Mounia posing for the camera in front of a wall with white and red stripes
© Little Shao/Red Bull Content Pool
ダンス

ストリートダンス:ファッションヒストリー

時間と共に大きく変化してきたストリートダンスシーンのファッションを8つの視点から解説する。
Written by Tracy Kawalik
読み終わるまで:7分Published on
ヒップホップカルチャーを構成する4要素(MC・DJ・グラフィティ・ブレイキン)で重要とされている “フレッシュルック”“自己表現”“オリジナリティ” は、このカルチャーの進化の歴史の中で不変を貫いてきた。
ホワイトグローブとadidasのジャージがクールとされていたブロンクスでの黎明期から、ディーバたちがピアスとタトゥーを好んだ『ソウルトレイン』時代、そしてB-BoyとB-Girlがオリジナルブランドを立ち上げるようになった現在までを振り返りながら、ストリートダンスの歴史について知っておくべき8つのキーワードと歴史を生み出したオリジネイターたちを紹介する。

1. Kangol / adidas / Rock Steady Crew

DJ Kool HercとGrandmaster Flashが初めてターンテーブルを使い、Crazy LegsやFrosty Freezeが初めてヘッドスピンをした1977年は、adidasのストライプミラーサングラスKangolのハットが最高にドープなルックスに必要な3アイテムとされていた。
M.O.P.Billy Danzeは次のように当時を振り返っている。
「ブルックリンの近所で行われているブレイキンを見ながら俺たちは育った。公営住宅の裏側でジャムが行われていて、色んな奴らが集まっていた(プエルトリコ系が頭ひとつ抜けていた)。LL Cool Jが来た時もあったね」
みんなグローブをはめて、adidasのジャージを着込んでいた。背中には自分の名前が書かれたシャツを着ていて、壁にはクルーのグラフィティを背負っていた。レンズを抜いたメガネもかけていたな。彼らはまさにレジェンドだった。ガチでドープだったよ」
KangolのハットとadidasのパンツをまとったB-Girl Kastet

KangolのハットとadidasのパンツをまとったB-Girl Kastet

© Little Shao/Red Bull Content Pool

2. スニーカーカルチャー

Rock Steady CrewのメンバーBobbito Garciaは、1991年にヒップホップマガジン『The Source』でスニーカーカルチャーを初めて取り上げたコラムを書いたことで、ヒップホップ史に大きなひとつの足跡を残した。
また、Garciaは、スニーカーカルチャーに関する膨大な知識とこのカルチャーへの貢献、そしてスニーカーのカスタマイズスキルから今もリスペクトされているが、ヒップホップラジオDJのレジェンドのひとりとしても知られている。
さらに、Garciaは3作目のドキュメンタリー映画『Rock Rubber 45s』を2018年に公開した。この映画は彼の自伝であると同時に、ヒップホップとスニーカーへの愛を語っている。本人は「1975年にPro-Keds Superを手に入れたのが全ての始まりだった。この時から安物のスニーカーを捨てて、みんなが注目するモデルを履くようになったのさ」と振り返っている。
ブレイカーの間で人気が高いPumaのスウェードを履いたB-Girl Ami

ブレイカーの間で人気が高いPumaのスウェードを履いたB-Girl Ami

© Dean Treml/Red Bull Content Pool

3. ポッパー&ロッカー

1970年代にネクストレベルな存在としてシーンに登場したのが、ロッカーポッパーだった。パントマイム、ディスコ、ヒップホップ、ストリートからの影響を組み合わせていた彼らは強烈なルックスを誇っており、派手で個性豊かだった。彼らはストライプソックス、原色のサテンシャツ&ブラウス、ペグパンツ、大きめの襟、アップルキャスケットなどを好んでいた。
カスタムクルージャケットを見せるGreenteck

カスタムクルージャケットを見せるGreenteck

© Drew Gurian/Red Bull Content Pool

4. ソウルトレイン

伝説のダンス番組『ソウルトレイン』は踊りながら強烈なファッションをアピールするダンサーたちが魅力のひとつだったが、思い思いの派手な衣装をまとったダンサーたちの中に、ハットを被っているダンサーはひとりもいなかった
その理由は、Johnson Product Company(アフロ用整髪料 “Afro-Sheen” の製造元)がメジャースポンサーになった関係で、ダンサーがハットなどで髪の毛を隠すことが禁止されたからだ。Johnson Product Companyは、自分たちの製品でできる髪型を番組内で見せたいと考えていた。

5. ワッキング&ヴォーギング

ロサンゼルスのLGBTクラブ発祥のワッキング(Waacking)と、1960年代のハーレムのボールルームシーン発祥のヴォーギング(Voguing)の登場はクラビングの未来を変え、さらにはMadonnaの名声にも貢献したが、ファッション史の中で最もエキサイティングで、刺激的で、美しくて、強烈なルックスを生み出すことにもなった。
信じられないほど底が厚いプラットフォームシューズ、ウィッグ、フィッシュネット、クラブキッズウェア、レザー、レース、ラテックスなどを好んだワッキングシーンとヴォーギングシーンに、“トゥーマッチ” という単語は存在しない。
それゆえに、彼らのダンスバトルでは、シャープなポーズやデスドロップ、大げさなウォーキングだけではなく、観客の度肝を抜く派手なルックスも審査対象に含まれている。
Red Bull BC One Camp France 2018でのIbukiとYumeki

Red Bull BC One Camp France 2018でのIbukiとYumeki

© Little Shao/Red Bull Content Pool

6. Tribal Gear

2000年代初頭は、B-BoyとB-Girlの間で、Tribal Gearとオールドスクールリバイバルが流行した。B-Girl Jeskilzは次のように説明している。
「わたしは2000年代初めからダンスを始めたんだけど、当時は典型的なB-BoyとB-Girlのルックスにそこまで拘っている感じはなかった。ブレイキン関係のブランドなら何でも構わないって感じだったの。それでみんなが好んで着ていたのがTribal Gearだったってわけ。一番メジャーだったから」
「そのあと、Rock Steady時代にオールドスクールなスタイルを打ち出すようになったの。わたしがBetaとバトルした時は、彼女がオールドスクールなスタイルに2000年らしいTribal Gear的なフレーバーを取り入れていたのに対し、わたしはadidasのジャケット、adidasのハット、adidasスーパースターだった」
「あと、Rock Steady CrewとFlow Moのバトルを見てもらえば、わたしたち全員が同じファッションをしているのが分かると思う。クルーネームが背中にプリントされたTシャツと全員お揃いのジャケットを着ていた」
「そのあとで、Pumaのファットレースとトラッカーキャップを好む新しいスタイルも出てきた。Rock Steady Crewがオールドスクールなスタイルを復活させたと認識されていたのはクールだったわ」

7. オリジナルブランド

パワームーブと優れた運動神経がブレイキンシーンで台頭し、スターダンサーたちがビッグムーブを連発するようになると、B-BoyとB-Girlのファッションスタイルも、その幅広いムーブに対応できるものへと変わっていった。
大会やバトルシーンが急成長を遂げ、同時に人気とスポンサーを獲得するチャンスが増えていくと、ブランド名を施したウェアを着たり、自分のブランドを立ち上げたりするダンサーが増えていった。
B-Girl Jeskilzは「ここ2~3年で、ブランドを立ち上げるB-BoyとB-Girlが増えたと思う。Nikeやadidasの製品を買うんじゃなくて、自分たちのコミュニティに投資することを意識するダンサーが増えたのよ」と解説している。

8. 自己表現

ストリートダンスのあらゆるシーンで昔も今も大事にされていることは、何かを守ることよりも自分を表現することだ。
オールドスクールなバイブスを好むダンサーたちの間で復活を果たしているKangol、Polo、Fubuなどのブランド、反抗心をアピールしたいダンサーたちが好んでいるフェイスタトゥー、ネオンヘア、ピアス、そしてフレッシュなスタイルをアピールしたいダンサーたちが好んでいるGucci、Palace、Yeezyなど、誰もが思い思いのアイテムで自己表現をしている
スタイルを問わず、全ダンサーが注目を集め、記憶に残りたいと思っているのだ。