加藤忠幸というオトコの半生

加藤忠幸というオトコの半生

© Nahoko Suzuki

トレンドを発信し続けるセレクトショップBEAMS。いまや大手アパレル企業として世界基準の飛躍を魅せる同ショップ内で、カウンターカルチャーの魅力を誰よりも大きな声で叫び続ける男、加藤忠幸氏。そんな彼が念願だった“サーフ & スケート”の担当バイヤーに上り詰め、今やBEAMSの名物スタッフとして注目を集めるまでの半生に迫りたい。

加藤忠幸というオトコの半生
加藤忠幸というオトコの半生
固定概念にとらわれない自由な表現方法で、アスファルトを縦横無尽に滑走するスケートボーダーたち。この連載では、10代から20代をスケートボードに傾倒してきたスケーターが大人になった今、どんなライフスタイルをおくっているのかにフィーチャーしたい。好きなことを一意専心に続ける彼らの背中から見えてくる“何か”を自身の生活にフィードバック出来れば、きっと人生はもっと豊かになるはずだ。第十一回目はBEAMSでサーフ&スケート”の担当バイヤーを務める加藤忠幸氏に迫る。
            

大学のラグビー部で出会った友人の一言

まずは、加藤さんのお生まれから教えて下さい。
加藤 神奈川県横浜市の大船あたりです。
加藤さんはいつ頃、スケートボードと出会ったんですか?
加藤 俺、今でこそBEAMSでサーフ・スケートのバイヤーなどをやってますが、出会いはかなり遅くて、大学生の頃なんです。すごく遅咲きで(笑)。
それは随分と意外ですね。生まれた土地柄(湘南にほど近いエリア)からなのか、“幼い頃にサーフィンを始めて、その影響でスケートにハマった”、みたいなことを勝手に想像してたんですが、違ったんですね。
加藤 そうなんです。中学高校と付属の学校に通っていて、どちらかというと温室育ちでしたね。中学はバスケ部に入ってましたけど、高校からは美術部に入って、その頃のアートと言えば、アンディ・ウォーホルとか、アメリカのポップアートが主流になりつつあった時代。いま思え返せば、初めてストリートカルチャーのようなものに触れたのはその頃だったのかも。あと、美術部の先輩にはオシャレな人が沢山いて、その影響でその頃からファッションにも目覚めていきましたね。
その頃といえば、やはり裏原ファッションですか?
加藤 モロその流れですね。色々な雑誌を見て古着を買ったり裏原でストリートブランドを買ったり、原宿でヨッピーさん(江川“YOPPI”芳文氏)を見て、「うわっ、本物だ!」みたいな(笑)。そんな、どこにでもいるような普通のキッズでした。
加藤忠幸というオトコの半生
加藤忠幸というオトコの半生
スケートカルチャーにはファッションから入っていったってことですよね。
加藤 そうですね。スケートファッションが最初です。ちなみにその頃のファッション雑誌といえば、どの誌面にも藤原ヒロシさんが頻繁に登場していて、色々なものを紹介してたんです。そういった流れから、PLAN BやらH-STREETの存在を知ったんですよ。
それでは、スケートボードと出会った大学の頃のお話を教えてください。
加藤 東海大学ってところに進学して、そこでラグビー部に入るんです。その時の友人に目黒高校出身の奴がいて、目黒高校ってスケボーをガンガンやってる奴が多い学校だったんですよ。それでその友達から「お前、スケートボードするの?」、「イヤ、しないよ」、「そんなファッションしてるんだったらしなきゃダメだろ!」、みたいなやりとりがきっかけだったと思います。

自身のマインド形成に大きく関係する3人の師匠

それが影響で横乗りのカルチャーにのめり込んでいくんですね!
加藤 そうですね。でもまだその頃は、プッシュだとかパワースライドをするくらいなんですけど。もっと本格的に好きになっていくのはBEAMS時代からですかね。
そこにはどんなきっかけがあったんですか?
加藤 大学卒業後、BEAMSに就職したんです。そこで出会った先輩にスケーターの人がいて、その人の影響が大きいですね。相川さんって人なんですけど、彼からは本当に色々なことを学ばせてもらいました。そんな相川さんとは別に地元の先輩からも大きな影響を受けた方がいるんですよ。
それはどういった方なんですか?
加藤 大学の頃に網膜剥離になって、大好きなラグビーが出来なくなったんです。ラグビーが出来なくなったけど体を動かしたくて。それでなんとなくサーフィンを始めたんです。そこで知り合ったのが花上次郎さんって方。ゼファー(カリフォルニアにあったサーフィンショップ。後にここから、伝説的なスケートボードチームのZ-BOYSが生まれる)のオリジナルメンバーだった方で、ジム・フィリップス(スケートボードグラフィックのパイオニア)とめちゃくちゃ仲が良かったり、とにかく凄い方なんです。
自家農園でキュウリを収穫中の加藤さん
自家農園でキュウリを収穫中の加藤さん
その花上次郎さんとはどうやって出会ったんですか?
加藤 実は俺、実家が加藤農園っていう農家で、いまは四代目としてBEAMSで働きながら農業もやってるんですよ。小学校の頃から親父の手伝いで市場に行ってたんですけど、そこでよく出会う鎌倉和菓子屋「おおくに」のおばさんがいるんですね。一度、とある縁でそこの息子さんであるKOBEさんの家に遊びに行ったことがあって。なぜか自宅にはジム・フィリップスのアートワークが飾ってあったんです。「え、和菓子屋さんなのになんで?」ってなるじゃないですか。話を聞いてみると、KOBEさんと花上次郎さんが(ジム・フィリップスと)大親友だったんです。以前から次郎さんのお噂は聞いていたので、その和菓子屋のKOBEさんに繋いでもらいました。
BEAMSで出会った相川先輩と花上次郎さんとKOBEさんの3人が加藤さんのマインド形成に大きく影響を与えてるんですね。
加藤 そうですね。次郎さんとKOBEさんを中心とした海(サーフィン)で知り合った先輩からは、ドッグタウンやらゼファーとか、オールドスクールなスケートカルチャーを学ぶんです。そんで相川さんからは、リアルタイムのスケートカルチャーを学んでました。
加藤忠幸というオトコの半生
加藤忠幸というオトコの半生
加藤さんのご自宅には、その頃から蒐集した本やらVHS、写真集にフィギュアと、ありとあらゆるストリートカルチャーのアイテムで溢れかえってますよね。特にこのVHSの量なんて凄い!!
加藤 上手い人はスラッシャーやトランスワールドとか、スケートボードの専門誌を見てトリックを磨いているじゃないですか。でも俺みたいな下手クソは、活字だけだとダメなんですよ。映像を見ないとトリックを深く理解できないんです(笑)。
ご自宅の廊下にはこれまでに蒐集したアートワークがギッシリ!
ご自宅の廊下にはこれまでに蒐集したアートワークがギッシリ!
20代からどっぷりハマりだした理由はなんですか?
加藤 それはね、全く上手くならないからだと思います。今でも全然ですから(笑)。サーフィンもスケートも“スタイルが全て”だって言いますけど、いくらやってもそのスタイルが全く出ない。滑ってる時はすごく気持ちがいいんだけど、それと同時に「なんで俺は全然上手くなんないんだろ」ってめちゃくちゃ落ち込むんですよ。常に上手くなりたいと思ってますね。
スケートカルチャーにどっぷりとハマった“後”と“前”とで何か変わったことってありますか?
加藤 自分が好きなこのカルチャーをお客さんに「伝えたい」って今まで以上に考えるようになりました。そのためには、もっと詳しくならないといけないし、ただ知識を詰め込むだけじゃなくて、自分でも、もっと体現していかないといけないなってことを強く思うようになりましたね。後は、こういった仕事をしていると、今まで以上に出会いも増えてきて、例えばサンタモニカって古着屋にいた川辺くん(現・GOLDSCHOOL主宰)だったりCB(原宿のスケートショップ・ヘッシュドウグズの主宰)だったり。その人たちと話してると、スケートボードへの情熱があまりにも強くて……。彼らと一緒に時を過ごしていると、俺はこれっぽっちの知識と経験で本当にスケボーが好きだ! なんて言っちゃっていいのかな、軽々しすぎやしないか? って不安になるんです。だからこそ尚更、どんどんのめり込んで行ったんでしょうね。

好きなことを仕事に生かすBEAMSでの挑戦

この当時はBEAMSで販売員をしてたんですよね? 仕事でも何か変化はありましたか?
加藤 27歳の時に結婚をしたんですよ。結婚ってひとつの節目というか、人生を改めて考え直すポイントでもあるじゃないですか。それで“今後どうなりたいのかな?”って自問自答してたんです。その時にいつも頭をよぎったのが、俺は元々、ファッションが好きでバイヤーやデザイナーになりたくてBEAMSに入った。それでこんなにも面白いカルチャーと出会った。だったら、このカルチャーを今の仕事にどうしたらもっと活かせるだろう? ってことでした。
なるほど。
加藤 それで出た答えが、“BEAMSでサーフ&スケートショップを作ろう”ってことだったんですよ。
随分と思い切った決断ですね。この当時はまた販売員ですよね?
加藤 そうなんです。俺、こんな見た目ですけど、思い切ったらすぐ行動に移すタイプ。なんせ、社長に直談判をしに行ったくらいですから。企画の意図と思いを込めた手書きの作文を持って、社長に思いをぶつけてみると、今までにそういったことを企てた社員がいなかったと、とても前向きに考えてくれました。
それは凄い!!
加藤 でも、様々なことを吟味した結果、結局その夢は叶わなかったんです。
え、なぜNGだったんですか?
加藤 色んな要因があるんですけど、簡単にまとめると「サーフィンもスケートも、そんなにあまいものじゃない。もっとスケートとサーフィンの土壌が出来てから」ってのが理由でした。確かに仰る通りではあるんですけど……、それをファッションの世界で、BEAMSで発信することに僕は意味があると思っていたんです。なぜなら、BEAMSってただの洋服屋じゃなくて、カッコイイものを提案するお店だと思っているんです。あまり上手く表現できないですが、例えば海外に行っても、俺がカッコイイと思うお店はいつも、スケートショップやサーフショップばかり。別にブティックストアだって“オシャレ”だとは思うんだけど、“カッコイイ”とは思わないんです。そんな自分が思うカッコイイをBEAMSでも表現したかったんですよ。
実現出来ず、その後はどうやってバイヤーになったんですか?
加藤 それにも色々と問題があって時間がかかりました……。
というと?
加藤 BEAMSって、オリジナル商品の企画書や、バイヤーが買い付けてきた商品に対して現場のショップスタッフが店舗の生の意見をレポートで書いて伝えるんですよ。俺はいつも、そのレポートに批判的な内容のことばかりを書いてたんです。批判的といっても別にディスってるつもりは一切なくて、自分なりに調べて考えを持った上での意見だったんですけれど……。でも、その内容の印象が社内で悪かったみたいなんですよ。でも、その時に1人の上司が助けてくれました。
それは良いエピソードっぽいですね。詳しく教えてもらえますか。
加藤 ある日、その方からいきなり俺が働いてる店舗に電話がかかってきて、「キミが加藤くん? キミ、サーフィンするよね。俺もするから今度一緒にサーフィンに行かない?」そんなラフな会話でした。それで一緒にサーフィンを楽しんでる時に「キミの企画書の内容はすごくいいと思うよ。ただ、あの書き方だと、オフィスにいる人間がみんな敵になる。書き方を変えた方がいい。もっと違った伝え方があるはずだよ」って。それ以来、書き方を改めたんです。
なるほど。それはグッときますね。
加藤 その後も企画書を出し続けて、自分の熱意が伝わったのか、会社から「サーフ&スケートショップはやらせてあげられないけど」ってアシスタントバイヤーにしてくれたんですよ。ショップは作れなかったけど、スッゲ〜嬉しかったですね。

“3足の草鞋”時代を経て念願のバイヤーに昇格

念願だったバイヤーの道に進めたんですね。
加藤 そうです。でもまだアシスタントなのでショップスタッフを続けながらなんですがね。もっと言えば、ショップスタッフと農業、そしてバイヤーと3足の草鞋を履いてました。
3足の草鞋とはかなりハードワークですね。
加藤 “今までのBEAMSではやらなかったようなアイテムを買い付けて面白いことをしょう”って意気込んでました。だから、忙しかったけど、毎日が充実してて楽しかったですね。ただやっぱり、批判的な声も少しありましたね。
正直スケーターって、そういったこと(セレクトショップがスケートボードの展開に力を入れる)に否定的な人もいたりすると思うんですけど、当時の周りの反応とかはどうだったんですか?
加藤 もちろんありましたよ。セレクトショップが何やってんの? みたいな。けど、サーフィンやスケートが好きな人って変わってる人が多いじゃないですか。それって、純粋でピュアな気持ちの裏返しのような気がするんですよ。真っ直ぐだからこそ、そういったことに否定的な意見を言うのかなって。だからこっちが本気で愛情を持ってやり続けてると、見てくれている人も必ずいるんですよ。「おっ、面白いことやってるね」って。そういった人たちが徐々に増えきたような気がします。
現在はその3足の草鞋時代を経て、サーフィン&スケートのバイヤーに昇進。さらに、加藤さんが指揮をとるオリジナルウェアまでスタートと華々しい成長を遂げているわけですよね。
加藤 俺はいま45歳なんだけど、バイヤーって肩書きになったのは、ほんの数年前なんですよ。それまでずっとアシスタントバイヤーのまま(笑)。遅咲きな分、ようやく自分にある程度の決定権が持ててきて、何かを発信できるようになったのも大分遅いんです。好きなことだけをやりすぎた分、同期にはかなりの差をつけられちゃいました(笑)。
加藤さんがこれまでに手がけたZINEの一部
加藤さんがこれまでに手がけたZINEの一部
そんな加藤氏は、今から遡ること6年前にアシスタントバイヤーから正規のバイヤーに昇進。そして2016年には、BEAMSのオリジナルウェアとして氏がディレクションするサーフ&スケートラインが始動。さらに2017年には、それがひとつのオリジナルブランド《SSZ》として本格的にスタートし、ビームス 原宿には念願だったサーフ&スケートのコーナーを展開することが出来た。「BEAMSでバイイングやデザインの仕事がしたい」、そんな入社時の夢が立て続けに叶って行った。
確かに本人が語るように、スタートは随分と遅れをとったのかもしれない。ただ、40代からの巻き返しというか躍進がとにかく凄い。そのひとつのターニングポイントのようなものは、彼が手がける、“愛情がたっぷりと詰まったZINE(個人レベルで制作される少部数の出版物)作り”が関係しているように思えてならない。
後編の記事《自称“遅咲き”の加藤忠幸が目指す、夢を叶えるための出世欲!?》では、そんなZINEで掴んだサクセスストーリーのお話を中心に“現在とこれから”について紐解いていきたい。
          
          
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