バスケットボール

BLOOPERS REWIND -バスケバカMAMUSHIによる今週の大バカ野郎- vol.45

45と言えば、マイケル・ジョーダン最初のNBA復帰のときの背番号でした。
Written by MAMUSHI
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BLOOPERS REWIND -バスケバカMAMUSHIによる今週の大バカ野郎- vol.45
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45回目となりましたBLOOPERS REWIND -バスケバカMAMUSHIによる今週の大バカ野郎-でございます。45と言えば、1995年にマイケル・ジョーダンがNBAに戻ってきたときに一時期付けてた背番号でしたね。あれは95年の3月、ちょうど今から20年前の話。復帰のときに履いていたAIR JORDANⅩのDOUBLE NICKELも発売間近っす。これはもちろん買いの逸品、履きたい履きたい。でも今の俺はショックでいっぱいよ。悲しい気持ち。だって、東京渋谷を代表するプレイグラウンドだったあのジョーダンコートがなくなっちまったんだ。
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その噂を聞いたのは丁度1ヶ月前。ついこの間発売になったばかりのABOVE MAGAZINE ISSUE04に向けて、連載中の記事でジョーダンコートについて書いた。その後、コートを撮影に行ったカメラマンから連絡をもらってジョーダンコートがなくなってる事実を知ったんだ。いざ自分も駆けつけてみるとジョーダンコートはもちろん、コートがある美竹公園自体もフェンスで囲まれて絶賛工事中という状態だった。いい歳こいたおっさんに差し掛かってるけど、ついフェンスをよじ登って覗いてみれば、そこは一面の土土土。あの鮮やかなブルーのコートも、ジャンプマンロゴの入ったリングも、NYCのWest 4thみたいで雰囲気よかったあの金網も、マイケル・ジョーダンの手形もなにもかもなかった。辺り一面土。すごいショックだった。どうやら渋谷区の仮説庁舎なるものがこの秋に向けて建設されるらしい。「ジョーダンコートは移転するかも」なんて噂も耳にしたけど定かじゃない。思い出のプレイグラウンドがあっけなくなくなっちまった。
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ABOVE MAGAZINE ISSUE04には、ジョーダンコートの代わりに福岡の小戸公園にあるODOプレイグラウンドについて書いた原稿を差し替えることになった。せっかくなので、ジョーダンコートがなくなることを知る直前に自分が書いた原稿をここで載せたいと思う。まさかなくなるなんて思ってなかったときの自分からのジョーダンコートの紹介。ジョーダンコートってこういうところだったんです。
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PLAYGROUND vol.4
東京渋谷に美竹公園という近隣の専門学生やオフィス務めのサラリーマン、それに渋谷という街に集まる若者たちが和む平和な公園がある。そこに2004年5月突如現れたのが今回紹介するジョーダンコートだった。4面高いフェンスに囲まれたオールコートはフルサイズの4分の3程度。コートの中央とリングボードにはジャンプマンロゴが配された。ナイキによる「Reuse-A-Shoe(リュース・シュー)」プログラムによるスニーカーの再利用素材が使われてクッションも抜群。この2004年前後にはナイキジャパンから各地にリングやコートが寄贈されることが多かった。この美竹公園のジョーダンコートに限っては、ちょうど来日中だったあのマイケル・ジョーダンがオープンイベントに参加しテープカットを務めた。コートの入り口にはマイケル・ジョーダンの手形とメッセージがある。「どこかに、かつての僕のごとくバスケットボールを始める子供がいる。僕が先輩から学んだように、僕を手本に学んでいくだろう。焦らずに一歩一歩、恐れることなく、一生懸命練習し、そしていつか僕を越えていくだろう。そんなプレイヤーに僕は伝えたい。このコートは君のものだ。」ありがとう、マイケル・ジョーダンとばかりに東京の血気盛んなストリートボーラーが集まった。なんせまだまだ大半がどうやってピックアップゲームをやったら、そもそもプレイグラウンドはどこにあるんだかと足掻いていたのが当時の東京ストリートボール。FAR EAST BALLERSやS.H.Uといった面々が目立った。
ただ、このジョーダンコートは随分と苦労したプレイグラウンドだった。というのも、ジョーダンコートは渋谷の喧噪から一本外れた比較的閑静なエリアにあり、当時は周りに住宅が多かった。近隣住民からの苦情というやつは言葉以上に破壊力がある。ドリブルの音がうるさい、声がうるさい、そもそも見た目が怖い(当時BBOY全盛時代、みんなサイズは5XL)など自分よりも倍以上も歳上の渋谷在住者にどやされる。上裸になるな、裸になっていいスポーツは相撲だけだとも言われた。理由はなんでもいい、とにかくここでプレイするボーラーは近隣住民から全力で嫌われた。コートの管理を担当していたのは現在のALLDAY 5ON5 BASKETBALL TOURNAMENTの主催でNPO法人のKOMPOSITION。FAR EAST BALLERSを中心としたボーラーたちと管理者のKOMPOSITIONとで共同して、渋谷区の子供向けのワークショップを毎週末開催したり、積極的に公園のゴミ拾いをするようになった。小さな公園のくせに和みにくる若者やサラリーマンが多いもんで、そのゴミの量といったら凄まじかったし、ホームレスが住居を構えていたこともあり「鬼の近隣住民」、「ゴミを大量生産する専門学生やサラリーマン」、「コートの備品を盗もうとするホームレス」と頭の痛いネタが多かった。それでもゴミを拾い、近隣住民となるべく会話して、なんならホームレスたちとも和平協定めいたものを結びつつあった2005年2月にABOVE MAGAZINE ISSUE02で紹介した代々木公園バスケットボールがオープンした。そもそもコートサイズもフルではないし、騒音がうるさいということでDJなどサウンドを入れることもできずイベントを打つことも難しいこともあり、みんなが代々木公園に流れていった。
あれから10年経って、今のジョーダンコートは当時とは様子が違う。美竹公園自体が整備されてホームレスはいなくなったし、当時のようにゴミが溢れていることもない。また熱烈に苦情を寄せていた近隣住民たちも区画整理のおかげかほとんど立ち退いてしまった。実は今、存分に使える環境が揃っていたのだ。最近ここで注目のゲームが行われるようになった。このジョーダンコートがオープンしたばかりの頃から東京ストリートボールの小さな巨人として知られるshuと、東京木場のバスケットボールカフェBALL TONGUEのMUЯ氏によるfuture ball(フューチャーボール)というニューゲーム。コートサイズを考慮してオールコートの4ON4で、先の2人によって指名されたオーナー役がそれぞれチームメンバーを集めて参戦する珍しい形を採用している。派手なオープンとは裏腹に不遇の時代を過ごしてきたジョーダンコートであったが、いよいよこれから価値が見直されていくのだろう。「このコートは君のものだ。」とマイケル・ジョーダンの言葉通り、自在に遊び始めたfuture ballをきっかけに同じ渋谷の代々木公園とは違った遊び方ができるプレイグラウンドになって欲しい。
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色んな戦いがあったし、これからまた面白くなりそうなプレイグラウンドだったのにショックでたまんない。行政の決定とか、そういうものに対して無力だよなぁとか思ったり。他のプレイグラウンドも、例えば東京オリンピックに紐づいたなにがしかでなくなっちまうこともあるんじゃないか。神様、どうしたらいいの?って気分に少しなった。
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MAMUSHI
東京出身。バスケットボールをしたり、喋ったり、書いたり、物作ったり、企画したり、主にバスケットボールの人。Red Bullイベントでは”Red Bull King of the Rock”や”Red Bull Street Jam”、”Red Bull Mini Drome”や”Red Bull Street Style”などのMCとしても登場。アフロヘアにサングラスがトレードマーク。