今から20年前の1997年、あなたは何をしていたのだろう。まだ生まれていなかった者、ロックとは程遠い生活をしていた者、あるいはすでに青春時代まっただ中の者、いろいろいるはずだ。そんな1997年の音楽シーンを振り返ると、実は20世紀のロックシーンにおいて最後の転換期だったことがわかる。
イギリスでは1994年頃から勃発したブリットポップムーブメントに対し、渦中のバンドのひとつBLURが同ムーブメントの終焉を告げる作品『BLUR』をリリースし、THE PRODIGYはアルバム『THE FAT OF THE LAND』で英米1位を獲得。さらにフランスからはDAFT PUNKがアルバム『HOMEWORK』で本格デビューを果たし、ここ日本でも『FUJI ROCK FESTIVAL』や『AIR JAM』といった野外フェスがこの年にスタートした。今思えば、2000年代に向けた種蒔きが始まったのがこの1997年だったと言うことができる。
では、ラウドロックにスポットを当ててみるとどうだろうか。実はこの年に、後年に大きな影響を与える名盤がいくつか発表されている。今回はその中から5枚をピックアップし、紹介していきたい。
①LIMP BIZKIT『THREE DOLLAR BILL, Y'ALL$』
LIMP BIZKITの記念すべきデビューアルバム。カリスマ性と下世話さを兼ね備えたフロントマンのフレッド・ダースト(Vo)、その怪しいヴィジュアル同様に変態的なギタープレイで魅了するウェス・ボーランド(G)、90年代前半にヒップホップユニットHOUSE OF PAINで一時代を築いたDJリーサル(Turntable)、ヒップホップのみならずジャズの要素も色濃いプレイを聴かせるサム・リヴァース(B)&ジョン・オットー(Dr)と5人の強烈な個性もさることながら、アルバムで鳴らされるサウンドは、単なる“ラップメタル”の一言では片付けられない、ポップさとサイケデリック感を併せ持つ独特な魅力を放っている。
KORN主催のパッケージツアー『FAMILY VALUES TOUR』に参加して一気に知名度を上げた彼らは、本作収録の「Faith」(ジョージ・マイケルの代表曲カバー)がヒットしたことで一躍トップバンドの仲間入り。続く2ndアルバム『SIGNIFICANT OTHER』(1999年)は全米1位を獲得するなど、その後の大躍進のきっかけを作っただけでなく、RAGE AGAINST THE MACHINE(彼らはLIMPを嫌悪することでも知られる)、KORNといったバンドが作り上げたスタイルを一般層にまで拡散させたという意味で、その功績は非常に大きなものがある。
②DEFTONES『AROUND THE FUR』
1995年にアルバム『ADRENALINE』にてデビューしたDEFTONESの、その名を一気に広めるきっかけを作ったのが本作『AROUND THE FUR』なのは間違いない事実だ。先のLIMP BIZKITと同じく、従来のロックバンドのフォーマットにターンテーブルやサンプラーを操るメンバーが加わることで生まれる、単なるヘヴィロック/ラウドロックよりも深みのあるサウンドは一部のリスナーからは“オルタナティヴメタル”、あるいは“ニューメタル”と称され、時にはその呼称で揶揄されることもあった。
しかし、DEFTONESがそこで終わらなかったのは、彼らならではの特徴……ニューウェイブやポストロックからの影響による独創的な楽曲&サウンドが高く評価されたから。本作でもオープニングを飾る「My Own Summer (Shove It)」を筆頭に、強弱/緩急を自在に操りながら浮遊感あふれるチノ・モレノ(Vo)のボーカルを乗せることで生まれる化学反応は、それまでのラウドロックでは感じたことのないものだった。結果、本作は全米29位という好成績を記録し、数多くのフォロワーを生み出す。
③RAMMSTEIN『SEHNSUCHT』
RAMMSTEINは90年代前半にドイツ・ベルリンで結成された6人組バンド。メタリックなサウンドにインダストリアルやエレクトロの要素を加えたそのスタイルは、それまでのヘヴィメタルやヘヴィロックとは一線を画するものだった。80年代以降はSCORPIONS、ACCEPT、HELLOWEENといった、英語詞を歌うジャーマンメタルバンドが欧米および日本で人気を博したが、RAMMSTEINはあくまでも母国語であるドイツ語で歌うことを貫き通し、そのスタンスのままアメリカをはじめとする英語圏でもブレイク。また、歌詞を含め直接的にセックスやSMを表現する猥褻さ、火炎放射器などを大々的に使用した派手さが魅力のライブパフォーマンスにも注目が集まり、ここ日本でも来日した際には大反響を呼んだ。
今回紹介する『SEHNSUCHT』はRAMMSTEINにとって通算2枚目のスタジオアルバム、かつ日本デビュー作だ(日本盤は1998年発売)。90年代はMINISTRYを筆頭にKMFDM、DIE KRUPPSといったインダストリアルサウンドを軸にしたバンドが登場したが、中でもRAMMSTEINはザクザクしたギラーリフとシンプルなリズムを基盤としたミドルテンポの楽曲に、硬さと鋭さが強いドイツ語によるボーカルが加わることで、英語圏のバンドにはない個性を確立。さらに、デヴィッド・リンチによる映画『ロスト・ハイウェイ』(1997年公開)にRAMMSTEINの楽曲が使用されたことでより注目を集めることになり、アルバム『SEHNSUCHT』は全米45位まで上昇、現在までに100万枚以上もの売り上げを記録している。
④ATARI TEENAGE RIOT『THE FUTURE OF WAR』
上記のRAMMSTEIN同様、ドイツ・ベルリンで90年代前半に結成されたユニット。性急かつ激しいビートに過激かつ攻撃的なメッセージを乗せたその独自のスタイルは“デジタル・ハードコア”と呼ばれるようになり、そのジャンルでの先駆者として歴史に名を刻む。また、グループの中心人物であるアレック・エンパイアの姿勢に共感するアーティストも少なくない。
BPM130〜140が基本フォーマットのテクノ、スピードよりもグルーヴ重視のミドルテンポが大半だったヘヴィロック/ラウドロックの中で特に異彩を放っていたのがATARI TEENAGE RIOT。セールス的には大成功をしたとは言い難いが、RAGE AGAINST THE MACHINEのトム・モレロ、SLAYERなどとコラボレートすることで、ロックサイドから熱い支持を集めるようになる。“デジタル・ハードコア”というそのジャンル名から、普段エレクトロミュージックは聴かないというラウドロックファンの中にもATARI TEENAGE RIOTなら楽しめるという人もいるはずだ。
本来ならこのグループはテクノやエレクトロミュージックの枠で語るべきかもしれないが、彼らの登場は間違いなくその後のヘヴィロック/ラウドロックシーンに多大な影響を与えたことからここでも紹介すべきと思い、今回ピックアップした。2000年には一度活動休止しているものの、メンバーの死などを乗り越え2010年から活動を再開しているので、機会があったらぜひ生のパフォーマンスを目にしてほしい。
⑤Hi-STANDARD『ANGRY FIST』
最後はここ日本から、Hi-STANDARDの『ANGRY FIST』を紹介したい。本作は1995年発売の『GROWING UP』に続く、通算2枚目のフルアルバム。前作はGREEN DAYやTHE OFFSPRINGなどUSパンク勢の台頭とタイミングが合致したこと、またGREEN DAYの初来日ツアーにHi-STANDARDが帯同したことで大きな注目を集めたが、そういったトピックが次作『ANGRY FIST』のオリコン初登場4位という好成績につながったことは疑いようがない。
Hi-STANDARDは同作リリース後の1997年8月、東京ベイサイドスクエアにて主催フェス『AIR JAM 97』を初開催。これはその後のジャパニーズメロディックパンク/メロディックハードコアシーン拡大の、大きな手助けとなった。今では当たり前のような“英語詞で歌う”ことも当時はまだ珍しく、いかにHi-STANDARDの存在がそのスタイルを後押ししたか、今となっては計り知れないものがある。
ちなみに『ANGRY FIST』はアメリカの名門パンクレーベル『Fat Wreck Chords』から、日本盤とのジャケット違い、曲目違いでリリース。現在までに全世界で50万枚以上ものセールスを記録している。『GROWING UP』、そして『ANGRY FIST』の成功が、続く1999年のアルバム『MAKING THE ROAD』の大ヒットを導いたことは言うまでもない。
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