A screenshot from the indie game, My Friend Pedro.
© DeadToast Entertainment/Devolver Digital
ゲーム
『My Friend Pedro』:バナナなインディーガンアクションゲームができるまで
10年以上をかけてフラッシュゲームからNintendo Switchまで進化したガンアクションをたったひとりで開発したデベロッパーが、その長大な開発経緯を振り返ったんだナ!
Written by Jon Partridge
読み終わるまで:14分Published on
食パン男性器がプレイアブルキャラクターとして用意されているゲームや、多種多様なジョークが盛り込まれたシミュレーションゲームが存在する現代、人間と同じように言葉を話すバナナというのは特別変わった存在でも、特別馬鹿げた存在でもない。
変わっているのは、『My Friend Pedro / マイ・フレンド・ペドロ』が、10年以上かけてたったひとりが開発したゲームだという事実だ。
スローモーションのバックフリップやスピンは、誰もがランチタイムにフラッシュゲームをプレイしていた時代、あらゆるゲームが映画『マトリックス』のバレットタイムを独自に解釈して表現しようとしていた時代を彷彿とさせるが、これらの特徴は意図的に用意されたものだ。
このインディーガンアクションタイトルを2019年にリリースしたデベロッパーDeadToast Entertainmentをひとりで動かしているVictor Ågren。彼は『My Friend Pedro』は今から10年以上前、バイラルヒット前のNewgroundsが紹介していた数々のカルトヒットゲームからインスピレーションを得た作品なので、本質を理解するためには過去へ戻る必要があるとし、次のように説明している。
「かなり昔まで戻る必要があります。僕は7歳からゲームを作っています。実際は7歳より前かもしれません」
「最初は紙でコンピュータを作り、ビデオゲームをプレイしている気分を味わっていました。そのあと、『Klik&Play』という2Dゲーム開発ソフトを手に入れたので、それを使って自分と友人のためにゲームを開発しました」
「そのあともビデオゲームの開発を続けたかったのですが、僕の手元にあったソフトやツールは少し時代遅れになっていました。その頃にフラッシュと出会ったんです」
「当初はフラッシュアニメなどを作っていました。映像やアニメーションの方に興味を持っていたからです。ですが、フラッシュのスクリプトの書き方を独学で学んでいくうちに、ゲームも作れることを知ったんです。それでフラッシュゲームを開発するようになりました」
「14歳からフラッシュゲームを開発するようになり、勉強を続けていきました。そのあとのカレッジ時代、つまり16歳から19歳の間に卒業制作をしなければならなかったのですが、そのタイミングで『My Friend Pedro』のフラッシュバージョンを開発をスタートさせたんです」
たったひとりで開発した『My Friend Pedro』
たったひとりで開発した『My Friend Pedro』© DeadToast Entertainment/Devolver Digital
ガンアクション、スローモーションフリップ、バイクチェイス、武装スケートボード、地下世界のような舞台設定、ガラスを割って飛び込むシーンなどが大量に用意されている『My Friend Pedro』は、ティーンエイジャーの夢想の産物のようだ。なぜなら、本人が上で説明した通り、ある意味その言葉通りだからだ。
今年リリースされたモダンバージョンは、Ågrenがティーンエイジャーを卒業してから何年も経ったあとに開発がスタートするのだが、このオリジナルのフラッシュバージョンもリリースまでにはかなりの時間がかかった。
Ågrenが説明を続ける。
「結局、完成させなかったんですよ。そしてそのあと6~7年、ハードドライブの中に放置していました。カレッジを卒業したあと、Media Moleculeで働き始めたからです」
そう、あの『リトルビッグプラネット』シリーズで知られるMedia Moleculeだ。Ågrenは『リトルビッグプラネット』シリーズ2本とPlayStation Vita用タイトル『Tearaway ~はがれた世界の大冒険~』にレベルデザイナーとして関わった。
Media Moleculeでの日々が『My Friend Pedro』を眠らせることになったが、代わりにÅgrenは、のちのモダンバージョンの開発に役立つことになる数々のスキルを手にした。
また、彼はティーンエイジャー時代のカオスな夢想が『My Friend Pedro』に活用できることにも気が付いた。
ゲームを作っているだけで楽しかったティーンエイジャー時代特有のラフで実験的な感じは興味深いです
Victor Ågren
「Media Moleculeではレベルデザイナーとして働いていましたが、周りの人たちから学ぶ日々でしたね」
「あそこで働いていた人たちは全員天才でしたし、彼らの物の考え方を知ることができたのは非常に貴重な経験になりましたね。ビデオゲーム開発の大枠や原則について学ぶことができました」
「たとえば、モダンバージョンの『My Friend Pedro』のレベルデザインやゲームデザインについては、とても興味深いと思います。なぜなら、あの経験がなければモダンバージョンのコアデザインは思いついていなかったからです」
「モダンバージョンはオリジナルバージョンよりもまとまっていますし、僕自身も以前より考えるようになっています。ですが、ゲームを作っているだけで楽しかったティーンエイジャー時代特有のラフで実験的な感じは興味深いですね」
「あの頃は、クリーンなデザインや筋が通っているかどうかよりも、感情を優先したゲームデザインでした。この特徴が残されているので、モダンバージョンの『My Friend Pedro』は面白いバランスのゲームになっていると思います」
マトリックス』や『狼 男たちの挽歌・最終章』のような映画を観たことがある人なら、現実よりもスタイルを重視しているあの感覚を『My Friend Pedro』全体から得られるはずだ。
この感覚はオリジナルのフラッシュバージョン(メインキャラクターが『マトリックス』的レザーを身に纏っている)とモダンバージョン(『マックスペイン』シリーズのような作品から多くを参考にしている)の両方に共通している。
Ågrenは2013年にMedia Moleculeを退職したあと、フラッシュゲームの開発を再開させた。
「フラッシュなら理解していましたからね。あと、短時間で楽しめるゲームを作りたい気持ちもありました」
「それで『Nunchuck Charlie: A Love Story』をリリースしたのですが、そのあと “ひとりゲームジャム” にも挑戦しました。1日で9本開発しようとしたんです。結局、1日以上かかりました」
「それが終わると、自分で何がしたいのか良く分からなくなりましたが、フラッシュで作っていた『My Friend Pedro』のオリジナルバージョンが完成に近い状態だということを思い出しました。あとは包装紙に包んでリリースするだけでした」
「それでタイトルを付けたあと、世に出したわけですが、ゲームの内容やグラフィックスは10~11年も前のものでした。このフラッシュバージョンはNewgroundsのようなオンラインプラットフォームでリリースしました」
Adobe Flashはもう過去の遺物に近いのかもしれないが、Newgroundsをチェックすれば、2014年にリリースされた『My Friend Pedro』のオリジナルバージョンがまだプレイできる
このプラットフォームから業界に入っていった他のクリエイターと同じく、ÅgrenもNewgroundsがあったからこそ今自分があるとしている。
「Newgroundsには心の底から感謝しています。このサイトがなければ、今の僕はいなかったでしょうね。当時の僕にとって、自分が作ったゲームが何百万人もの人にプレイしてもらえるというのは本当にクールなことでした」
「とにかく楽しかったですし、気楽でしたね。ああいう作品は何も期待されていなかったので、好きなようにできました。自由がありましたし、好きなことをやっていいんだという気持ちになれました」
「フラッシュゲームの時代は良かったですよ。いくつかのサイトで公開すれば、あっという間にインターネット上のありとあらゆるサイトに拡散されました」
「フラッシュゲームが自分で勝手にマーケティングをしていたような感じで、簡単かつ迅速にファンを掴むことができました。『My Friend Pedro』のオリジナルバージョンをリリースした時も、すぐに人気を獲得し、100万人単位でプレイされました」
「それでファンから次はないのかとリクエストがひっきりなしに届くようになったので、このモダンバージョンの開発に取り組みました。手を加えられる余地があると思っていたからです」
流れるようなガンアクションが楽しめる
流れるようなガンアクションが楽しめる© DeadToast Entertainment/Devolver Digital
PCとNintendo Switchでリリースされたそのモダンバージョンはフラッシュバージョンとは似ても似つかない。この2019年バージョンは最新のゲームエンジンUnityで開発されているからだ。
しかし、Ågrenはこのゲームエンジンの使い方をいちから独学で学ばなければならなかった。
「多くの友人がUnityを話題にしていて、使うべきツールに思えたので試してみました。Unityの使い方と新しいスクリプト言語を学ばなければなりませんでした」
「フラッシュが2Dだったのに対し、Unityは3Dでスクリプトを書く必要がありましたので、習得するまでは少し時間がかかりましたね」
「また、3Dモデリングソフトも使ったことがなかったので、Blenderを学ぶ必要もありました。かなり多くを学ばなければなりませんでした」
「長い旅でした。1年目の大半は仕組みを理解するのに費やしました。『My Friend Pedro』のモダンバージョンの開発を始めた頃の僕は、このゲームを本当に作るのかどうか決めかねていました」
「結局、その判断には数ヶ月かかりましたね。なぜなら、国を出た僕はしばらく住む場所を見つけることができなかったからです。人生が宙に浮いているような感じでした」
「ですが、自分を忙しく保ちたかったですし、3Dの勉強も続けたかったので、とりあえず数ヶ月間はBlenderで椅子やテーブルなどの小さな3Dアセットを作り溜めていくことにしました」
「もし『My Friend Pedro』を作らないという判断を下しても、3Dアセットのライブラリは残るので、他の何かに使えば良いと考えていました」
ワンマン・インディーバンドと呼べるÅgrenは、自分の作品を仕上げるために複数の仕事を兼務しなければならなかった。
ワンマンでの開発は、頼れる人が誰もいないということを意味していたが、逆を言えば、たとえすべての仕事を完全にマスターできなかったとしても、自分のクリエイティブなビジョンを維持し、自分の好きなように作れることを意味していた。
「複数の役割を担うのは楽しかったですね。何かに飽きたら他の何かをすれば良かったので。遊びながら学んでいくような感じが面白かったです。すべてが有機的に結びつきながら大きくなっていくので、驚かされますよ」
「あとは切りかえてリフレッシュもできます。僕がひとりでも開発を続けられているのは、複数の仕事を切りかえているので常に新鮮に感じることができているからだと思います」
「もちろん、仕事量は多いです。また、これは全仕事にほぼ共通して言えることですが、僕の能力は並程度です。ですが、“どうやったらいいのか分からないけれど、終わらせるまで諦めずに続けるぞ” というメンタリティだけは維持しています」
ファンタジーなレベルも存在する
ファンタジーなレベルも存在する© DeadToast Entertainment/Devolver Digital
実際、Ågrenはサウンドデザインを含む他の多くの仕事について、実は何と呼ばれている仕事なのか知らないとしている。
そのような仕事を進めるためのツールを学ぶために、Ågrenも他の人たちと同じように、新しいスキルを学びたい時の駆け込み寺、つまりYouTubeをチェックした。
「最初の最初は “どうやってオブジェクトを動かすのか” や “どうやってオブジェクトの位置を変えるのか” などについて学ぶ必要がありました」
「そのような疑問から始まって、一度全体を学びます。そのあとで、自分のクリエイティブな部分を使って “これができるということは、あれもできるから、あれを起こすことができるんだな” と考えるようになっていくんです」
3Dアセットの作成方法を学び、それらをUnityでまとめる方法を学んだÅgrenは、開発期間を短くするためにコピペ作業に多くの時間を割いた。
この結果、複数のレベルが同じアセットやオブジェクトを共有することになったが、ライティング色彩を上手く変えているため、レベルごとに大きく異なる雰囲気を生み出せている。
モノクロのテクスチャを選んで同じアセットを繰り返し使えるようにしたのですが、それでも新しいエリアにいるフィーリングをプレイヤーに与えることができています」
「また、ポストプロセッシングで色彩を変えているので、アセットを大量に作り直す手間を省いて違うエリアを表現できています」
レベルをデザインしたあとオブジェクトを配置していく作業は今作の開発における大きなプロセスのひとつだったが、もうひとつ大きなプロセスがあった。スプリットエイムだ。このゲームでは2丁拳銃をそれぞれ異なる方向にエイムして撃つことができる。
「フラッシュからUnityへ移行した時に一番面白いなと思ったのが、マウスの右ボタンにアクションをアサインできるところでした。フラッシュではできません。マウスの右ボタンをどう使うかについて考え始めてすぐに浮かんだアイディアが、スプリットエイムでした」
「元々はPCゲームとして開発を進めていたので、キーボードで移動、マウスでエイムを想定していました。プレースホルダーとしてこの操作方法を用意して、あとで微調整すれば良いと思っていたのですが、実際にプレイしてみると非常に上手く機能することが分かりました」
派手な爆発ももちろん楽しめる
派手な爆発ももちろん楽しめる© DeadToast Entertainment/Devolver Digital
それから4年半後、Ågrenは『My Friend Pedro』をついに完成させた。モダンバージョンはフラッシュバージョンとは “月とスッポン” ほど違う作品になった。
依然として “スメルズ・ライク・ア・ティーンスピリット” だが、全体が大幅にリファインされており、気の利いたジョーク、簡単な操作、GIFのアビリティ、スローモーションは実に2019年らしい。
また、同時に学校の図書館で昼休みにフラッシュゲームをプレイしていたゲーマーの多くにノスタルジックなフィーリングを与えることにもなるだろう。
PC版の他にNintendo Switch版も用意されているが、こちらは22nd Century Toysというサードパーティが移植を担当した。
これまでの任天堂は、サードパーティタイトルに関しては子供向けの作品を重視していた。
しかし、Nintendo Switchでは、『Wolfenstein II: The New Colossus』や『DOOM』などの作品がこのハイブリッド機でリリースされている他、インディータイトルも充実しているため、パブリッシャーのDevolver Digitalは『My Friend Pedro』にも適していると判断したのだ。
Ågrenは次のように説明する。
「Nintendo Switch版の話が出たのは開発後期、つまりDevolver Digitalとパートナーシップを結んだあとですね。Devolver Digitalは任天堂と良好な関係を築いていますし、任天堂は移植版のリリースにかなり前向きな印象でした」
「僕自身もNintendo Switchはリリースに適しているプラットフォームだと思いました。何しろNintendo Switchはインディータイトルが好調ですからね」
「移植にはしばらく時間がかかりましたが、そこまで大仕事ではなかったですし、助けも得ることができました」
Nintendo Switch版をリリースしたÅgrenだが、他のプラットフォーム版については固く口を閉ざしている。しかし、彼が相当な時間をかけてゲームパッドで正しく操作できるように調整したという事実を踏まえると、NewgroundsからPC、そして他のプラットフォームへと移行していった多くのゲーマーたちの手元にもいずれ届くことになりそうだ。
Twitterアカウント@RedBullGamingJPFacebookページをフォローして、ビデオゲームやesportsの最新情報をゲットしよう!
ゲーム
Gaming