Ale Mazzara throws shapes in the deep end of an extension build at Ostia Skatepark in Italy
© Piero Capannini
スケートボード

スケートボード:15のトリビア

全米のスケートパークの数は? 世界的に人気のボードスポーツの様々なトリビアを紹介!
Written by Esther Hershkovits
読み終わるまで:7分Published on
スケートボードは波に乗る楽しさを陸地でも味わいたいと思ったサーファーたちによって1950年代に考案されたあと、時間とともにただの暇つぶしから身体能力の限界を試す本格的なスポーツへと進化し、東京2020ではオリンピック正式種目に採用された。
というわけで今回はその特徴や成り立ちを15のトリビアで振り返っていこう。
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スケートボード:15のトリビア

オリジナルは木箱

スケートボードの正確な起源は分かっていないが、黎明期のスケートボードはダウンヒル専用で、木箱にローラースケートのウィールを貼り付けただけのものだったと言われている。最初は木箱の側板が残されており、ハンドルバー代わりに使用されていたが、やがて側板が取り除かれて底板とウィールだけになった。

© Kat Nijmeddin

最初は “サイドウォーク・サーフィン” と呼ばれていた

サーファーたちが木板製スケートボードを波がないときのサーフィンの練習に使用できることに気付くと、彼らはコンクリートバンクに持ち込んでライディングするようになった。そのため、黎明期のスケートボードは “サイドウォーク・サーフィン” または “サイドウォーク・カービング” と呼ばれていた。実際、1960年代の初期スケートボードトリックはビッグサーフィンのターンを模したものだった。

最初は裸足だった

黎明期のスケートボードはサーフィンと強く繋がっていたため、当時はサーフィンと同じく裸足で楽しまれており、つま先でボードの先端を掴んでジャンプ(現在のオーリー)していた。

競技人口は全世界8,500万人

スケートボードは米国発祥のスポーツだが、スケートボードカルチャーは世界中に存在する。全米のスケートボード人口の半数以上がカリフォルニア州在住で、そのうち75%以上が18歳以下となっている。競技人口の多さは世界第6位となっている。

ポリウレタンが革命を起こした

オリジナルのスケートボードのウィールはクレイ製で非常に重くて壊れやすく、私たちが見慣れているような高度なライディングには適していなかった。次にスティール製のウィールが使用されるようになったが、1970年代に今も使用されているポリウレタン製ウィールが発明された。ポリウレタン製ウィールは軽量かつ耐久性が高く、高速でのトラクションも得やすかった。
現在のスケートボード

現在のスケートボード

© Fine Lines / Red Bull Content Pool

最初のスケートパークは1965年に建造

1965年世界初のスケートパークアリゾナ州タクソンに建造された。“サーフ・シティ” と名付けられたこのパークには、今と同じようなボウルが用意されていた。その後、全米各地にスケートパークが建造されるようになった。
1976年にはカリフォルニア・カールスバットに建造され、同年にはオーストラリアにも建造された。最古の私有スケートパークは1977年フロリダ州ジャクソンビルに建造されたKona Skateparkで、現在も運営されている。
ザイオン・ライト

ザイオン・ライト

© Anthony Acosta

オーリーの発案者はアラン・ゲルファンド

1978年、スケートボードのノーズを足で浮かしてノーハンド・エアを世界初メイクしたのがアラン・ゲルファンドだった。彼はフロリダ州出身のプロスケートボーダーで、キャリアのためにカリフォルニアへ移っていた。彼は、ハリウッドのSkateboard USA Parkでトレーニングをしているときに両手を使わず、両足からボードを離さずにボードを空中に浮かせる方法を考案した。
スケートボードメディアがこれを取り上げ、ゲルファンドのニックネームにちなんで “オーリー” と名付けた。その後、バーチカル / ストリートライダーたちがこぞって採用したことで、スケートボードはさらなる進化を遂げた。

ストリートの始祖ロドニー・ミューレン

ロドニー・ミューレンはスケートボードの父として知られている。なぜなら、世界初の “フラットランド=平地” ライダーのひとりだったからだ。フロリダ州出身の彼は幼少期にスケートボードに夢中になった。
そして前項のゲルファンドのボウルでのライディングを見たあと、それを平地で試し、世界初の平地でのオーリーのメイクに成功した。この平地でのライディングが、スケートパークよりも街中で楽しまれるストリートスタイルの基礎となった。
また、ロドニー・ミューレンは、ポップ・ショービット、キックフリップ、ヒールフリップ、トレフリップなど現在のフラット系トリックの多くの基本をスケートパークではない場所で発明した。
ロドニー・ミューレン

ロドニー・ミューレン

© Micheal Darter / Red Bull Content Pool

スイミングプールがインスピレーション

1970年代前半に南カリフォルニアを襲った大干ばつによって、プール付きの家を持つ人たちはプールの水を水道水代わりに使用した。その後、ライダーたちは空になったボウル型プールがビッグウェーブサーフィンに似ていて、丘や土手よりも楽しいことに気付いた。
彼らはライディングのために大きなプールを探し回るようになり、結果的にそのようなプールにインスパイアされたスケートパークが建造されるようになった。
ボウルでライディングするCJ・コリンズ

ボウルでライディングするCJ・コリンズ

© James Matthews / Red Bull Content Pool

初期X Gamesはスケートボードが主役

1995年に創設されたX Gamesはエクストリームスポーツイベントで、伝統的なスポーツに興味がない新しい世代を引きつけることが目的だった。その黎明期においてスケートボードは大々的にフィーチャーされ、このイベントに多くのエクストリームスポーツ / アクションスポーツファンを呼び込む助けとなった。現在、X Gamesは世界最大級のスポーツイベントのひとつとなっている。

1999年にトニー・ホークが900°をメイク

トニー・ホークはスケートボードの “G.O.A.T.” として知られている。トニーは長年シーンを牽引した他、競技としてのスケートボードを大きく進化させることにも貢献した。
そのトニーは、900°(2回転半)の世界初メイクに成功したライダーとしても有名だ。それまで、このトリックは絶対に不可能だと思われていたが、彼によって現代のビッグスピン系トリックの扉が開かれた。尚、トニーは48歳でも900°のメイクに成功している。
Tony Hawk, 900 at 48

Tony Hawk, 900 at 48

© [unknown]

ステアの世界最高記録は25段

ストリートスタイル最大の記録のひとつは、“ジョーズ” ことアーロン・ホモキが保持している。なんと25段をクリアしたのだ。このステアは “ザ・リヨン” というニックネームで知られており、2003年にアリ・ボウララが初挑戦した。凄さを理解してもらうために記しておくと、このステアは全高4.3m・全長7m以上もある。

スケートボードは億万ドル産業

現在、世界全体のスケートボードの市場価値は20億ドルを超える。オリンピックの正式種目に採用されたことやパンデミック、そして#SkateTokのようなソーシャルメディアの流行により、世界各地で競技としてのスケートボードが盛り上がりを見せており、スケーボード業界はこれまでにない規模とスピードで成長している。

全米のスケートパーク数は3,100超

スケートボードの人気は世界的に高まっているが、その人口の大半は発祥の地である米国に居住している。この結果、米国内の多くの市町村がスケートパークを建造しており、現在その数は3,100を超えている。
Venice Beach Skatepark

Venice Beach Skatepark

© David Clancy

東京2020からオリンピック正式種目

オリンピックの正式種目に採用されることはどのスポーツにとっても大きなマイルストーンになる。しかし、スケートボードはスポーツなのかアートなのかで意見が二分しているため、オリンピックの正式種目に採用されることが決定したあともそのリアクションは様々だった。
スケートボードの身体性とこれまでの努力がようやく評価されたと考えた人たちがいれば、カウンターカルチャー的側面が失われることを心配した人たちがいた。
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