ガンプ鈴木|世界を駆ける人力車の旅人を知ってますか!?
日本の観光地でよく目にする人力車を海外に連れ出し、五大陸横断を目指すガンプ鈴木さん。道中で人々と楽しく交流する姿はSNSを通じて世界中へと拡散。ポジティブなパワーで多くの人の心を打つ、彼の冒険について教えてもらいました。
▼ ガンプ鈴木さん・プロフィール
人力車で世界一周に挑戦する旅人。これまでにアジア、ヨーロッパ、オーストラリア、アメリカ、アフリカを踏破(とうは)。海外だけでなく、北海道から沖縄までと国内も縦断。自身の旅をSNSや映画で発信し、世界中に彼のスローガン“JUST FOR FUN”を伝える。
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どうして人力車と旅をすることに?
きっかけは、先輩俥夫のシビれる一言
僕はもともと世界一周が夢のバックパッカーだったんです。それで、資金を集めるために23歳で人力車のアルバイトを始めました。振り返れば、その始まりは大学時代に遡ります。
大学までずっとサッカー部でプロの選手を目指してたんですけど、試合に出られなくて挫折しかけたんです。その時オカンに「辞めるくらいなら一度本場のブラジルに行け」と言われ、夢だったブラジルへ行くことに。
現地でサッカーチームにも所属することができて、そのうちに、海外で色んな人と交流できる当時の環境が面白いと思ったんです。サッカーやりながら旅して、ネイマールに会えて一緒に写真が撮れたり、「旅って、こんなにすごいんだ」と実感して。そんな経験を通じて、サッカーから世界を旅するバックパッカーへとシフトしていきました。
その後、大学を卒業して東京に出てきて、映像制作やデザインの仕事も試したけどしっくりこなくて。たまたま浅草で人力車を見かけて「面白そう」と思い、俥夫(しゃふ)さんに「コレ楽しいですか?」って聞くと「俺はこれで人生変わったよ」と。なんだかその短いフレーズに熱くシビれるものがあって、すぐにアルバイトを始めたんです。体力にも自信があったので、ぴったりでしたね。
それから人力車の面白さにどんどんハマって、“バックパッカーで世界一周する”ための費用を集める手段だったはずが、いつの間にか“人力車で世界一周する”ということに目的が変わっていました。
それで、会社の社長さんに使い込まれた一台の人力車を格安で譲ってもらったんです。最初は、海外にどうやって持っていけばいいのか見当もつきませんでしたが、調べていくうちに、大阪から上海まで輸送できるルートがあることがわかって。そこで、まず大阪まで自力で走り、そこからフェリーで人力車を上海へ運びました。その後、1年かけてアジアを旅したんです。
現在の目標は、世界五大陸を人力車で走破すること!
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ガンプさんが魅了された旅の醍醐味は?
人の優しさに触れられる交流、これに尽きる
人力車で走っていると、よく差し入れをもらうんです。服をもらう時もあるし、「私の家に泊まりにおいで」なんていうパターンもあるし、食べ物もめっちゃもらうし、日本だったら各地の名物をくれたり。そうやって現地の人と交流して人の温もりを感じるのが楽しいですね。
で、アフリカを旅していた時も、いろんな人と出会ったんですが、ここでちょっと特別な経験がありました。
自分の動画が全然リーチしてなくて、正直ちょっと落ち込んでいたんですね。そんな時、通りすがりのおっちゃんが僕に食べ物や水を渡してくれて。その動画を編集もせずそのままTikTokに投稿したら、なぜだかやばいほどバズって、次の日からめっちゃ差し入れをもらうようになったんですよ。
「あれ? なんかおかしいな」と思っていたら、とんでもなくTikTokのフォロワーが増えていて、最後の2週間は毎日食べ物をもらっていました。最終的にはゴール地点にステージが用意されていて、議員さんや副市長さん、南アフリカの元ラグビー代表選手とか、500人くらい集まってくれたんです。
たまたまもらった差し入れでそんなことになるなんて、ほんと人生はどこで何が起こるかわからない!
差し入れといえば、アフリカのボツワナでレッドブルをもらったことがあって、すかさずInstagramのストーリーに「もらいました!」って上げたんです。そしたら「この人にレッドブル渡せばいい」みたいな流れができたみたいで、その日からめちゃくちゃレッドブルの差し入れをもらえるようになりました(笑)。
レッドブルってどこの国でも売ってるんですね!? フィリピンもそうだったし、アフリカはほぼ全部の国で見かけた気がする。おかげで、世界中どこにいてもエナジーがもらえています。
03
エナジーが必要だったハードな出来事ベスト3
トラブルを乗り越えることが成長に繋がる!
1.
まず、1年目のインド。大阪から上海に上陸して人力車でインドまで行ったんですけど、「あなたはこれがあることでお金を稼げるから、観光ビザでは入れません」と言われて。せっかくインドに着いたのに、税関局に人力車を保管されて、日本に返送されたんですよ。ゴール間近で、いきなり振り出しに戻るみたいな。3か月間、税関局行ったり、日本領事館行ったり、なんとかしようとしたんですけど、ダメで。運送費も自分持ち。結局、インドでは一度も人力車で走れなかった。精神的にかなりきましたね。
2.
2つ目はアメリカ横断中の出来事。雪が降って寒くて体調崩して、ガソリンスタンドの人にお願いして人力車を置かせてもらったんです。でも次の日に行ったら、人力車がない。どうやら夜中に警察が持って行ったらしく。そこで警察署に行くと、人力車を引っ張る棒が折れてたんです。しかも「元から壊れてたよ」なんて言われて。いやいや、全然折れてなかったんですよ! その時はしかたがないので超強力なガムテープでぐるぐる巻きにして走り続けました。もうそれしか手段がなかったので…。
3.
3つ目はアフリカのボツワナでの話。トラックの運転手から、僕が野宿するつもりだった場所の近くにライオンが3匹いると教えてもらって、「行ったらやられるよ」と忠告されたので流石に断念。仕方なく草むらに人力車を置いて、「ライオンが出たので逃げます」って貼り紙して、近くの村へ避難しました。それで村長さんにお願いして村の家の横にテントを張らせてもらえることに。けど、そこも決して安全な場所ではなかったんです。ある日はテントの周りにサソリが30匹くらい集まってきたり、またある日は、寝袋の中に大きなムカデが入り込んでいたことも。この時期は毎晩寝るたびに、心臓がバクバクして気が休まることがなかったですね。
でも、毎回何が起きるかわからないけど、トラブルがないと楽しくない。旅を感じないというか。キツいことを乗り越えることが成長だと考えています!
04
ポジティブになれた最高の体験は?
あの時見たメッセージが今の僕を作っている
2019年のアメリカ横断が一番メンタル的にきつかったんですよ。約5年間ぐらい活動してきたけど、SNSも全く伸びないし、毎日40キロ走らないといけない。やってる意味が分からなくなりました。
「動画作らなあかん」 「走らなあかん」 「言ったからにはやらなあかん」と、全部 “have to(=〜しなければいけない)” になっていたんですね。
その時にいたアリゾナ州は、めちゃくちゃ暑いし、脚も痛めていて。もうだんだんネガティブ思考になって「やめようかな」と。でもやめられない。走らないと街に辿り着かないから。
で、黙々と走っていたら、ふと砂漠の脇に“JUST FOR FUN”と書かれた看板が出てきたんです。「うわ、めっちゃいい言葉やな」って思いました。意味は2つあって、「楽しむだけ」と、「ちょっと面白いからやってみよう」。
その言葉に救われたような気がして、また走り出したら、路上でギター弾いてるおっちゃんと遭遇して、彼が急にお金くれたんです。「なんで?」って聞くと、「JUST FOR FUN(楽しいから)」と返ってきました。その瞬間、全部がストンと腑に落ちた感じでした。「あ、楽しまなあかんな」と。
その出会いがなかったら絶対今の自分はないし、“JUST FOR FUN”って言葉に出会ったことで旅の目的も変わった。結局2019年のアメリカ横断は、コロナ禍の影響で断念したんですけど、2022年にリベンジして、あのおっちゃんを探しに行きました。
彼が演奏してた場所に行ったんですけどいなくて、周りの人に聞きまくったら、アッシュフォークって町のコンビニに朝食を買いに来るよって教えてくれる人がいて。次の日に向かったらギターのおっちゃんに出会えたんです!
「あなたに“JUST FOR FUN”と言われて救われたんです。今はそれを伝えるために旅をしてます」と話したら、「この世界は愛でできてることを伝えてくれ」と。もうシビレましたね。あれが人生のターニングポイントだったんじゃないでしょうか。
05
最強の俥夫を決める大会ってどんなの?
誰も見たことのない新感覚のイベントです
2025年の10月に開催されたRed Bull 人力車という大会を監修させていただきました。人力車を使ったレース形式のイベントで、1日目は100m走、2日目は障害物競争という2日間構成です。坂道などの障害物がコース上に置かれ、ブレーキのない車体を操りながら全力でダッシュし、最後は自分の足でピタッと止まってボタンを押す、緊張感あふれる競技になりました。
普段いろいろな観光地で働いてる俥夫さんたちが日本全国から一箇所に集まることはめったにないため、それだけでも非常に貴重な空間でしたね。
ここで俥夫についてちょっとだけ解説すると、「陸上やってました」とか「マラソン選手でした」とか、結構アスリート系の人が多い職種です。でもパワーや身体能力だけじゃなくて、おしゃべりもできないと人力車の仕事は成り立ちません。運動神経・筋力・語学・おしゃべり、さらには営業力まで求められるんですよ。
だから、自分の口で言うのも変ですけど、スーパーハイスペック集団(笑)。
また、人力車は車さえあればどこでもできるから、地域の活性化のためにやってる人もいる。中には60代の人もいるし、お笑い芸人と掛け持ちの人も。Red Bull 人力車にも個性が立っている凄腕の引き手55人が集まり、会場は終始にぎやかな雰囲気でした。
ほんとは僕も出場したかったんですが、当日はスポーツディレクターとして現地でしっかりイベントを解説。間近で選手たちの走りを見られたのは、とても刺激的な体験になりましたね!