“ティーンエイジャー” という概念が生まれてから脈々と続いてきた、ブルームズベリー・グループ、ブロニー、グレボ、ロモ、シーパンク、フラグルズ、ジャガロ、デッドヘッズなどを含む若者たちの "サブカルチャー"と “族” の歴史は、説明するのが厄介だが、楽しくもある。
その中にはトレンドカルチャーの副産物があれば、アートや哲学のムーブメントもあるが、多くは特定の音楽ジャンルやサブジャンルと強く結びついている。
そして、そのような結びつきを持つユースサブカルチャーの中には、他の後発サブカルチャーに大きな影響を与えることになる重要なものがいくつか存在した…。
フラッパー / ダンディ / スウィング・キッズ
1920年代、世界の大部分が騒乱の時代を迎えていた第1次世界大戦直前、子供と呼べるほど幼くないが、大人と呼べるほど成長していない層を指す言葉として、“Youth / 若者” が使われるようになった。
そして、その “若者” たちは、自分たちの考えに基づいて行動することを選択した。賢い彼らははジャズを好み、ショッキング&アップテンポなムーブで熱の籠もったダンスを踊り、酒をあおり、(当時としては)露出の多い派手な衣服を好んだ。
ドイツではスウィング・キッズと呼ばれる若者たちが反抗心をシリアスに打ち出し、アフリカ系米国人の音楽を聴き、英語を話すことで、ナチス政権に挑んだ。
このアティテュードは、世界各地のティーンエイジャーと若者たちに飛び火することになった。
ビート・ジェネレーション
ヒッピーや1960年代のカウンターカルチャー、そして現代のヒップスターのオリジナルが、おそらくこのビート・ジェネレーションだ。
ビバップとジャズを好み、ジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグなどの作家たちにその行動を記録されたビート・ジェネレーションは、ダークで機能的で庶民的な衣服を好み、グループ内での個人の自由を尊重し、競争社会からの逃避としての芸術作品を次々と生み出した。
ビート・ジェネレーションは1960年代に “ビートニク” として世界的なムーブメントとなった。このムーブメントは、グリニッジ・ヴィレッジのフォークシーンや、モッズ、ヒッピーなどを含む他のユースカルチャーの発展に非常に大きな役割を果たした。
実際、ジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』の登場人物ディーン・モリアーティのモデルとされるニック・キャサディは、のちにケン・キージーのヒッピー・コミューン、メリー・プランクスターズのバス “ファーザー” のドライバーになった。
テディ・ボーイ
英国のテディ・ボーイ&テディ・ガールは、1940年代のカリフォルニアで生まれたズートスーツカルチャーや、同じく米国生まれのグリーサーやバイカーカルチャーに影響を受けているが、彼らの最大のインスピレーションとなったのは、世界初の “ティーンエイジャー御用達サウンドトラック”、ロックンロールだった。
テディ・ボーイは、ゆるいシルエットのスーツにループタイ、ラバーシューズを身に着け、エルヴィス・プレスリーのような、当時のロックンロールシーンを代表する “堕落者” たちに似せたグリースたっぷりの髪型を好み、新しいアイディアと攻撃的な態度で上の世代にたてついた。
テディ・ガールも、ペンシルスカートやロールアップジーンズ、フラットシューズなどを着用して保守的な社会に挑んだ。
男性的なファッションを取り入れた女性や髪型のセットに時間をかける男性は、1950年代の英国では完全に異質な存在だった。こうして、テディ・ボーイ&ガールは、ロッカーやパンクスの礎を築いていった。
ルード・ボーイ
ルード・ボーイはジャマイカで生まれた。彼らは、ロックステディ、ダンスホール、サウンドシステム、またはギャング周辺に位置していた、またはこれらに積極的に関わっていた若者で、シャープなファッションに身を包んでいた。
ルード・ボーイの中には悪行でファッション費用を稼いでいた者もいたはずだが、彼らのそのギャング&バッドなルックスと、素晴らしいサウンドは世界的な流行となり、1950年代から1960年代にかけて、西インド諸島の移民と共に英国に流入した。
ルード・ボーイカルチャーは、2トーン時代のバンド&ファン、初期スキンヘッズ、そして次に紹介するもうひとつの “シャープなファッション” が自慢だったカルチャーのルックスと思考に大きな影響を与えることになった。
モッズ
高い就職率を記録していた1960年代の英国で暮らしていた若者たちは裕福だった。そして、そのような彼らが金を注いだ対象が、今でも愛されているユニークなカルチャーを生み出すことになった。
小綺麗なイタリアンファッションにインスパイアされたモッズ男(正式名称はモダニスト)は、スーツ、パーカー、ポロシャツ、デザートブーツなどを好み、モッズ女はフラットシューズやパンツ、マリー・クワントのドレスやニーハイブーツなどを好んだ。
しかし、上記のようなファッション、そしてあのベスパやランブレッタよりもモッズを “世界の憧れ” にしたのは、彼らのサウンドトラックだった。
当時のモッズたちは最先端のブラックミュージックの熱狂的なファンで、初期ソウルやレゲエ、スカ、ロックステディを好んで聴いていた。
パンク
不景気で不潔でひたすら灰色だった1970年代の英国と、身勝手で膨張した国内の音楽業界へのカウンターとして登場したパンクは、“イヤー・ゼロ” 的アプローチ、つまり徹底的な破壊による再生を目指した。
そして破壊に成功した彼らは、更地の上に映画『マッドマックス』的な自分たちのクレイジーワールドを作り上げ、攻撃的な衣服、髪型、スローガン、大人をこき下ろす音楽を生み出した。他のユースサブカルチャーと同様、パンクも反抗心がカギだった。
1976年・1977年頃のオリジナルパンクは長続きしなかったが、そのインパクトは世界を驚かせ、アナーキーパンクやモッドパンク、ゴス、ニューロマンティック、スケーターパンクなどを含む、特徴的なパンクサブカルチャーを無数に生み出すことになった。
レイバー
英国と欧州にハウスとテクノが流入し、そのサウンドに刺激された違法レイブが生まれ、1988年にセカンド・サマー・オブ・ラブが起きた頃、多くの若者たちはこのカウンターカルチャーを大いに楽しみ、クラブやウェアハウス、公園などで正気を失い、退屈な人生から逃避した。
英国のアシッドハウスとその周辺の初期クラブシーンは、ヨーロッパ最後の本格的なユースカルチャーだったと言えるだろう。
レイブは、メディアの批判対象となったカルチャー、また、音楽とそこに付属する “悪” を一切理解できなかった親や保護者たちを心配させたカルチャーとしては、"ラスト" のひとつと言える。
ビート・ジェネレーションやヒッピーと同じで、レイバーたちも “愛があれば良し” 的な枠の中で最大限の自己表現ファッションを楽しんだ。
また、彼らはファッションにDIYやパンクロックを取り入れたり、ファッションを通じて政府に攻撃的なメッセージを送ったりもしていた。