ミュージック

Dante Ross、Run DMCについて語る

オールドスクールヒップホップを語る上で外せない存在Run DMCが与えた影響についてヒップホップ界に長年携わる人物が語る。
Written by Gianluca Quagliano
読み終わるまで:4分公開日:
Run-DMC
Run-DMC
Dante Rossは 音楽業界有数のA&Rとして知られている。De La Soul、Busta Rhymes、ODB、 Souls of Mischiefなどを担当した彼だが、自分の人生を変えた存在はRun DMCだったとしている。今でも彼らのファンだと言うDanteが彼らとの出会いなどを振り返った。
Dante
Dante
「いわゆるニューヨークのティーンエイジャーだった俺は、当時のハードコアパンクに衝撃を受けて育った。Bad Brainsを崇拝していたね。彼らの音楽は直感的で、言葉では説明できないような、感動的というよりも宇宙的なパワーが備わっていた。1980年、俺が13歳か14歳の頃、俺は髪を切ってヒッピー的なものに別れを告げて、CBGBやDanceteriaなどに通うようになったんだ」
「俺は70年代後半から80年代初頭にかけてロウワーイーストサイドで過ごしたが、ラップに触れずにあそこで生活することは不可能だったよ。だから小学校6年生の時に1ドルで『Rapper’s Delight』を買ったんだ。ラップに興味を持ってはいたが、それは流行していたからであって、心の底から好きだったという訳ではなかった。だが、15歳になった時、Beastie BoysやLuscious Jacksonの連中も含めた俺の周りはパンクが暴力的になり過ぎて詰まらなくなってきたと感じていて、ヒップホップに面白さを見出すようになっていった。だから、その頃は週末になるとThe RoxyでJazzy JayやAfrica Islamを聴きつつ、CBGBでBlack Flagを聴くという感じで遊んでいたよ」
「そしてある金曜日に俺の人生を変える曲を聴いたんだ。遊びに出掛ける前に友人と安いビールを飲みながら、Kiss FMのヒップホップ番組『Zulu Power Hour』を聴いていた。その時に彼らの『Sucker MC’s』を初めて聴いたんだ」
「まるでBad Brainsを初めて聴いた時のような衝撃だったよ。凶暴でミニマルで、荒々しいサウンドで、ラップもタイミングが面白く、複雑で素晴らしかった。強烈なドラム、正確なスクラッチ、そして迫力あるラップはまるで耳元で叫ばれているようだった。その数日後、12インチを手に入れたんだが、B面の『It’s Like That』もA面同様素晴らしい楽曲だったし、両面がDJたちにプレイされてヒットした」
「Run DMCは観客と同じファッションをした初めてのラップグループだった。デビュー当時からB-Boyだったんだ。Danceteriaで初めて彼らを見た時のことを良く憶えているよ。全員がファットレースのシューズを履いて、D.M.Cはカンゴールのベルハット、Runはステットソンのハット、Jam Master Jayはレザージャケットにゴールドのロープチェーン、ステットソンのハットという出で立ちだった。ロープチェーンは全員が身に着けていたけれど、本当に太かったね。凄くクールで、堂々としていた」
「ライブも素晴らしくタイトだった。差し込んでくるアドリブやライムは強烈なパンチのようだったし、B-Boyの格好をしたパンクロックだった。Jam Master Jayは最高だったよ。3曲の短いセットでも、未来を感じさせてくれた。アメリカの白人社会とラップミュージックの繋がりはあの晩に始まったんだ。Russell Simmonsはダウンタウンの連中をアッと言わせることが出来れば、アメリカの中産階級がついてくることを知っていたんだ」
「俺はRussellと出会ってから、彼とRick RubinがDef Jam帝国を築き上げる姿をずっと見てきた。Jam Master Jayとも友人になって、バスケットボールをプレイしたり、チャイニーズを一緒に食べたりする仲になった。Public EnemyのライブでD.M.Cと一緒にガラスを殴って手を縫うけがもしたし、Run DMCとBeastie Boysと一緒にツアーを回っている時はRunに色々いじられもしたよ。それで最終的に『Crown Royal』で1曲プロデュースすることになった。この作品は彼らのベストとは言えないが、一緒に仕事が出来たことは光栄だったね」
「今でもJam Master Jayのこと、そして当時の彼らの音楽が持っていたパワーを思い出す。Run DMCはアメリカを変えた存在だった。MTVがラップを流すようになったし、ヒップホップカルチャーをアリーナクラスまで育て上げ、街中のキッズたちが全員アディダスのスーパースターを履くようになった。そして何よりも俺の人生が彼らによって大きく変わったんだ」
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