MAJOR FORCE© Red Bull Music
メジャー・フォースとはレーベル。レーベルを超えた存在のレーベル。その設立は1988年、ゆえに今年で設立30周年。でも、ただの昔話ではない。なぜか?
なぜなら、もし、“メジャー・フォース”がなかったら、2018年の原宿や東京の風景は異なっていたと思われるから。もっとはっきり書けば、グローバルなファッションやデザインのありようにもメジャー・フォースのスタイルは影響を与えていた。でも、メジャー・フォースは音楽レーベルなのだけど。
例えば、メジャー・フォースについて、ファッション・デザイナー/ディレクターのNIGOはこう語っている。
僕がやっていること、音にしてもファッションにしても(メジャー・フォースの)影響はなにかしら入ってる
彼自身だけでなく、今、日本だけじゃなくて世界で活躍しているようなミュージシャンとかクリエイターに影響を与えた東京のスタイルの始まりのひとつだと彼はいう。
その理由のひとつに、メジャー・フォースがそもそもヒップホップのレーベルとして始まったということがある。
2018年の上半期の音楽シーンも大型フェスティバルで日本の音楽ファンを唸らせたケンドリック・ラマーやチャンス・ザ・ラッパーらを含め、ヒップホップが快進撃を続けてきた。それだけでなく、ショッキングで社会にその是非を問うビデオで話題を巻き起こしたチャイルディッシュ・ガンビーノ……どんな時代でも、私たちの社会の最前線を映し出し、エンタテインメントでアートな音楽はヒップホップだ。
そのなかでも、表層で映えるスタイルは時代で変わるとしても、ライフスタイルとアートを巧みに結びつけて時代を変えたタイラー・ザ・クリエイターとオッド・フューチャーなんか思い出してほしい。そうしたことを、東京で、メジャー・フォースは30年前に既に始めていた。
メジャー・フォースの中心メンバーは5人。当時MELONというユニットの中西俊夫、工藤昌之、そして屋敷豪太。それから、パンクスでラッパーになったアーティスト高木完、最近は銀座SONY PARKにザ・コンビニをオープンしたプロデューサー/ミュージシャンの藤原ヒロシが1988年に“メジャー・フォース”を設立した。
彼らは、タイニー・パンクス(藤原ヒロシと高木完)、中西俊夫がラッパーで工藤昌之がDJのTYCOON TOSH&TERMINATOR TROOPSなど自らのグループでのレコーディング作品の他、NYはハーレムのアポロ・シアターで、満場の現地の観衆を完全に虜にしたレゲエDJのCHAPPIE、ファッション・モデル/女優のラップ・グループORCHIDS、そしてなによりも日本のヒップホップの歴史で不朽のクラシックを連発してきたスチャダラパーをデビューさせるなど、傑作かつ今では世界中のディガーたちのコレクターズ・アイテムを次々とリリース、日本のヒップホップのみならず大きな影響を与えた、ことは先ほど書いた通りだ。
高木完, 工藤昌之© Red Bull Music
ところで、日本でヒップホップが生まれた瞬間はいつだったのか? もちろん、ヒップホップの定義にもよるわけだが、ヒップホップならではのサウンドが日本に誕生した時=日本にヒップホップが生まれた瞬間と考えたとして…
KRGのサンプラーに取り込んだサンプリングの音を中西俊夫に聞かせたその瞬間だ
その真偽を確かめる前に、まず考えてみたいことがある。
かつてDJからファッションの世界に飛び込み、やがてTIME誌で“アジアのヒーロー20人”に選ばれたジャパニーズ・ドリームの体現者NIGOが言うように、現在のグローバルな東京のスタイルの成り立ちを考える時、メジャー・フォースはやはり重要な意味を持つということ。
次はゲストを迎えて、実際に“影響を受けた”立場の話を聞いてみようと思う。