15歳の森田少年。善福寺川貯水池にて
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スケートボード

【迷惑スケートについて】ちょっと立ち止まって聞いてほしい。 FESN森田貴宏の真剣な話!

巷を騒がす“あの問題”について、中野を拠点に活動する1人のスケートボーダーが思うこと。今一度、真剣に考えたい。スケートボードを愛する全ての人が、この先もずっと、自由にストリートスケーティング出来る未来の為に。
Written by Takahiro Morita
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※本コラム公開日:2018年11月11日
迷惑スケート
「ストリートスケーティング」
読んで字の如く「街でスケートボードをする」という意味。
僕は30年前にこの「ストリートスケーティング」からスケボーを知り、当時の僕の心は動かされ、この遊びを始めました。その頃のスケボーは、公共のスケートパークなど東京にはなく、ましてやスケボーが世界的スポーツの祭典で正式競技種目になる何て想像すら出来ない頃です。だから当時の僕達は当然滑る場所に困り、近所のありとあらゆる場所を探し歩き、スケボー出来る場所を探したものです。
始めた当時の僕のお気に入りスポットは、ズバリ家の前。毎日パコパコオーリーの練習を家の前の道路でやり、夕飯になると母が呼びに来てくれる。何日かすると次第に近所の人達から僕のスケボーは迷惑がられました。
最初は優しい口調で「赤ちゃんが寝ているから」とか「おじいさんが昼寝してるから」って言って来るんだけど、次第にその口調は激しくなっていきます。苦情の多くは「うるさい!」という理由。さらにその解決策は「どこか他所でやれ!」ということでした。それに対し当時の僕は「お前らこそうるせえ!昼間に寝てるヤツの為に俺の大事な遊びを止めてたまるか!夜中やってるならともかくこっちは昼間やってんだ馬鹿野郎!他所ってどこだよ?俺の家の前なんだから良いじゃねえか!」というような言い分を大人達相手に大真面目な顔して言い返していました。何せ当時の僕は13歳。確かにうるさいんだろうけど野球やサッカーにはグラウンドがあるが、スケボーには安全で安心なフィールドはなかった。近所の大人達はほとんどがみんな敵にまわり、その中には金属バットを持って威嚇するおじさんもいました。今考えると何て楽しいアトラクション!って思うくらいワクワクする個性豊かな大人達でしたが、当時の僕にとってはかなり深刻な相手。僕は真っ向から対立する姿勢で意地になって反抗したものです。
そういう状況だったからこそ、当時のスケーターは安心してスケボー出来る場所を常に探しまわっていたと思います。駐車場、河川敷の公園、貯水池、高速道路の高架下、廃墟の団地、ありとあらゆる場所に行きました。そしてありとあらゆる場所で色々な出来事が起こりました。暴走族をはじめチーマーやヤンキーといった同世代のアウトロー達からもスケーターは狙われることが多く、こっちはただ単にスケボーしたいだけなのに、続けるには実際、結構なリスクが伴いました。街に出て滑れば警備員に「出て行け」と怒られ、公園で滑っていれば近所の住民が「他でやれ!」と怒鳴って来る。誰も来ないような高速道路の高架下の空き地では突然奇襲して来る暴走族に追いやられ、地元の公園では武器を持った不良グループに僕のスケボーが目障りだということで拉致、監禁されたこともありました。
上記のように当時の僕達にはあまり味方が居なく、理解者も少なかったのですが、同じ境遇の仲間達とはすぐに打ち解け、そしてすぐに友達になれました。そこで僕達は滑れる場所の情報を共有して一緒にこのスケボーにのめり込んでいったのです。
そして時は過ぎ、13歳だった僕も今は43歳。スケボー歴30年、海外でのスケボー生活も経験した一端のスケーターへと成長していった訳です。昨今スケボーが迷惑だとテレビのニュースで取り上げられ、東京の一部の地域では一斉に街のスケーターが検挙の対象になったことを知りました。いつかはこんなことも起こるだろうと想定してはいましたが、とうとうその時が来たようです。こういう自体になったことはスケボーをずっと続けて来た自分から見ると、やっとスケボーが世間を騒がせるくらいになって来たのかと思う反面、ここからが本当に社会にとって、スケーターの真価が問われる時代がやって来たのだと強く思うのです。
僕は東京の中野という街にかれこれ20年以上住んでいます。散々中野の街をフィールドにスケボーしてきて思うこと。最初は自分で出したゴミの後片付けも出来なかった僕達ですが、いつからかそういう行いが自分達のフィールドを狭めていることに気が付きました。20代のある日、夜中人もまばらな地元の商店街で滑っていると見るからに怖そうな本職のおじさんに「俺らのいる時間にはスケボーをやるな。俺達の立場も考えろ」という言葉に出くわしました。僕は無言で仲間を連れて他の場所に行きました。それ以降その時間帯にはそこで一切スケボーをしないで、人のいない時間帯を狙って1人で滑ることにしました。ある時1人でその商店街で滑っているところ、後ろからその本職のおじさんから声をかけられました。「こないだは悪かったな。だけど言うこと聞いてくれてありがとうな」と僕に向かって言ってくれました。「ここで練習してるのか?スケボー出来る場所ないんだな?頑張れよ!」って言ってくれました。とても嬉しかったのを覚えています。
僕は今でも街でやるスケートボード、俗に言う「ストリートスケーティング」をやっています。僕は今もう43歳です。社会的に責任のある大人として自覚しています。昔のように仲間と大勢でつるんで街を滑るようなことは今はほとんど出来なくなりました。どこかのスポットに仲間とたむろしてスケートすることも残念ながら出来なくなりました。僕には普段仕事もあり、家庭もあり、部下もいて、皆を養っていかなければいけない立場になりました。僕の妻も僕同様に僕のスケートを愛してくれていますが、僕達にいずれ子供が授かった時、子供がある程度の年になるまではそれまでやって来た僕のストリートスケーティングを子供の前では封印するべきだという話し合いもしました。ものの分別が分からない子供にとってはとても危険になりうる僕のストリートスケーティング。その影響も僕が一番理解しているつもりなのです。今後スケート人口が増えていけば必ずスケートパークは増えていきます。しかしパークではないストリートでのスケートの重要性もこの文化にとって必要不可欠だと強く認識しています。今後はさらに光と影、パークや競技に光が強く当たり始めれば、その影もより深く暗い影としてストリートを覆い始めることになるでしょう。
時代は遂に世界的なスポーツの祭典の正式種目競技にまでスケートボードを押し上げました。YouTubeを見れば世界中至る所でスケボーが盛んだという状況を目にすることが出来ます。しかしその中には、スケボーを制止させようとする人々とスケーターとの暴力的な争いが映し出されている映像も沢山あります。楽しむということを目的にしたスケーターが暴力を使って自分達の行動を正当化し、強行に突破する状況は僕は見たくない。スケボーは楽しむ為のものだと僕は思っています。自分達も楽しみたいけれど、それによって楽しくない人達が出ることは結構な問題だと思うのです。やりたいのはわかる。だけど警備員には警備員の立場があり、警察官には警察官の立場があって、地元住民には地元住民の立場と権利がある。僕達、街のスケーターが街と共存するには最低限、街から嫌われないことが前提だと思うのです。もしもあなたがスケーターでスケボーを愛し、街での「ストリートスケーティング」こそが自分の生き様だと思うのであれば、街に好かれないまでも嫌われないような行いをまずは心がけて頂きたいと思うのです。夜中5、6人のスケーターがたむろした歩道を1人で歩いて帰らなければいけない一般市民がいつか、その5、6人のスケーターを見て、ほっと安心出来るような存在としての居場所をスケーターは街で確立していって欲しいのです。
このままいくと今後、僕達、日本のスケーターにとっては全く新しいステージが始まるように感じます。新たなステージは行政機関による新たな法律の制定、そして施行等、僕達スケーターのいない所で作られていくことと思います。これまで述べたように僕達は常に街では弱者としての立場でスケートに向き合ってきました。立場が弱いということは同じく社会的に立場の弱い人々の気持ちが分かるということでもあります。お年寄りや子供、身体的、精神的ハンディキャップを持った人々、そしてその他多くのそれぞれの価値観を持った人々が共存するストリートというフィールド。そのフィールドを使わせて貰っているのが僕達スケーターなのです。どうか思いやりを持って、僕達と同じような社会的弱者が街で困っていればいつでも助けてあげられる、あるいは味方になってあげられる存在にスケーターが成長していって欲しいと切に願うのです。そうすればいつか、スケーターにとっても、社会にとっても、今よりも少しは明るく楽しい未来が待っているだろう!と僕は本気で思うのです。
   
   
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