現在Red Bull TVでは、チャンピオンズリーグ優勝経験を持つ元フランス代表FWジブリル・シセがスマートウォッチTAG Heuer Connectedと共にヨーロッパ各地を旅して、プロサッカークラブのアカデミーからトップチームへの昇格を果たせなかった若き才能たちにセカンドチャンスを与えていく新番組が公開されている。
全3エピソードで構成されているこの『The Streets Don’t Lie』は、シセがロンドン、パリ、そしてベルリンに眠る才能を発掘したあと、実践テストを通じて各都市の最優秀選手をひとり選び、彼らにセカンドチャンスとしてレッドブル・ライプチヒ、レッドブル・ザルツブルク、ニューヨーク・レッドブルズのアカデミーのトライアルを受ける権利を与えるという内容になっている。
エピソード1のトレーラーを下で確認したあと、TAG HeuerのYouTube公式チャンネルでエピソード2とエピソード3のトレーラーもチェックしよう!
才能あるサッカー選手たちにセカンドチャンスを与えるこの新番組の公開を記念して、プロデビューしてからビッグクラブで結果を残すまでにある程度時間がかかった遅咲きの名選手を7人紹介しよう。
1:ジブリル・シセ
まずは番組のホストから紹介しよう。シセはフランスサッカーリーグ最高峰リーグ1に所属する古豪オセール(ローラン・ブランやエリック・カントナも在籍)で6シーズンに渡りプレーしたあと、2004-05シーズンに23歳でプレミアリーグのビッグクラブ、リヴァプールへ移籍し、1年目でチャンピオンズリーグ制覇を体験した。ACミランとの対戦となったチャンピオンズリーグ決勝で、延長突入後に交代出場したシセはPK戦で見事にゴールを決めてリヴァプールの優勝に貢献した。リヴァプールが0-3から大逆転劇を演じたこの決勝はイスタンブールの奇跡と呼ばれることもあるが、骨折で7ヶ月戦列から離脱していたシセの復活も、ある種の奇跡だったと言えるだろう。インスタンブールの奇跡を下の映像でチェック(PK戦は6分16秒から)!
2:イアン・ライト
イングランドの下位クラブ、ブライトン・アンド・ホーブ・アルビオンとサウスエンド・ユナイテッドとのプロ契約が流れたあと、交通違反で短期間服役した経験を持つイアン・ライトは、まさに遅咲きの選手だ。ライトは服役後にサンデーリーグでプレーしていたが、グリニッジ・ボロとセミプロ契約を結ぶと、その翌年にクリスタル・パレスのトライアルを受けて22歳直前で初のプロ契約を結んだ。そして、クリスタル・パレスで6シーズン計250試合以上に出場し、117ゴールを決める大活躍を見せたライトは、アーセナルへ移籍した。ライトはアーセナルでも活躍を続け、288試合出場179ゴールという素晴らしい記録を打ち立てた他、プレミアリーグと複数のカップ制覇も成し遂げた。左官職人になっていた可能性を踏まえると、素晴らしい結果と言えるだろう。
アーセナル時代のゴールを集めた11分のハイライト映像をチェック!
3:ミロスラフ・クローゼ
フランスのオセールでプレーした経験を持つ父とハンドボールポーランド代表として活躍した母を持つクローゼの体にプロアスリートの血が流れていたのは当然だが、その血が認められるまでは驚くほど長い時間がかかった。20歳頃のクローゼはドイツのマイナークラブ、FCホンブルクのトップチームにも定着できない選手だったが、1999年にカイザースラウテルンに移籍すると才能が開花し始め、このクラブでブンデスリーガデビューを果たすと、2004年にブレーメンへ移籍し、2007年にはバイエルン・ミュンヘンへステップアップし、移籍1年目の2007-08シーズン、30歳直前で初のブンデスリーガ優勝を体験した。クローゼは2015-16シーズン終了後、ラツィオで現役を終えた。クローゼがドイツ代表に選ばれたのは23歳の時だったが、すぐに頭角を現し、最終的にドイツ代表として139試合出場71ゴール(ワールドカップ16ゴールは最多記録)という大記録を打ち立てた。下の映像でドイツ代表時代のクローゼのゴールをチェックしよう。
4:ジェイ・デメリット
米国・ウィスコンシン州生まれのジェイ・デメリットは将来有望な大学生選手だったが、MLSのクラブから契約を勝ち取ることはできなかった。その後、デメリットはバーテンダーとして働いたが、祖父がデンマーク出身であることを利用してヨーロッパでの就労許可を取得すると、9部リーグ相当に所属するウエストロンドンのクラブ、サウスオールでプレーを開始した。その後、7部リーグに所属するノースウッドへステップアップしたデメリットは、フレンドリーマッチで対戦したワトフォードの目に留まり、トライアルを受けて2004年に合格。2006年のプレーオフでマン・オブ・ザ・マッチに輝く活躍を見せたデメリットは、同年のワトフォードのプレミアリーグ昇格の大きな力となった(残念ながらワトフォードは1シーズンで降格)。この活躍でMLSもようやくデメリットの才能に気づき、デメリットは2011年にバンクーバー・ホワイトキャップスへ移籍。クラブ創設初年度のキャプテンを務めた。このデメリットのサクセスストーリーは『Rise and Shine』というタイトルでドキュメンタリー映画化もされたが、『Wisconsin to Watford』の方が相応しいタイトルに思える。下の映像でトレーラーをチェックしよう。
5:ディディエ・ドログバ
コートジボワール出身のディディエ・ドログバは、サッカー選手だった叔父と暮らすために幼少時にフランスへ移住したが、その血筋が世界に認められるまでは時間がかかった。ル・マンと契約を交わして21歳でプロデビューを果たしたあと(同時に大学で会計学を学んでいた)、ギャンガンへ移籍。そして、このクラブでゴールハンターとしての才能が認められてマルセイユへ移籍すると、このクラブでチャンピオンズリーグデビューも果たした。しかし、彼が今の名声を得るきっかけになったのは、2004年、26歳の時に実現したジョゼ・モウリーニョ監督率いるチェルシーへの移籍だった。このクラブに8年間在籍し200試合以上に出場したドログバは、最後の試合となったチャンピオンズリーグ決勝のPK戦で優勝を決めるシュートを決めた。その後、中国とトルコでプレーしたドログバは2014年にチェルシーへ復帰して、再びモウリーニョ監督と組んだ。チェルシーのレジェンドとなったドログバは、コートジボワール代表でキャプテンを務め、ワールドカップにも3回出場した。また、ドログバは代表歴代最多ゴール記録保持者でもある。下の映像でチャンピオンズリーグ優勝を決めた伝説のPKをチェックしよう!
6:ダド・プルショ
現在はクロアチア領内に位置するザダル(当時はユーゴスラビア)に生まれたダド・プルショは2つ目のクラブ、ハイデュク・スプリトのメディアカルチェックで心臓に欠陥があることが判明。スターへの道は絶たれたかのように思えた。しかし、クロアチアのトップクラブ、パジンカが獲得したことで当時18歳だったプルショはそのままサッカーを続け、やがてフランスへ渡った。1995年に所属していたスタッド・ラファエル時代は整備工とプロサッカー選手という二足のわらじを履いていたプルショだったが、スタッド・ラファエルがモンテカルロからほど近い距離にあるクラブだったことから、ASモナコのジャン・ティガナ監督の目に留まり、リーグ1強豪クラブへの移籍が決定。2000年のリーグ制覇に貢献したプルショは、2003-04シーズンのチャンピオンズリーグでも、グループリーグのデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦でチャンピオンズリーグ1試合最多ゴール数(当時)となる4ゴールを決めて8-3の勝利に貢献するなど大活躍を見せ、このクラブを準優勝へ導いた。その後もグラスゴー・レンジャーズで3シーズンに渡って活躍し、このクラブでもレジェンドのステータスを築き上げた。下の映像でレンジャーズ時代のハイライトをチェックしよう!
7:ルカ・トーニ
ルカ・トーニにバーテンダーや整備工の経験はないが、イタリア国内だけで12クラブも渡り歩いたこの男がレジェンドとして名を残しているのは素晴らしい。ヴィチェンツァとブレシアでセリエAを経験していたトーニだったが、2003年に26歳で移籍したセリエBのパレルモで才能が開花。移籍初年度に30ゴールを決めてパレルモのセリエA昇格に貢献すると、昇格後も20ゴールを決めてクラブの残留と躍進に貢献した。2005年のフィオレンティーナへの移籍は物議を醸し出したが、それでも31ゴールを決めた。セリエAでひとりの選手が30ゴール以上決めたのは、ほぼ半世紀ぶりの快挙だった。その後、トーニはバイエルン・ミュンヘンを経て、複数のセリエA所属のクラブでプレーした。イタリア代表としても、27歳で初招集されると、2006年ワールドカップ予選でハットトリックを決めた他、本戦でも2ゴールを決める活躍を見せ、イタリア代表の同大会優勝に貢献した。下の映像でトーニのハイライトをチェックしよう!