」といった視聴者からのコメントも目に入るようになっていったという。
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「本来、キャスターにはできる限り自分の個性を押し殺して、無味無臭な実況に徹するというスタイルもある。あってしかるべきだとは自分も思っています。
……ですが、自分は無味無臭でいるわけにはいかなかった。なぜかというと、自分は"eスポーツキャスターを仕事にしなければいけない"と思っていたから。自分がこの仕事で食っていくためにも、世のなかにeスポーツキャスターを職業として認知してもらうためにも、"アール"という人間に一定の存在感がなくてはならなかったんです。
とにもかくにも自分の実況にファンがついてくれないと始まらない。そう考えたがゆえに、毒にも薬にもならない実況はしないと心に決めていました」(アール)
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◆自分らしく生きてきた者にこそ、"自己肯定感"は宿る

eスポーツキャスターの第一人者として、まさに前例のない道を駆け抜けてきたアール氏。
友人でもある業界関係者に自らギャラ交渉をせねばならなかったり、音響トラブルにより自分の声が会場スピーカーから数秒遅れで聞こえてくるような現場で数時間しゃべり通さねばならなかったりした際には、さすがに「キツイ」と感じる瞬間もあったそうだが……。
ゲームをエンターテインメントとして、eスポーツとして盛り上げていこうという動きのなかでイベントを主催する側もすべてが手探りの状況にあった当時。そんな無茶な現場を多数経験できたことは、キャスターに求められる強靭な精神力や当意即妙な対応力を養う一助となったという。
そんなアール氏は、eスポーツキャスターという仕事にはかけがえのない喜びを得られる瞬間が3つあるのだと語る。
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「ひとつ目は、自分が実況したプレイヤーに喜んでもらえたとき。『アールさんに実況してもらって嬉しかったです』なんて言われたら、実況者冥利に尽きますよね。
プレイヤーを嫌な気持ちにさせないためには、何より正確性が求められます。たとえば実況の自分が『パナした!("技をぶっ放す"の意)』と表現したとして、プレイヤーからすれば『"パナした"わけじゃない』と思われるかもしれない。だから、確信がない限りは断定表現を使わないようにしています。
ふたつ目は、格闘ゲームをまったく知らない人に対し、自分の実況によって感動を伝えられたとき。2017年の"EVO"で、ときど選手が優勝した際に、テレビ番組の『笑ってコラえて!』で特集が組まれたことがあったのですが、その番組内で自分が実況した(EVO 2017の)試合映像が使用されたんです。
それってつまり、第一線級のテレビマンが見ても、実況を含めて『エンターテインメントだな』と思ってもらえたということなのかなと。まさに20代のころに抱いた、"自分の大好きなコミュニティーがもっと世間に認められるには"という命題にも通じる出来事だったので、非常に嬉しかったです。
そして3つ目は、『アールさんに実況してもらいたくて、この大会に出ました』と言ってもらえたとき。じつは少し前に、愛媛のeスポーツ団体からこんなお話しをいただいたんです。『アールさんに実況してもらえることを目玉に据えた大会を開きたいんです』と。
本来ならば花を添える立場である実況を、メインコンテンツのように扱ってもらえるなんて、なかなかないことで。個の実況者として認めてもらうために、無味無臭ではなく個性もうまく加えて両立させるスタイルを貫き通してきたことが、ここで報われたという気がしました」(アール)
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"アール節"を炸裂させるスタイルが実を結び、いまや海外ゲームファンからも慕われる存在に。フランスで現地ファンと交流するアール氏(写真中央)。
"アール節"を炸裂させるスタイルが実を結び、いまや海外ゲームファンからも慕われる存在に。フランスで現地ファンと交流するアール氏(写真中央)。
そんなアール氏が人生を楽しむことで大切にしているポリシーは、「向上心を持つこと」と「変化を恐れずチャレンジすること」。
そして、変化を恐れないためには"自己肯定感"がカギになるのだと説く。
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「人生において重要な決断やチャレンジをするうえで、大切なのは"自己肯定感"だと思います。仮に失敗したとしても、"自分で判断したことなんだから受け入れられるな"と思うことができれば後悔はないはず。そんな気持ちが生まれるかどうかを左右するのは、"自己肯定感"の有無であると自分は考えています。
"自己肯定感"って、ようは自分らしく生きてきたかどうか、自分自身に嘘を付いていないかどうか、という話なんだと思っていて。たとえば世間からはあまりよく思われていないことでも、自分がやりたいと思うからやっちゃった。これもまた、ある意味"自己肯定感"なんですよ(笑)。
たとえばマンガに出てくるような格好いい悪役って、よく恐れもせずにロシアンルーレットをやってのけたりするじゃないですか。あれも『俺は死なない』という"自己肯定感"があるからこそだと思うんです。綺麗ごとだけではなく、ときには泥臭く見えるようなことも含めて、根源的な意味での"自己肯定感"を積み上げる生きかたをしていれば、チャレンジは怖くなくなるんです」(アール)
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自分に正直に、自分の好きなものに対し正直に生きることの大切さを教えてくれたアール氏。
また彼の言葉や生き様からは、ゲームに対する情熱とシーンに関わる人々へのリスペクトや、固定観念を打ち砕くチャレンジ精神、ときにはピンチさえも糧にしようという向上心などが、eスポーツキャスターに必要不可欠であることも示されている。
"ゲームを仕事にする"(ゲーム業界に就職する)ことを志したいという方は、ぜひアール氏のこの言葉を胸に我が道を突き進んでいってほしい。

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自己肯定の上で挑戦すれば、失敗にはなり得ない。
アール

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