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飯島直樹:ブリストルと日本を繋いだ伝説のレコードショップオーナーの話

© Mitsuru Nishimura
2020年2月12日に逝去した下北沢のレコードショップDisc Shop Zeroのオーナーが日本とブリストルに与えた影響と功績を英国人の視点から振り返る。
Written by Kyle MacNeill公開日:
英国・ブリストル日本・東京の直線距離は9,650km。2都市間にはいくつもの国や海、大陸が存在し、地球半周ほども離れている。しかし、ひとりの男の情熱によってこの2都市は繋がっている。
ブリストルサウンドについて飯島直樹ほどの知識を持ち合わせている人はほとんどいない。実際、英国南西部に存在するこのシーンへの飯島の情熱は、彼を現地で活動しているローカルDJやプロデューサーたちと同等の存在にしている。
トリップホップやベースを取り揃えたレコードショップの経営から、ブリストルにインスパイアされたクルーの創設まで、飯島はまるで自分の出身地のようにブリストルを愛し続けた。しかし、悲しいことに、2020年2月12日未明、48歳で飯島はこの世を去った。
飯島が体調を崩しているというニュースがブリストルに届いた直後、Save Bristol Nightlifeの代表を務めるAnnie McGannがローカルドラムベースレジェンドとして知られるRob Smith(Smith & Mighty)と組んでブリストル(およびブリストルにインスパイアされた)ベースサウンドを集めたチャリティコンピレーションのリリースを企画した。
McGannは「仲間がトラブルに見舞われた時にまず取る行動は、トラブルを切り抜けるための資金集めです。ミュージシャンにとってその行動は音楽のリリースになります。これがこのコンピレーションの根底にあったアイディアです」と説明している。
Disc Shop Zeroのカウンターと飯島直樹
Disc Shop Zeroのカウンターと飯島直樹
しかし、それから1週間以内に飯島の容態が悪化してしまった。McGannが続ける。「私たちはナオキの病状がどれだけ深刻なのかを理解していませんでした。ですので、最初は、ナオキが回復してレコードショップの経営を再開できるようになるまで家族を支えようという考えでした。ですが、日が経つにつれ、その通りにはならないことに気が付きました」
飯島と妻の美和子がブリストルを初めて訪れたのは1994年で、2人がお気に入りのバンドのひとつ、The Moonflowersのライブを観るためだった。
フロントマンのSean O’Neillは追悼文の中で「俺が2人の面倒を見ることにしたんだ。俺たちは貧乏だったから、たいしたことができなくてちょっと申し訳ない気分だった。ダイニングの床に置いたマットレスしか用意できなかったからさ」と振り返っているが、飯島は気にしなかった。
「ナオキとミワコは心根が美しくて愉快だったね。何でも写真に撮っていたし、何でも面白がって笑っていた。ブリストルに来たのが初めてだったのにあそこまで知っているのが信じられなかった。サウンドを完全に自分たちのものにしていて、彼らの中から鳴っているような印象だった」
ナオキに匹敵するレコードコレクションを持っている人はブリストルにもいません。全部引き取ってブリストルでミュージアムを作ろうなんて言っていたくらいです
Annie McGann
それから5年後、飯島と美和子はブリストルへ戻ってきた。この時は2人のハネムーンだった。彼らのブリストルへの傾倒ぶりは地元紙『Bristol Evening Post』で取り上げられるほどだった。
当時、飯島は次のように語っていた。「ブリストルへ行くとみんなに笑われました。ブリストルの地元紙の記事の最後に僕の東京の住所と一緒に “東京で販売するためのブリストル在住の新たな才能を探している彼らは、バンドとシンガーのデモテープを受け付けている” と書かれていたからです」
1999年当時、飯島はすでに自分のレコードショップDisc Shop Zeroを立ち上げていた。1993年に江古田で産声を上げ、2002年に下北沢へ移転したこのレコードショップは飯島のユニークで膨大なブリストルレコードコレクションに引き寄せられた若手DJやベースファンの中心地として機能していた。
McGannは「ナオキのようにレコードを集めようとする人なんていませんでした。彼に匹敵するレコードコレクションを持っている人はブリストルにもいません。私たちが全部引き取ってブリストルでミュージアムを作ろうなんて言っていたくらいです」と語っている。
この頃のDisc Shop Zeroのサウンドはブリストルで台頭していたトリップホップシーンが中心に据えられていた。東京でベースナイトBack To Chillを主宰しているDJ / プロデューサーのEnaは、ブリストルサウンドへ急速にのめり込んでいった頃の自分を次のように振り返っている。
Massive AttachTrickyPortisheadのようなトリップホップの時代だったので、自然とブリストルサウンドを多く耳にしました。飯島さんはいつもブリストルのことを話題にしていたので、特別な街なんだろうと思っていました」
現在ブリストルのNoods RadioでレジデントDJを務めている東京在住のDJ、Mars89もブリストルシーンに魅了されたひとりだ。「単純にそういう響きのサウンドが好きだったんですが、ブリストル発だということを知らずに聴いていました。日本の多くのDJが飯島さんとDisc Shop Zeroを通じてブリストルを学びました」
できるだけ多くのサウンドを収集しようという飯島の強い気持ちは、ブリストルとの出会いによって生まれたものではない。東京を拠点に活動するグライムデュオDouble ClappzerzSintaは、飯島と初めて会った5年前に彼の収集癖のルーツを見た。
「子供の頃に『スター・ウォーズ』のアクションフィギュアなどを集めていたという話を飯島さんから聞いたことがあります。彼は情報を集めることでサウンドの全体図を理解することができました」
哲学者 / 文化評論家のWalter Benjaminはかつて「真のコレクターにとって、所有とは物質に対して人間が持ちうる最も親密な関係なのだ」と語っていたが、飯島のブリストル産のダブプレート、アート、カセットテープ、ヴァイナルのコレクションは自分の所有欲を満たすためだけのものではなかった。
彼のコレクションは東京の多くのDJ、プロデューサー、プロモーターにインスピレーションを与えるきっかけとなった。
飯島は、自分が東京へ輸入していたお気に入りのレコードをリリースしていたブリストルのDJやプロデューサーたちを招聘し、快く家に泊めていた。McGannの息子で、ブリストルベースのレジェンドとして知られるKahnは、有名だった飯島のホスピタリティについて「ナオキの家に泊めてもらったよ。愛すべき人物で無私無欲だった。本当に紳士で優しかった」と振り返っている。
また、飯島はKahnと共作をリリースしているNeekもジャパンツアーのタイミングで家に泊め、日本を見せて回った。Neekは「ナオキが東京でどれだけ重要な人物だったのかは理解しているつもりだ。アーティストの招聘において、ナオキは東京のシーンに本当に大事な存在だった」と語っている。
その後の飯島のブリストル旅行は短期で、しかもそのために貯金をしなければならなかったが、飯島はブリストルサウンドの福音を説き続け、2015年には東京にブリストルの郵便番号が与えられることになった。
飯島が率いるクルー&クラブナイトBS0は、実在しないブリストルの郵便番号から付けられた名前で、飯島の他にRiddim Chango Recordsオーナーの1TA、ローカルプロモーターのDJ DxOsam Green Giantの3人が参加していた。Young EchoAddison Grooveを含むブリストルの重要アーティストたちを東京へ招聘していたB20は、Back To Chillと並んで東京のストリートに新しいサウンドを届けた。
2017年に立ち上げられたエクスペリメンタルダブレーベルNewdubhallのクルーは飯島のレガシーを次のように強調している。「飯島さんはブリストルサウンドの魅力を日本全国に届けて、多くの日本人にとってブリストルサウンドを身近なものにしました」
飯島さんはブリストルサウンドの魅力を日本全国に届けて、多くの日本人にとってブリストルサウンドを身近なものにしました
Newdubhall
BS0は2018年に小休止したが、2019年にブリストルサウンドを紹介するインターネットラジオBS0 Radioと共に力強く復活した。当時、飯島は「リアルタイムでフレッシュにしたいので、日程と時間帯についてはかなり考えましたね。いつみんなが家に帰るのか、いつがベストの時間帯なのかを考えて、最終的に午後10時半に設定しました」と語っていた。
ブリストルのローカルがランチを楽しんでいる時間にミッドナイトバンガーをオンエアしていたBS0はBS1(ブリストルに実在する郵便番号)から9,650km離れているかもしれないが、クルーのブリストルへの敬愛とローファイサウンドへの忠誠によってブリストルシーンの中で確かな地位を築いていった。
BS0は、飯島が体調を崩した時に多くのブリストルのアーティストたちが集まった理由のひとつだった。最初は入院・治療費を助けるためのチャリティとして企画されたが、現在は飯島の家族を助けるためのチャリティとして継続されている。
Bristol x Tokyo』と名付けられた64トラック収録のコンピレーションには、ファン垂涎のKahn & Neek「16mm」、ブリストルが世界に誇るSmith & Mightyのスモーキーなダブワイズ、日本のKarnageのミッドナイトステッパー(2トラック)、そして飯島がブリストルと繋がるきっかけとなったThe Moonflowersの混濁のシューゲイザーなどが収録されている。
飯島直樹 aka Naoki E-Jima
飯島直樹 aka Naoki E-Jima
このコンピレーションは、ブリストルと東京を中心とした世界各地のアーティストたちが飯島の影響力を讃えつつ、偉大な人物だった彼の死を悼むためのものだ。
Kahnは「この前、俺がロンドンでプレイした時にBS0のクルーが来ていたんだ。泣いていた。かなり強烈な体験だったね。ナオキの死に打ちひしがれていたよ。親族ではなかったけれど、彼にとってナオキは本当に大切な人だったんだ。心を打たれたよ」と振り返っている。
Mars89は飯島へのトリビュートミックスをN00dsへ提供した。Mars89は「このミックスの後半50分は、Contact Tokyoで開催したパーティBS0xtraの飯島さんのセットです。DJブースに立っていた飯島さんを覚えています」と語っている。また、McGannと共に企画を立ち上げたRob Smithは、長年一緒に仕事をしていた飯島の葬儀のために東京へ向かった。
Newdubhallのクルーは次のように語っている。
「残念ながら飯島さんのような人物は二度と現れないでしょう。ですが、自分たちが連絡を取っているブリストルのアーティストたちが多少いますし、自分たちのようなアーティストやレーベルが日本に沢山あります。繋がりを維持しながら音楽制作やイベント、ギグを通じてその繋がりをさらに強くしていけば、シーンは続きますし、飯島さんのレガシーが引き継がれるでしょう」
BS0はブリストルサウンドを初めて日本に紹介したリーダーを失ったのかも知れない。しかし、物語は終わっていない。情熱を仕事に変えた飯島直樹は、東京とブリストルの絆を永遠にした。