1996年11月8日 / 岩手県出身
© Kunihisa Kobayashi / Red Bull Content Pool
スキージャンプ

「小林陵侑」スキージャンパー幕開けから躍進、未来の話!

日本人男子初のスキージャンプ・ワールドカップ総合優勝者、小林陵侑の活躍に期待が高まる2023/2024シーズンがいよいよ開幕! ここでは、既存の価値観に捉われないスタイルで勝負する彼の人物像を深掘りする。
Written by Hisanori Kato
読み終わるまで:8分最終更新日:
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ジャンパー、小林陵侑の誕生!!

「中学高校の頃は、自分が今こうやってスキージャンパーとしての道を歩んでいるなんて考えてもみなかった」
2015年の春、スキージャンパーの小林陵侑(こばやし・りょうゆう)は、同じくスキージャンパーで今やリビングレジェンドとしてその名を世界に轟かせる葛西紀明選手の目に留まり、強豪・土屋ホームスキー部の門をくぐる。この時、18歳。
小林 陵侑

小林 陵侑

© Red Bull

以降、2016年のFIS ワールドカップ ザコパネ大会で7位という鮮烈なデビューを飾り、2018年のFISサマーグランプリジャンプ 白馬大会で初優勝。同年、ドイツ・オーストリアで開催されたスキージャンプ週間では4連勝という快挙を果たし、史上3人目のグランドスラムを達成。
さらに2018-2019シーズンでは、日本人初のFISスキージャンプワールドカップ男子総合優勝を成し遂げるなど、これまでに様々な記録を次から次へと塗り替え、今や日本が世界に誇るトップレベルのジャンパーとして活躍する。
スキージャンパー、小林陵侑。1996年11月8日生まれ、岩手県出身。

スキージャンパー、小林陵侑。1996年11月8日生まれ、岩手県出身。

© Teruhisa Inoue

そんな小林は、いかにしてスキージャンパーとしてのキャリアを歩むこととなったのか(ちなみに小林には兄・姉・弟がおり兄弟全員がスキー選手)。物語は彼が生まれた岩手県の八幡平市から始まる。
「スキーは兄に憧れて3歳の時に自宅の庭先で初めたのが最初です。ジャンプとの出会いは、保育園をあがるくらいの時でした。中学校の先生をしていた父は、スキー部の顧問をしていたんです。たまたま兄がスキー部を見学しに行った時にジャンプの選手を見て“俺もジャンプを始めたい!”となって、それを聞いたお兄ちゃん子だった僕は、当然“じゃあ僕も”と。後日、父と兄と一緒に20M級のジャンプ台に行ったのが最初です。ただ、その時は流石に怖すぎて飛べなかった(笑)」
今回の撮影場所となった長野県白馬ジャンプ競技場

今回の撮影場所となった長野県白馬ジャンプ競技場

© Teruhisa Inoue

初めてスキージャンプにチャレンジしたのは小学3年生の頃だとか。その後、より本格的にジャンプと向き合うようになった中学生の頃からメキメキと頭角を表し、国内の大会で素晴らしい成績を収めていくこととなる。
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不純な動機からの大きな飛躍!!

「中学高校の頃は、ジャンプとコンバイン(ノルディック複合)の両方に出場していました。全国中学大会で優勝したり、高校の時も国体で優勝したことがあります。ただ、世界にはほぼ行ったことがないんです。僕の上の年代の方達って、高校の頃にはW杯に出たり、世界ジュニアの表彰台に登ったりって人たちがとにかく多かった。なのでその時の自分は“プロを目指す”って意識が薄かったんです」と、当時を振り返る小林。冒頭の発言の理由はここにある。
スキージャンパー小林陵侑

スキージャンパー小林陵侑

© Teruhisa Inoue

しかし、高校を卒業と同時にプロへと転向する。果たしてそこには、どのような心変わりがあったのだろう。「兄がコンバインのW杯などでずっと海外を回ってたんです。それを見て単純に“世界に行けていいな! 楽しそう。まだ働きたくないし、もう少し頑張って俺も海外に行きたいな”って……。かなり不純な動機なんですよ(苦笑)。そういった意識だったので、当然、プロになってもあまり結果を残せていなかった」
そんなある日、後の運命を大きく左右する出会いが訪れる。日本スキージャンプ界のレジェンド、葛西紀明選手の存在だ。小林のジャンプスタイル(日本人になはいジャンプの空中姿勢)が葛西紀明選手の目に留まり、氏が選手兼任監督として所属する土屋ホームからのスカウトを受けて入社。それと同時に体力に自信がなかったという小林は、より高みを目指すため、ジャンプへの専心を決意した。
スキージャンパー小林陵侑

スキージャンパー小林陵侑

© Teruhisa Inoue

「そこから僕の競技人生が大きく変わっていきました。葛西監督とは、スキーに関することやトレーニングだけでなく、ジャンプの練習の一環として、(バレーやテニスなど)あらゆるスポーツを一緒にするんです。そのどれにおいても一切手を抜かずに本気で勝ちにくるんですよ。そんな日々を過ごしていると、いつの日からか“負けず嫌いな性格”に変わってました。ほぼ不純な動機で始めた僕に“勝つ楽しさ”を教えてくれたのが葛西監督。そう言った気持ちの変化もあって、徐々に世界の大会でも結果を残せるようになっていきました」
▲小林陵侑のインスタ(公式Instagram)より。
そんな小林が“負けず嫌いな性格に変わった”と実感できた大会がある。2018年にポーランド・ヴィスワで開催されたW杯だ。
「個人戦開幕戦で3位になって初めて表彰台に立ったんです。昔の自分だったら、すごく喜んでたはずなんですけど、“あれをやってれば”だとか“あのミスさえなければ”と、後悔の念に駆られて。心の底から悔しかった。その年(18-19シーズン)にW杯総合王者になれたんですけど、きっとそれは、そういった初めての気持ちがあったからじゃ無いかなって思ってます」
スキージャンパー小林陵侑

スキージャンパー小林陵侑

© Teruhisa Inoue

続けて、これまでのキャリアで最も印象に残る大会を聞くと、
「4年前に初めてのW杯でポーランドのザコパネに行ったんです。ポーランドはジャンプ人気が高いので、2日間で4万人オーバーとすごい観客が集まるんです。そんな大舞台でラッキーもあって、個人戦で7位に入れたんです。その時の周りの反響がとにかくすごかった。ジャンプには、これだけの人を沸かせる力があるんだって。それは今も僕にとっての大切なモチベーションのひとつになってます」
終始、軽やかな口調で話し続ける小林。穏やかでとても落ち着きのある印象で、思わず“本当に24歳なのか?” と、何度も疑いたくなったが、その疑問の答えはこの後のコメントに落ちていた。
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スキルアップに必要なスキー以外のこと

スキージャンパー小林陵侑

スキージャンパー小林陵侑

© Teruhisa Inoue

「最近は、ファッションや車のことに興味があって、スキージャンプ以外の時間はそういったことで息抜きをしています」
確かに本日の着こなしを見ると、レッドブルのキャップに土屋ホームのシャツといったパートナー企業のアイテム以外は、ネイバーフッドのパンツにコンバース チャックテイラーのスニーカーなどを身に付け、ファッションへの関心度の高さが伺える。
▲小林陵侑のインスタ(公式Instagram)より。
「藤原ヒロシさんが関わっているfragment designや、裏原系のストリートブランドに影響を受けました。車は、20歳の頃にポルシェのスポーツカー、ケイマンをローンで購入して、手放した今はレクサスのLC500に乗ってます。オフの日は、そういった趣味のことを考えたり、スタイリストさんや車屋さんの方とご飯に行って色々と学ばせてもらったりしています。僕、落ち着いてますか? きっと、そういった歳の離れた大人の方と話す機会が多いからかもしれないですね」
言葉を選びながら丁寧に時には情熱的に、そして真剣な眼差しで話すスキージャンプについてとは打って変わり、まるで少年のようなテンションで趣味について語る姿がとても印象的だ。
スキージャンパー小林陵侑

スキージャンパー小林陵侑

© Teruhisa Inoue

さらに、「小さい頃からずっとスキー競技一辺倒だったんです。でも、違ったジャンルの方と話しをすることは、また違った世界の勉強ができる。それは、自分の視野を広げることにも繋がる。だから結果的にスキージャンプにも生かされてくるんだと思ってます」
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同世代と目指すスキージャンプ界の将来

小林にとって、ファッションや車などに関心を持つことは、なにも趣味や息抜きに限った話ではない。その理由を彼が影響を受けたという、あるスノーボード選手のエピソードを例に挙げて説明する。
「たまたま見たスノーボーダーのロングビデオに強い衝撃を受けたんです。競技だけでなく、誰にも真似のできない自分だけのスタイル、ライフスタイルで人を惹きつける姿がカッコ良かったんです。横乗り系の競技にはライフスタイルも含めた魅力がある。結果が全てのスキージャンプにはない要素なんです。だけど僕は、スキージャンプにもそういった要素があってもいいと思う。だから、そういった“スタイル”のあるアスリートになっていきたい。競技や競技外で影響を与えられるアスリートになって、ジャンプに興味を持ってくれる若い世代をもっと増やしていきたい」
柔らかい語り口調だったが強い意志を感じた。
スキージャンパー小林陵侑

スキージャンパー小林陵侑

© Teruhisa Inoue

続けて、「うちのアシスタントコーチをやってる奴は、元々ライバルでずっと一緒にやってきた仲間。それに今、W杯を回っているメンバーの中には、中村直幹をはじめ同世代のジャンパーが沢山いるんです。昔から大会を通じて高め合ってきた奴らとは、今もいい刺激を与えたり与えてもらったり。そういった仲間たちでスキージャンプの魅力をさらに広げていきたい。自分たちがずっと先輩たちの背中を追いかけてきたように」
小林陵侑

小林陵侑

© Samo Vidic/Red Bull Content Pool

帰り際、“将来の夢はありますか?”と尋ねると、「W杯やジャンプ週間で金メダルをとることが最優先。いつまで続けられるか分からないけど、いくつになってもずっと飛んでいたいですね」と、清々しい笑顔で答えてくれた。
小林陵侑が同世代の仲間と生み出す新しいスキージャンプの世界が一体どういったものなのか、まだ見ぬ未来を期待せずにはいられない。
◆Information
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