あまりにも若過ぎる奇跡の天才を独断と偏見で解剖する
音楽というものをどっぷりと嗜好するようになって30年以上にもなると、筆者のようなヘボリスナーですら、少々の“才”を垣間見たぐらいでは驚かなくなってしまうもの。
もちろん良い曲、良い演奏、良いパフォーマンスは世に中に溢れているのだが、なんというか、常識がひっくり返されるような“驚き”には中々出会えなくなってしまうのだ…。
それだけ歳を食ったということでもあるわけで少々寂しく思っていたわけだが、一昨年程前、久々にその手の驚きに出会うことができた。
ジェイコブ・コリアー(Jacob Collier)。1994年ロンドン生まれの23才(記事公開時点)という若さまっただ中のアーティストである。洋楽に強いヘヴィーリスナーからしたら何を今さら、という諸兄もおられるだろうが、そう、彼はすでに昨年に発表したデビューアルバムでグラミー賞を2部門も受賞しているだけでなく、ハービー・ハンコック、チック・コリア、パット・メセニーといったジャズシーンの重鎮から絶賛を浴びまくっているという話題の人なのである(ちなみに日本でもすでに3度ほど来日公演を行っている)。百聞は一見にしかず、ますは見て頂こう。
一見してタダモノではないのはお分かりいただけたかと思う。というわけで彼のコトをグーグル先生に訪ねてみるだけで、日本語の情報も豊富に得られるはずなので、知らなかったけど興味を持った、という方は改めて検索してみるといい。
ちなみに筆者も当原稿執筆の参考にするため、検索を掛けてみたのだが、試しにそこに並んでいる彼を形容する言葉や、彼に対する評価を参考までに書き出してみよう。
世紀の天才
驚異的なワンマンパフォーマンス
一人多重録音
一人アカペラ
ワンマンオーケストラ
卓越したセンス
ジャンルを超越
まあ、つまり昨今のネット用語で言うところの「人外」というわけだ。全てを自分でこなしてしまうマルチミュージシャン、それも全てが驚く程高いレベルで。そりゃ注目されるわけだ。
これまでの“マルチ”ミュージシャンと圧倒的に違う点とは?
とはいえ全ての楽器を自らこなしてしまうマルチミュージシャン、マルチアーティストはこれまでにももちろん多数存在していた。
古くは「チューブラー・ベルズ」のマイク・オールドフィールドやレニー・クラヴィッツ、もちろんジョン・レノンだってプリンスだってそう。それに程度の差を問題にしなければ殆どのプロミュージシャンは複数の楽器が弾けるものだったりする。
つまり、一人で全てをこなしてしまう、という部分に、驚異的な、とか、奇跡の、などと装飾語を付けた状態がジェイコブ君に対する一般論的な評価となっているわけだ。
もちろんそれはそれで間違いではないのだが、これだけでは今ひとつ何が凄いのかよく分からない。特に音楽を自分で奏でない、楽器を嗜まない一般的な音楽ファンには、それだけでは中々伝わりづらいのではないか。というわけで、ジェイコブ・コリアー君の何が凄いのか、なぜこれ程までに注目されているのか、を自らハードルを上げまくったあげく、筆者の独断と偏見全開で勝手に考察してみたい。
ジェイコブ・コリアーの凄さ。それは脳髄から直接楽器にコネクト(接続)できる能力 ※極論です
まず、一体何が凄いのか、についてなのだが、マルチプレイヤーとしての性能が圧倒的に高い! 高過ぎるのだ。
こう書いてしまうと「さっき聞いたよ…」と思われてしまうかも知れないのを承知で強引に進めていくが、その演奏レベルが異常なのだ。いわゆる(曲を表現するのに必要な技術を持つ)マルチプレイヤーというレベルをはるかに超え、その楽器の専門家、トッププレイヤーですら舌を巻いているという。
例えばこの動画を見ていただきたい。これは昨年、彼がワンマンライブを行った時の映像だが、曲中はもちろんなのだが、本当に注目していただきたいのは曲に入る前、彼が他愛も無いことを話ながら、まるでアペタイザー(前菜)を楽しむかのようにキーボードを弄ぶシーン。筆者などはこのシーンだけでゴハン何杯でもいけそうなのだが。
遊んでいるだけかと思った刹那に突然曲が浮かび上がる瞬間は鳥肌モノ。
その後も次々と楽器を取っ替え引っ替えしながら演奏が続くのだが、その各楽器の演奏がどれをとっても超一級品。ジェイコブ君がやけにあっさりとこなしているのでピンとこないかもしれないが、正直これだけの数の楽器をこのレベルまで極めようとすると、例えば筆者などのような凡人中の凡人の場合、人生を何十回ループしなけりゃならんのか想像もつかない。
脱帽ついでにご機嫌なベースラインとリズムアレンジが聴けるこちらの動画も紹介しておこう。個々の演奏能力の高さがよりお分かり頂けるだろう。
ここからは完全に筆者の推論となるが、きっと彼は、頭の中に鳴っている音を楽器を通して瞬時に実音に変換できる能力が、生まれつき備わっている希有な天才なのだと考える。というかそうとしか凡人には解釈不能なのだ。
少々乱暴な論になってしまうが、音楽理論云々よりも先に音が頭の中で生み出され、しかもそれを五体を通じて瞬間的にアウトプット(演奏)できてしまう。しかも生み出される音が全部正解なのだ。イメージを瞬時に、そして正確に具現化する。そんな“神様からのギフト”の前においては、技術云々などはさしたる問題ではない。
さらに強引な物言いをすれば、“脳みそで直接楽器を弾いている”ようなもの。つまり凡人は歯ぎしりしながら彼の演奏に身を委ねとけ、というわけだ。
複雑な音構造を“徹底した分かりやすさ”でコーティングする現代的センス
そしてなぜこれ程までに注目されたのか、という点については、YouTubeから世界に羽ばたいた、というプロフィールにこそそのファクターが隠されているように思う。
元々ジェイコブ君はYouTubeに自らのアカウントを持ち、自ら制作した演奏動画を公開していたところ、話題となり人気に火が付き、あれよあれよという間に現在の地位にまで駆け上がったのだが、この“映像”という点こそ重要な手がかり。
もちろん動画センス自体が素晴らしいのはもちろんだが、ここで触れたいのはそういうことではない。ではどういうことかと言うと、まずは彼の制作する演奏動画を改めて見てみよう。これは彼が注目されるキッカケの一つとなった動画。スティービーワンダーの名曲「Don't You Worry 'Bout A Thing」に独創的過ぎるアレンジを施した演奏動画だ。
ほぼ全てといっていい程、その時に鳴っている音が演奏されているシーンが画面に映し出されているのがお分かりいただけるだろう。
例えば冒頭、彼の得意技の一つである“一人アカペラ”のパートでは何人ものジェイコブ君の顔が分割画面で映し出され、それぞれが違うパートを歌っている。つまりこのハーモニーが何声で成り立っているのかが一目瞭然。別に彼が自分大好きってわけではなく、ちゃんとした意図があるということなのだ。
それに、パーカッションが鳴り始めればパーカッション画面が、ベースの入りにはベース演奏画面が追加され、逆に音が鳴り止めばその画面はOFFになる。彼の制作する動画のほとんどはこの方法論に則って組み立てられていて、映像を見ているだけで鳴っている音楽の構造が視覚的にスッと理解できるように作られている。
こう書いてしまうと当たり前のように思うし、昨今の演奏系YouTuberの動画は大抵そういった演出になっているものなのでピンとこないかもしれないが、こういった手法は彼の生み出す音楽のようにより複雑なものほど効果的。実はこういった“徹底した分かりやすさ”も、現代という情報化社会のまっただ中に生まれた彼の才の一端であり、より注目された要因の一つのような気がするのだ。
世界中が接続されている現代だからこそ生まれた“世紀の傑物”
つまり、圧倒的過ぎる音楽的才能と、それを世界中が理解できるように伝えるための才能。この2つこそがジェイコブ・コリアーそのものなのだ。
ちなみに彼は自らのアカウントで度々ライブ配信をしているのだが、その配信中に他人が歌った鼻歌を元に、一つづつパートを加えていき一つの曲に仕上げてしまう、という企画も行っている。彼がどのような行程を経て音楽を練り上げるのかが垣間見ることができるのでとても興味深い。
これまでの配信アーカイブも残っているので興味のある方は是非彼のアカウントから覗いてみて欲しい。彼のように音楽を生み出すことはできなくても、音楽というものの楽しさは伝わってくるはずだから。