Imazato(SFP)
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スケートボード

今里(SFP)というオトコの半生

ハードコアバンド、STRUGGLE FOR PRIDE(以下SFP)のメンバーとして絶大な支持を受ける今里氏は、10代からスケートボードを通じて一筋縄ではいかない人生を歩んできた。そんな今里氏のこれまで歩んできたスケボー人生をお伝えしよう。
Written by Kana Yoshioka
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今里(SFP)というオトコの半生

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固定概念にとらわれない自由な表現方法で、アスファルトを縦横無尽に滑走するスケートボーダーたち。この連載では、10代から20代をスケートボードに傾倒してきたスケーターが大人になった今、どういったライフスタイルをおくっているのかにフィーチャーしたい。好きなことを一意専心に続ける彼らの背中から見えてくる“何か”を自身の生活にフィードバックできれば、きっと人生はもっと豊かになるはず。
第五回目となる今回は、世田谷育ちのスケーター、東京のハードコアパンクバンド、STRUGGLE FOR PRIDE(SFP)のヴォーカルとして活躍する今里氏が登場。今回撮影場所に今里氏が選んだのは、スケートボードに関して10代の頃から思い出のある世田谷公園。スケートボードを愛するがゆえに巡り会ったさまざまな人、そして場所。この前編では、10代~20代前半の話しを中心にお届けしよう。
世田谷育ちとお聞きしましたが、スケートボードを始めたきっかけは何だったのですか?
今里(以下、IMZ) 10歳、ちょうど小4くらいの頃かな。なんかお下がりのスケートボードが家にあって、あれ親戚からとかなのかな? それに乗っていたら、スケートボードを持った、ちょうどタメのセントメリー(セント・メリーズ・インターナショナル・スクール)のヤツらがたまたま通りがかったんです。それで「一緒にスケートしよう」ということになったんですよ。ブロック塀をふたつ重ねて、板だけ置いてバンクを作ったりして、彼らと一緒にスケートし出すようになって、どこへ行くにも一緒に動いていました。その頃良く、みんなで蒲田へスケートしに行っていたこともあります。
当時はどんなスタイルで遊んでいたんですか?
IMZ セントメリーのヤツらは、2ブロックとかにしてた普通の子供だったんですけど、一緒にスケートしていたジョシュっていうヤツが「どうやら向こうでは、ハードコアパンクがスケートと繋がり出しているらしい」って言い出したら、いきなりある日遊んでいたヤツらが全員パンクになっていたことがあったんです(笑)。頭半分剃って、ライターでネルシャツを焼いてボロボロにして、そしてラジカセを持ってという。子供だから、すぐに真似をするじゃないですか。でもそういうバンド系の情報は当時は入りづらかったから、バンドのTシャツとかをどこで買ったらいいのかが分からない。そしたら、蒲田の商店街にあるロビーっていう靴屋の店の奥で、海外のハードコアのバンドのTシャツやテープとかが売っていることを知るんです。
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誰にロビーの存在を教えてもらったんですか?
IMZ 当時は子供だったから、スケートボードにバンドの名前とかをデッキテープにイキがって描くじゃないですか。その板を持って、目蒲線のどっかの駅の本屋で立ち読みをしていたら、腕にスーサイダル・テンデンシーズと書いてあるスタジャンを着たお兄さんが「ハードコア好きなの?」って話しかけてきて、「あ、はい。好きです」と答えたら、「ロビーって靴屋に置いてあるよ」って教えてくれたんです(笑)。良い情報を聞いた! ってことで、セントメリーのヤツらと一緒に蒲田へ行くようになったんです。電車にジャンプランプとか積んで、蒲田まで行っていたんですけど、当時はパンクの格好をしてスケートボードをしている子供はそこまでいなかったから、大人の人たちが可愛がってくれましたね。
その頃は逗子にも滑りに行っていたそうですが、他に滑りに行っていたお気に入りの場所はありましたか?
IMZ 当時、家の近くにガソリンスタンドを改造したスケートショップができたんです。レジの部分がスケートショップで、外のガソリン入れる部分にスケートランプがあってという。マービーズという店だったんですけど、そこで新倉くん(アーティストの新倉孝雄)に会うんですよ。新倉くんは当時から髪の毛が長くて、タイダイのTシャツを着て、スケートが超うまいみたいな。それこそ星野くん(星野正純)や、光くん(鈴木光)に出会ったのもマービーズでした。それまでは、ベニヤを壁に立て掛けたり、ジャンプランプって小さなランプを作って駐車場でやっていた感じだったんですけど、家から歩いて5分くらいのところにマービーズができてからは……まあ、通っちゃいますよね(笑)。中学校2年くらいの頃だったんですけど、そこから本格的にスケートをやり始めました。
ハードコアカルチャーに出会ったのも、この頃でしょうか?
IMZ そんなときに、ハードコアシーンとスケートボードという当時は画期的な《スラッシャー》のビデオが出たんですよ。衝撃的でした。《スラッシャー》は、最初は雑誌だけだったんですけど、テープとかも出すようになっていたから、そこからいろいろなバンドを知るようになって。音楽ページがあって、そこにいろいろなバンドが出ていたから、それをセントメリーのヤツらと観ながら「ヤバいらしいよ」って話しをしていましたね。
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今里さんはその頃からハードコア×スケートボードのスタイルかと思いますが、他のスケーターの方たちの格好はバラバラでしたか?
IMZ それぞれ違ったかと思います。みんな格好良かったですね。上の世代のパンクの人たちもそうだし、それこそ大瀧くん(T19 SKATEBOARDSの大瀧ひろし)もそうだし、新倉くんも、星野くんも、みんな格好良かったです。なかでもシャッフルというバンドをやっていたウッドさんという方がいるんですけど、原宿へ行くと、坊主で上半身裸で普通に道端でスケートボードしていたりしていて、そんなのを観てしまったら、「うわ~っ! 道で上半身裸になっていいんだ!」みたいな(笑)
そのときに乗っていた板は、なんだったんですか?
IMZ クリス・ミラーが好きで乗っていました。あとはニール・ブレンダーとかも乗っていたかな。靴は最初は《ヴァンズ》、途中で《コンバース》とかも履いていましたね。すぐに履きつぶしてしまうから、実は何も靴のことは考えていない。機能と価格しか考えていなかったから、気がついたらオール・スターばかり。それを履きつぶしていって。
中学校時代はマービーズ、では高校時代はどんなところで過ごしていたんですか?
IMZ マービーズへ行き出した頃に、星野くんが《スラッシャー》のビデオを持ってきたんですよ。そのなかに当時《スラッシャー》のカメラマンでモフォっていう人がやっているドランク・インジャスっていうハードコアのバンドの音楽が映像に使われていたんです。で、ある日突然、そのドランク・インジャンズのTシャツを着て星野くんが現れたわけですよ。「そんなのどこで売っているんですか!」って聞いたら、「バイオレント・グラインドって店が下北にある」って。で、そこに「行きたい」って言ったら、星野くんが「バイオレント・グラインド」へ連れて行ってくれたんです。これも中学校2年の頃の話しなんですけど、星野くんは大分僕の世界を広げてくれた人です。
クロさん(バイオレント・グラインドのオーナー)は、当時の今里さんから見たら、かなりパンチの効いたアニキ的存在だったのではないでしょうか?
IMZ 当時グラインドは「入りにくい」とか「怖かった」とか言われていて、そう言われる度に「そんなことなかったですよ」ってみんなに言っているんですけど……まあ、怖かったですね(笑)。おっかないな~っていう(笑)。僕は初めて行ったときは特に買い物はせず帰ってきたんですけど、すぐにまた行ってトラックを買ったんです。そこから1年くらい通っていたんですけど、クロさんとはまったく話ししませんでした。っていうか、話しかけられませんでした。基本的には年上の人ばかりだったし、それこそバンドの人もいれば、スケートをする人もいるって感じだったので、いつも緊張しました。店へいくときは、滞在時間は3分でしたね。それなのにある日、クロさんがいきなり「星野と一緒に来ているヤツだよね」「バイトしない?」と言ってきたんです。それで、その日からバイトをし出すんですよ、いきなり(笑)
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今里(SFP)というオトコの半生

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クロさんは、その頃から今里さんに目を付けてたんですね(笑)
IMZ どうなのかな、ヒマそうに見えたのかな。でももしそうだったら、嬉しいですね。働き出したのが高校に入った頃だったんですけど、でも仕事と言えばコンプリートを買っていく人たちの板を組んだり、デッキテープを張ったりとか、それくらいしかしなかったですね。店が8時に終わるとたいていみんなで遊びに行こうとなって、目の前にズー(下北沢のクラブ)があったんで、そのまま朝までズーで遊んで、クロさんが「寝てっていいよ」って言ってくれてたんで、店で寝て、次の日は昼間から仕事じゃないですか。だから学校なんかいかない。言ったらクロさんは憧れの人ですし、憧れの店で急に働かないかって誘われて、その頃は観るものすべてが新鮮じゃないですか。なんで即行切り替えましたね。グラインドでは店が閉まるまで3年くらい働いていたんですけど、世界がとにかく広がりました。あっと言う間でしたね。凄く楽しかったです。
その楽しい話しをひとつ、ふたつ聞かせてもらえますか?
IMZ もうたくさんありすぎるんですけど、話せないことばかりですね(笑)。本当にいろいろなところに遊びに連れていってもらったし、可愛がってもらいました。自分の人格はバイオレント・グライドで形成されたんだなって思うことがあります。あの頃は店に遊びにきていた人達もみんな10代で、無軌道だったから、もちろんトラブルも多かったし。店の前が坂だったんですけど、知り合いがその坂で滑っていて、そのままその坂の突き当たりの店にスケートボードごと突っ込んで、店頭の瀬戸物をぜんぶ破損するだとか、もっといろいろとあったんですけど、クロさんは全部そういうトラブルを自分で引き受けてくれていました。本当にいつも守ってくれていて、今でもそうなんですよ。
あたたかいですね。
IMZ バイオレント・グラインドが俺にとって学校であり、家庭だったから。やっぱり家とかでもいろいろあったんで、家にあんまりいたくない状況だったんですよ。学校へ行ってもみんなと話したりはするんですけど、自分と好きなことが一緒な人がいるわけでもなく。それと俺はバーッといっちゃう方だから、スケートボードの存在が、いろいろなことから逃げる先だったんです。なんか「これでいいんだ」って思わせてくれるのがスケートボードで、居る場所がバイオレント・グラインドだったりしたんです。それと今は街にスケートボード屋がたくさんあるけど、昔は店もないし、情報量が少なかった当時、自分はグラインドという環境にいて世界が広がった。それを今思うと凄く良かったなって思います。
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バイオレント・グラインドを卒業した後にバンド(SFP)を始めたんですか?
IMZ ちょうどバイオレント・グラインドの終わりくらいにバンドを始めたんです。スケートは続けてはいたんですけど、バンドをはじめたこともあり、それと楽しいことがよそにできたこともあって(笑)、スケートよりもそっちを楽しんでいた時代も何年かあったんです。で、スケートを久々にしようかなって思ったけど、どこで何を買っていいのかわからなくなってしまったときに、昔から知っていて、世田谷公園でスケートをやっていたトミー(T19 SKATEBOARDS)に聞いたんです。今の世田谷公園のスケートパークができる前の話しなんですけど、その頃は世田谷公園の売店があるあたりで、タダシ(=トミー)たちが作ったセクションが2つあってスケートしていました。20人くらい集まって、夏とか花火戦争をバンバンやったりして楽しかったですね。
怪我をされたこともあると聞きました。
IMZ 雑誌の依頼で転んだシーンの撮影をしたいとなって、それを世田谷公園のランプでやったことがあったんです。そのときに、本当に転んでしまって骨をバキバキに折ってしまったんですよ。今でもプレートとボルトが20本くらい足に入っているんですけど、それで駒沢病院ってところに3カ月ほど入院をしていました。15年くらい前ですね。そこでも、よしのすけと出会ったり(笑)。結果、そのときからスケートボードからは少し遠ざかってしまいました。でも前ほどゴリゴリにはやってなかったですが、足が治ってからは新宿にあったエディットというスケートパークや、三鷹や綱島のパークへ滑りに行っていましたね。
当時の憧れのスケーターは誰でしたか?
IMZ 日本だとウッドさんですね。バンドをやっているスケーターで好きなのはナオトさん。S.O.Bという大阪のバンドでベースをやっていて、今はRFDというバンドをやっています。向こう(アメリカ)だとビル・ダンフォース。今、ミシガンかどこかでスケートボードの先生をやっているんですよ。(YouTubeでビル・ダンフォースの映像を観ながら)懐かしいですね。これ「ヤングガンズ」っていうアルバ(アルバ・スケート)の映像で、アルバのスケーターたちって、基本みんな髪の毛が長いんですけど、ダンフォースは1人だけ坊主だったんですよね。
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ところで音楽をやってみたいなと思ったきっかけは何だったのですか?
IMZ 周りにいたバンドをやっていて、スケートボードもしている人たちが、格好良かったからですね。ドレッド・ヤンキーズとかバイオレント・グラインド周りでスケートをやっていた人たちのバンドもいたり、関西だとS.O.Bとか。格好だけスケートのメーカーのTシャツや靴を履いて、綺麗なスケートボードを持ってアーティスト写真を撮っているっていうんじゃなくって、本当に街でスケートボードをやっている人たちがやっているスケートのバンド。そんなバンドが凄く格好よかったんです。それに憧れてバンドを始めたようなものですから。今もそうですけど、いつもファン目線なので……。
スケートボードで得た感覚が、バンド活動に繋がっていると感じることはありますか?
IMZ 体感的なことではないんですけど、価値観で言えばあるかもしれないですね。それこそスケートパークでライヴをやったこともあるし、当たり前な感じなのかもしれないですけど、わざわざ何かをアレコレすることはないです。ノー・オールって蕨のバンドがいるんですけど、彼らも子供の頃からスケートをずっとやっていて、育った所は違うんですけど俺らと同じ状況だったと思うんですよ……。子供のころからスケートをやっていて、周りに年上でスケートをやっている人たちもいて、そんな中で音楽が好きになってバンドを始めてっていう。それが今も続いていて、あからさまに「スケートやっています」と言わなくてもライヴをやれば自然に周りにスケートボードをやっている人たちが集まってくる。そこは別にアピールしなくてもいいし、好きなものが身近にあるから、自然な流れになっているというか。スケートボードを全面に打ち出す必要はないっていうか。自分のバンドもそうかもしれません。
Profile
今里(SFP)
SFP=東京発バンド、STRUGGLE FOR PRIDE ヴォーカル。スケートボーダー、音楽家。DJ HOLIDAYとして全国各地にてプレイ中。現在、秋に向けてアルバムを製作中。