A photo of Marc Márquez leading Jorge Lorenzo and Andrea Dovizioso at the 2018 MotoGP Grand Prix of Austria.
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MotoGP

MotoGP 70年史

WGPとして知られていた2輪最高峰レースが、1949年の創設から数えて70周年を迎える。幾多のスーパーライダーを輩出してきたMotoGPの進化の歴史を振り返ってみよう。
Written by James Roberts
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1894年に世界初の市販バイクが登場して以来、スリルを求める者たちがバイクを使ったレースを繰り広げてきた。
世界初の市販バイク登場からわずか数年後の1906年第1回マン島TTレースが開催されると、その後も第二次世界大戦終結までヨーロッパ各地の公道やフィールド、ダートトラックなどでバイクレースが開催された。そして1949年FIM(国際モーターサイクリズム連盟)が創設されると公式選手権が発足し、我々が知るレースフォーマットが形成されるようになった。
3月10日にカタールで開幕するMotoGP 2019シーズンを前に、今やスーパースターたちの宝庫に成長した2輪レースが辿ってきた進化の歴史を振り返ろう。
注:イラスト内英語説明文は各項目の最下部にトリビアとしてまとめた。

1949年:ロードレース世界選手権(WGP)の創設

1949年、FIMの発足を機に125cc / 250cc / 350cc / 500cc / 600ccサイドカーのクラスに分けられた正式な選手権が創設され、記念すべき第1回目が当時すでに有名だったマン島TTコースで開催された。
このシーズンは、元英国空軍Lancaster爆撃機パイロットレスリー・グラハムが英国製のAJSを駆って初代500ccクラスチャンピオンに輝き、同じく英国人ライダーフレディー・フリースVelocetteを駆って初代350ccクラスチャンピオンを勝ち取った。
《トリビア》
  • 1931年にMatchless、Associated Motorcycles、Norton-Villiersに買収されるまで、AJS(A. J. Stevens & Co)が製造したバイクは117件の2輪レース世界記録を樹立した。
  • AMCがレース活動から撤退する前、レスリー・グラハムはAJS E90 500cc Porcupineで1949シーズンの世界選手権を制覇した。
  • AJS RacingのマシンはAMC傘下でレース活動を続けながら進化を続けた。1939年、V4はアルスターGPコースで初めて平均時速100マイル(約160km/h)を上回ったバイクとなった。

1950年〜1975年:イタリアンメーカーが選手権を席巻

500ccクラスタイトルは、イタリアンメーカーが最初の26年で24回も獲得している。MV AgustaGileraなどに代表されるイタリア産マシンは、ジャコモ・アゴスチーニジョン・サーティースマイク・ヘイルウッドなどに幾多のチャンピオンをもたらした。
しかし、500cc以外のクラスでは熾烈な競争が繰り広げられ、日本のHondaSuzuki、英国のNorton、西ドイツ(当時)のNSUなどのメーカーがタイトルを獲得した。
《トリビア》
  • レースでの強さから、MV Agustaの市販バイクは当時のヨーロッパで大人気を博した。MV Agustaの販売戦略は「日曜日にレースで走らせ、月曜日に売り出せ」というものだった。
  • MV Agustaは1976シーズン最終戦優勝後に撤退した。ジョン・サーティース、ゲイリー・ホッキング、ジャコモ・アゴスチーニ、フィル・リードなどがMV Agustaのマシンで計18回の500ccタイトルを獲得した。
  • 英国人ライダー、セシル・サンドフォードはMV 125と共に1952年のマン島TTレースに参戦し、MV Agustaに世界選手権レース初優勝をもたらした。

1961年:2ストロークエンジンをめぐる疑惑と日本メーカーの躍進

1950年代、東ドイツのメーカーMZは200馬力を発生する革新的な2ストロークエンジンを開発。当時の名手だったエルンスト・デグナーを擁したMZは、50cc / 125cc / 250ccの3クラスで大手メーカーを向こうに回す素晴らしい活躍を見せた。
しかし、1961年、デグナーは日本のSuzukiからオファーを受ける。真相は今も謎のままだが、デグナーはMZの2ストローク技術に関する情報を携えて社会主義国の東ドイツからの亡命に成功し、Suzukiの現代的な2ストロークエンジン開発に貢献したと一部で囁かれている。
《トリビア》
  • 戦前はDKWと名乗っていたMZは、1948年に東ドイツの国有企業となった。
  • 東ドイツが生んだスーパースター、エルンスト・デグナーは、西側への亡命の際にウォルター・カーデンが手がけたエンジン設計図を持ち出し、Suzukiの躍進を手助けしたという憶測が飛び交った。
  • 1950年代初頭、MZのレース活動を統率していたウォルター・カーデンはディスクバルブ式の2ストローク・バイクを開発し、共産圏の高い機械技術を示した。

1960年代後半:コストとパワーの抑制

ジャコモ・アゴスチーニは通算8回の500ccタイトルのうち4回と、通算8回の350ccタイトルのうち2回を1960年代に獲得した。
最高峰500ccクラスでは依然としてイタリア産バイクが最速だったが、1966年にはHondaが日本メーカー初の500ccクラス優勝を記録。続いてYamahaSuzukiも複数のクラスで優勝とタイトル獲得を重ねていった。
激しい競争が繰り広げられる中、FIMは1967年にマシン開発コストの上昇を食い止める決定を下す。この決定は日本メーカーの反発を招き、Honda、Suzuki、Yamahaが相次いで世界選手権から撤退。この結果、MV Agustaが500ccで圧勝することになった。
《トリビア》
  • Honda RC181は1966シーズンから1967シーズンにかけて世界選手権500ccクラスに投入され、日本メーカー初のコンストラクターズタイトル獲得をもたらした。
  • メーカーの開発予算を制限するFIMの決定に反発し、Hondaは1967シーズン限りで世界選手権から撤退した。
  • 最高峰500ccクラスを2シーズン戦ったHonda RC181は19戦10勝を記録した。

1975年:日本メーカーが世界選手権を席巻

1970年代前半までに、YamahaHondaSuzukiの日本メーカーは125ccと250ccクラスで優勝とタイトル獲得を経験していた。
しかし、2輪最高峰クラス500ccでの日本メーカーによるタイトル獲得が実現したのは、Yamahaのマシンでアゴスチーニがキャリア最後のタイトルを獲得した1975シーズンだった。
アゴスチーニのタイトル獲得は日本メーカー躍進の嚆矢となった。翌1976シーズン、バリー・シーンがSuzukiと共に500cc王座に輝くと、その後も2007シーズンまで日本メーカータイトル独占時代が続いた。2007シーズンにケーシー・ストーナーDucatiでタイトルを獲得するまで、日本メーカーのタイトル独占は31シーズンも続いた。
《トリビア》
  • Yamaha YZR500は1973シーズンから2002シーズンにかけて世界選手権500ccクラスに参戦した。
  • 2002シーズンはYZR500ラストイヤーだったが、すでに4ストローク全盛となっていた。2002シーズンのYZR500は28代目に相当する。
  • ジャコモ・アゴスチーニ、ケニー・ロバーツ、エディ・ローソン、ウェイン・レイニーなどが駆ったYZR500は、通算10回のタイトルを獲得した。

1979年: 4ストローク技術と共にHondaが世界選手権復帰

1967シーズン限りで世界選手権から撤退していたHondaは、1979シーズンに2輪最高峰クラスへの復帰を果たした。他とは違うアプローチを模索していたHondaは、当時主流だった2ストロークではなく4ストロークを選択した。
しかし、結果は芳しいものではなかった。Hondaは1979シーズン第11戦イギリスGPでようやく4ストロークエンジンを実戦投入したが、2台揃ってレース序盤でリタイアした。
《トリビア》
  • Hondaは1979シーズンにNR500を投入して2輪最高峰レースへの復帰を果たした。NRとは “New Racing” の略。
  • NR500は苦難の戦いを強いられた。NR500はGP未勝利のまま、1982シーズンに2ストロークマシンへ置き換えられた。
  • Hondaは市販バイクと同じ4ストロークテクノロジーをNR500に採用していた。このため、よりパワフルな2ストロークエンジンを搭載したライバル勢に対抗するにはバイクの他の部分に工夫を加える必要があった。

1980年代:日本製マシンに乗る米国&オーストラリア出身ライダーたちの躍進

1980年代は2輪GPレーシングの爛熟期で、今も語り継がれる名バトルの数々が繰り広げられた。
ウェイン・レイニーフレディ・スペンサーエディ・ローソンウェイン・ガードナーなどの名手たちがYamahaやHondaのマシンを駆って強烈なスペクタクルを展開し、WGPの世界的な人気の拡大に貢献した。世界中の2輪レースファンにとって、上記の個性豊かなライダーたちはWGP黄金時代そのものだ。
《トリビア》
  • 4ストロークのNR500での失敗を受けてHondaはコンセプトを再考。1984シーズンにその先10年を席巻することになる名マシンNSR500を投入した。
  • 1992年、Hondaは4本のシリンダー全てを65°〜70°位相で不等間隔爆発させる革新的なV4 “ビッグバン” エンジンを採用した。このエンジンを使用したミック・ドゥーハンはタイトル5連覇を達成した。
  • グリッド上で最もパワフルなバイクだが、ハンドリングが極めて困難なことでも知られていたNSR500は、1984シーズンから2002シーズンにかけて、1994シーズンから1999シーズンの6連覇を含む10回の500ccタイトルを獲得した。

2000年代:MotoGPの発足

Hondaが500ccクラス6連覇を果たした1990年代が終わり、新たなミレニアムを迎えると共に世界選手権は大きな変革を迎えた。2001シーズンにバレンティーノ・ロッシが初の500ccタイトルを獲得した翌年、世界選手権は新たにMotoGPという名称に改められた。
この名称変更に伴い、テクニカルレギュレーションにも抜本的な改訂が実施された。4ストロークエンジンが再導入され、最高峰MotoGPクラスの排気量は990ccへ拡大した。
2002シーズンの新生MotoGPはロッシが王座を獲得し、2001シーズンから2005シーズンまで4連覇を達成した。
2007シーズン、MotoGPのテクニカルレギュレーションに再度改訂が加えられ、排気量が800ccに引き下げられると、オーストラリア出身のケーシー・ストーナーがこの機を活かしてイタリアのDucatiと共にタイトルを獲得。30年以上続いた日本メーカーによるタイトル独占に終止符を打った。
《トリビア》
  • 4ストロークに固執していたDucatiは、2ストローク全盛の1970年代に世界選手権から撤退した。
  • 2007シーズン、さらなるルール変更で最高峰MotoGPクラスの排気量は800ccへ拡大。この変更にどこよりも上手く対応したDucatiは、ケーシー・ストーナーと共に初のMotoGPタイトルを獲得した。
  • 2002年にシリーズ名称がMotoGPに改められ、4ストロークを優遇するルールに変更されると、Ducatiは世界選手権復帰を決定した。

2012年・2016年:テクノロジーの変革

2012シーズンに向け、MotoGPマシンの排気量は1,000ccへと再び拡大され、ホルヘ・ロレンソマルク・マルケスのスペイン人コンビによる新時代が始まった。
2016シーズンにはそれまでのBridgestoneに代わってMichelinがタイヤサプライヤーとなり、マシンに搭載されたハードウェア&ソフトウェア・パッケージの変更により戦力の均衡化も図られた。結果、このシーズンは9人ものレースウイナーが生まれる異例の混戦模様を呈した。
この時代は、ロレンソがYahamaと共に2012シーズンと2015シーズンの王座に輝いたが、それ以外はマルケスが席巻しており、2013シーズンに史上最年少となるMotoGPチャンピオンを獲得すると、2018シーズンまで合計5回のタイトル獲得を重ねている。
2019シーズンはマルケスのチームメイトとしてロレンソがHondaへ加入した。進化を続けるMotoGPはスリリングな新章を迎える。
《トリビア》
  • かつてのバレンティーノ・ロッシの背中を追ってYamaha YZR-M1を駆ったホルヘ・ロレンソは、2010シーズン / 2012シーズン / 2015シーズンのタイトルを獲得した。
  • MotoGP発足15年目を迎えた2017シーズン、Yamaha YZR-M1はバレンティーノ・ロッシと新鋭マーベリック・ビニャーレスの2人を年間総合トップ5に送り込んだ。
  • 2019シーズン開幕へ向けたヘレステストで、ビニャーレスは2019年仕様のYamaha YZR-M1を絶賛し、「このバイクは互角に渡り合えると思う。タイトルを獲れるバイクだ」と語った。