大貫妙子×Seiho
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ミュージック

【対談】大貫妙子×Seiho|生活と音楽の美学 -異ジャンルの2人の価値観が〈交差〉する場所-

大貫妙子とSeiho。共にRED BULL MUSIC FESTIVALに出演した、世代もジャンルも全く違う二人の音楽家による対談が実現した。かたや長年に渡り繊細な美しさを持った音楽を作り続けてきたシンガーソングライター。かたや海外でも活躍する気鋭のトラックメイカー。音楽の「良さ」から、食や生活にまつわるテーマまで、両者の価値観やセンスが共鳴する〈交差点〉を探る対話になった。
Written by 柴 那典
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大貫妙子×Seiho|生活と音楽の美学 -異ジャンルの2人の価値観が〈交差〉する場所-

私はアンニュイに紅茶を飲んでるみたいな人じゃない(笑)

大貫:お母さまはおいくつ?
Seiho:えーと、24歳上なんで54歳ですね。
大貫:ほら、お母さまより年上なんだもん、私。すごいショック(笑)。
—— Seihoさんは大貫さんにお会いする前は、どういうイメージを大貫さんに対して抱いていましたか?
大貫:静かな人だと思っていたでしょ? こんなパキパキじゃないって。
Seiho:はい。
大貫:自分で言うのも変ですが。以前はアンニュイな人だと思われていたようです。ふわっと風がカーテンを揺らす部屋で、紅茶を飲んでいるみたいなイメージ。でも私コーヒー党なんです。紅茶はあまり飲まないんです。日本の水だとしっかり味が出ない気がして。ロンドンにいた時は毎日紅茶でした。おいしかった!初対面の方は、ガッカリして帰っていくんです。パキパキしてるから。申し訳ございません(笑)
Seiho:僕も周りから見られているイメージと会ったときがだいぶ違うんです。
大貫:結構ストイックな感じに思われてるんじゃない?
Seiho:そうです。
大貫:でもね、アンニュイで風に吹かれていたらこんなに長くはやっていられません(笑)。
大貫妙子

大貫妙子

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アナログとデジタルの〈ミックス〉

——大貫さんはSeihoさんにどういう印象を抱いてらっしゃいましたか。
大貫:矢野(顕子)さんと一緒に「Tong Poo」をやっていましたよね。あと、海外も含めていろんなお仕事をしていらっしゃって。沢山拝見いたしました。まさにデジタル世代なんだなと思って。80年代のお生まれですよね?
Seiho:僕は87年生まれですね。
大貫:私たちはアナログ世代なんで。途中からデジタルも導入してますけど。たとえばYMOの(高橋)幸宏さんが打ち込むドラムって、本当に幸宏さんがドラムを叩いてるビートなんです。でも今のデジタル世代の人って、ドラムを叩けなくてもデジタルでビートを打ち込める。あのビートはドラムではないですね。だからそもそもドラムだと思っちゃいけないんですよね(笑)。そういう世代の違いは感じます。
Seiho:そこは大きいと思いますよ。僕らはやっぱり打ち込みの音楽から入ってるし。ただ、僕の世代は、完全なデジタル世代よりもちょっと上なんですね。家にレコードとCDとMDとパソコンが全部あった時代。だから、アナログの気持ちもわかるし、デジタルの気持ちもわかる。ちょうど中間なんですよね。
大貫:80年代って、いろんなものがミックスしている時代でしたものね。
—— Seihoさんはソロではディープなエレクトロニックミュージックをやりつつ、バンド:Sugar's Campaignではポップスを追求しているわけですが、そういうところでも、大貫妙子さんの音楽がルーツになったということはありました?
Seiho:僕は、父親はずっとジャズを聴いていたんですけど、母親はポップスとかディスコが好きで、小さい頃から大貫さんの曲を聴かせてもらってたんで。原体験みたいなところはありましたね。でも、一番大きいのは『カイエ』(1984年リリースの大貫妙子のアルバム)なんです。高校に入って自分で大貫さんの曲を聴き出したのがあのアルバムが最初で。
——どういうところが好きになったポイントだったんでしょう?
Seiho:それこそ、母親は『Grey Skies』とか『SUNSHOWER』とかを聴かせてくれてたんですけど、『カイエ』を聴いた時に、景色みたいなものが思い浮かんだんです。もともと僕は音楽を聴く時に歌詞の内容よりも先に景色を思い浮かべるんですよ。で、『カイエ』はそれが平面の絵画ではなくて、立体的な造りになって目の前に浮かんできたのがすごく面白くて。それが高校生のときに印象に残っているんです。
——大貫さんはご自身の作品の中で『カイエ』はどういった位置付けなんでしょうか。
大貫:私、サントラが大好きなんです。ヌーヴェルヴァーグ期のフランス映画やアメリカ、イタリアも映画音楽はたくさん聞いてます。音楽を続けていればいつか映画音楽の仕事ができるかも、と思っていたんです。でも当時そういう依頼は全然こなくて。ならばサントラを作っちゃおう、と(笑)。それに合う映像も撮ってしまおうと。そのアルバムが「カイエ」です。
Seiho:じゃあ、あれはもともと映像作品だったんですか?
大貫:そうなんです。映像クルーをパリに呼んで撮影しました。あの頃は「環境ビデオ」って言われていたんです。とくに何も起こらない映像のこと。そういえば金魚が泳いでいるだけの映像とかもありましたね。ブームにもならなかったです(笑)。「カイエ」の映像は最初ビデオテープ、それからレーザーディスクになって、今はDVD。
Seiho

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音楽がジャンルも時代も超えるためには…?

——お二人とも、ある特定のジャンルや時代をずっと追いかけているというより、とても幅広く音楽を聴かれていますよね。
大貫:全方位で聴いています。良いものはね、どのジャンルにもあるので。
Seiho:それがポイントですよね。それに、やっぱり良いものは世代を超えるので。
——そこでお二人にお伺いしたいんですけど、そういったジャンルも時代も超える音楽の良さというものはどういうところにあると思いますか?
Seiho:まず価値が高いとか低いとかじゃないんですよね。価値が低いとされるものにも良さはあるし、当然価値が高いものにも良さがあるわけじゃないですか。で、僕が思う良さって、やっぱり言語をどれだけ超えているか、というところがまず一つ。
もう一つは〈今鳴っている〉かどうか。〈新しい〉かどうかですね。僕は音楽を新聞みたいなものだと思ってるんで、昔のものを懐かしがったり焼き直しをしているんじゃなく、今鳴っている音じゃないと意味がないと思っているんです。たとえ稚拙であっても、新しい場所で新しい音が鳴っているものの方がいいと思う。だから、言語を超えているか、新しいかどうか、その二つですね。
——大貫さんはどうでしょう?
大貫:私は、まず色っぽくないと惹かれないですね。言葉で言うのは難しいんですが。色気があるということ、かな。
あと、私は歌う人ですが。音楽を聴く時、歌詞にはあまり興味がないんですよね。自分にとってはメロディーとコード展開とサウンドが柱ですね。それが出来て歌詞は一番最後。ある程度出来上がったトラックを、とにかくずーっと聴いている。そうすると泡が生まれるようにふと言葉が浮かんでくる。それを頼りに書いていくんですが、メロディーとサウンドが言葉を呼ぶ、という感じかな。
——メロディーと音の響きが大事である。
大貫:メロディーとそれを支えるコード、ハーモニーですね。そのセンスがいいとグッときます。メロディーとコード譜を渡してどう弾くか、というのがプレイヤーのセンスですよね。

「いい音」って何だ?

大貫:デジタルでなくて、いわゆるアコースティックな楽器で言うと、上手いプレイヤーはとにかく音がいいです、当たり前なんですけど。一流のギタリストは「ギターと寝てるの?」っていうくらい(笑)。
Seiho:恋人ですもんね(笑)
大貫:一日中弾いてるし、お腹の上に乗っけて寝てるし、夜中にガバッと起きて弦高下げたりして。あんなふうに恋人は大事にするかなぁ(笑)
——楽器との関係が大きい。
大貫:もちろんそれが弾けるだけのテクニックがあるわけですが。やっぱりそういう人って、いい楽器に不思議と出会うんですよね。私がいつもお願いするプレイヤーはギターのために倉庫一個借りてるみたいな感じですから。レコーディングやリハーサルで会うたびに「また新しいの買ったの?」って。
——大貫さんはそういった凄腕のプレイヤーを信頼して一緒にやっているわけですね。
大貫:でも、やっぱり人ですから、なんかつまらないなこの曲、と思えばアイデアも出ないし。空気がどよんとなるので。そういう凄腕の人が本気になってくれるかどうかは、私次第なんですよね。もう、40年も試験の結果発表が続いているみたいで、身体に悪いです(笑)
—— Seihoさんは「いい音」というのはどういうものとして捉えていますか?
Seiho:僕らはデジタルとアナログの中間なんで、アナログが絶対にいいわけでも、デジタルが絶対にいいわけでもないんです。大事なのは〈知ってるかどうか〉ということ。作法を知ってないと良さというのはわからないんですよ。
たとえば、フレンチのレストランに行った時にはその場所の作法があるし、ファストフードを食べに行った時にはファストフードの作法がある。
大貫:なるほど! それってどんな?
Seiho:肘をついて食べるとか、こっちの手でケチャップをつけるみたいなね(笑)。それと同じで、たとえばアナログのストリングスだったらこういう倍音が出るとか、例えばギターはこういうフレージングになるけども、デジタルだからこそそれを壊せるとか。そこを知ってるかどうかで変わってくる。僕はアナログとデジタルの両方を往復していたいし、知ってるということが大事だと思います。
——デジタルの機材でも「こうすればいい音が鳴る」というテクニックが沢山あるし、いいセッティングのようなものもある。
Seiho:そうですね。細かく言ったら、最終的には電圧なんで。
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自分でお米を作る理由/自ら経験したものだけが真実

大貫:屋根の上にソーラーをつけて、太陽光で作った電気で録音したものを聴いたことあるんですが、本当に音、良いんですよね。
——たとえば佐藤タイジさんが太陽光発電で野外フェスを主催されたりしてますね。
大貫:タイジさんも音が良いって言ってませんでした?
——参加したミュージシャンが全員「音がいい」と言っていたそうです。
Seiho:えー、それすごい話だなぁ!
大貫:嘘じゃなくて本当なんですよ。電気って運ばれるうちに変なノイズもひろってくる、それがない。
Seiho:ピュアだからノイズが入ってないってことなんですよね。
——大貫さんは秋田で無農薬でご自身の米を作っているということですが、そういった暮らしや生活の部分でもお二人に共通する感覚はありますか。
Seiho:僕、その話聞きたかったんですよ。矢野顕子さんとのコンサートの時にMCでおっしゃっていて。
大貫:あ、そんな話しましたっけ?
Seiho:めちゃくちゃ興味持ってます。だって、自分のお米ってことですよね? まずそこがすごい。収穫と田植えも行ってらっしゃるんですか?
大貫:はい、行ってます。もちろん秋田の農家さんが普段は管理してくださっていますが、田植え、草取りが2回、あとは稲刈りで年に4回行ってます。草取りが一番大変です。
Seiho:友人からお米を貰うのと全然意味が違うわけですよね。
大貫:そうね。自分の可愛いお米だから(笑)。
Seiho:そういう風に愛着がわくのも、すごくいいなと思うんです。
——大貫さんはどういうきっかけで米作りを始めたんですか?
大貫:どんなことでも意見を求められた時に、自分の言葉できちんと伝えられるか。ということをいつも思うんです。そういうことを一つでも多く増やしたい。自分で見たものや経験したことだけは、自分にとって真実なので。そういうことの積み重ねが生きていく意味だと思ってるんです。
私は東京生まれで田舎がどこにもなくて、農業に従事している人も親戚にいなくて。地球規模で気候が変わっている今、何か起これば農業にとっては大打撃です。生きていくのに大事なものは水と空気と食料。多分最初に困るのは都市に生活する人たちなんです。「お金を出せばなんとかなるんじゃない?」と思っているとしたら、それこそが農家のプライドを傷つけることなんだと。
そういうことが、米作りをしてちゃんとわかったことです。だからそういう方との繋がりを作っておくことの大切さを10年少し前に気づいて、始めたんです。
Seiho:どのくらいの大きさでやってたんですか?
大貫:750坪ですね。さらに広げた時期もありましたが、身体がもたなくて。1,890キロくらい、1トン越えですね(笑)。
Seiho:すごい量ですね。
大貫:一緒に始めた仲間で分けても余ってしまうので、麹にして味噌も作ってもらっています。あとは欲しい知り合いにお分けしたり。
米作りは水の管理やら何やら素人では無理、というのも学びました。無農薬米はとくに大変です。でも残念ながら秋田の農家さんがご高齢のため、今季をもってお米つくりは終わりにしました。次なる目標は畑です、もう決めています(笑)。
農業というのは実にクリエイティブな仕事で、なんといっても生きている相手との対話ですし、その経験の積重ねはたぶん、人には簡単に教えられるものではないんですね。
農作物を作っている方が、土を口に含んで「いい土だ!」というのを昔テレビで見て感動したんです。土の味でそこに適したものがわかる、というのは一朝一夕では無理な話でしょう。
私がお米を作っていると言ったら、みなさん驚かれますが、私にとっては地に足がついていることが大事。
Seiho:実際に行って、そこの人とコミュニケーションをとって、そうして思い入れがあるものができるんですよね
大貫:最初の2〜3年は「この人たち、都会から来てちょっとやってみようと思ってるだけじゃないの?」と思っていたそうです。でもとにかく本気だということをわかってほしくて。
そうすると、お酒に付き合わないわけにはいかない。行ったら必ず一升瓶が出てくる、ど〜んと。それで、私がいちばんお酒が強いということになっていて、気がつくと他の仲間はいない。もう何度気絶したかわからないです。それこそ一生分飲んだかも。今、日本酒はやめてます。でも、そのおかげで10年以上米作りが続けられてよかったです(笑)。今では、秋田のお父さんとお母さんです。
Seiho:めっちゃ面白いですね。
大貫妙子

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生け花の美/生活の美学

—— Seihoさんは、去年矢野顕子さんと一緒に「WORLD HAPPINESS」に出演されたときにステージの上で生け花をやられていましたよね。生け花に興味を持つようになったきっかけというのは?
Seiho:小さい頃から、コーヒーが飲めなかったんで、おばあちゃんに抹茶を立ててもらって、それを飲んでたんです。普通にそれがすごい好きで、中高、ずっと朝に抹茶を飲んで学校に行ってたんです。
で、お茶に興味を持ち出すと、お茶会みたいなのがあって。それって全部花のためにあるんですよ。花を見るために、後ろの掛け軸があって、それを集まってみんなで見て、その器があって、お茶を飲む。僕からしたら、やっぱりお茶もお花も生活の一部なんですよ。そういうところがすごい好きで。育てるという方には全然興味がわかなかったんですけど。やっぱりガーデニングと生け花は全然意味が違うんですよね。
——どう違うんでしょうか。
Seiho:生け花は看取る話なんです。枯れていくところを見るというか、どんだけ長生きさせて、美しいままで枯らしていくかという。この花はこういう風に切った方が長生きするとか、意外に切らない方がいいとか、命を短くしちゃうけど綺麗になるとか、そういうのを選定していくみたいなのがすごい楽しくて。
大貫:ご自宅には生けたお花がいつもあるんですか?
Seiho:そうですね。でも、僕は流派とかそういうのは何もなくて。習ってもないし、学もないんですよ。
大貫:街を歩いてると、マンションのベランダに枯れた観葉植物が捨てるように置いてあるお家ってありますよね。ああやって平気でほったらかしにしてあるのは嫌ですよね、かわいそう。
Seiho:わかります、そういうことなんですよね。品性って、お金を持ってるかどうかじゃないんですよ。別にお金がなくても、箸の持ち方は綺麗にできるし、どんなに貧乏でもお茶碗をちゃんと持って食べることはできる。お金持ちか貧乏かの話じゃなくて。そういうことが僕は大事にしてるところで。
——なるほど。そういうところにSeihoさんの美学や価値観がある。
Seiho:例えば、たとえば外でご飯を食べるときに自分の箸を使ったりするのもそうなんですよね。それが食事に対する礼儀であり、一緒に食事をする相手に対する礼儀。まあ、必ず自分の箸を使わなきゃいけないってわけでもないんですけどね。例えば、カップラーメンを食べるときは絶対にコンビニの割り箸の方が美味しいし(笑)。
大貫:それはやはり、ご両親の影響もあるのではないですか?
うちの親も厳しかったです。今は食事をワンプレートに全部盛ったりするらしい、味気ないですね。あと、給食の先割れスプーンも信じられない。まだ使われているんでしょうか。
Seiho:逆に、学校の給食では陶器のお皿とかを使った方がいいんですよね。落としたらダメだし、ちゃんと食べるということを勉強する場所だから。
大貫:なるほど、ほんとにそうですね。あと、スパゲティーをお蕎麦みたいにズズ〜ッと吸う人いますよね。日本人だからいいじゃない、と言う人もいますが、目の前でされるとなんか退いてしまいます、誰か言ってあげた方がいいかも、と。
Seiho

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生活の美学が生む、音楽

——音楽の話から食の話になりましたけれど、お話を聞いているとそういう部分にもお二人に共通しているところがあるように思います。
大貫:そのことが基本ですから。
Seiho:日々の生活が大事ですからね。
大貫:たとえば歌詞を書く上で普段から本を読んでいたり、言葉の片鱗みたいなものを思いついたらそこら中に書いておくので、紙切れの山になって…。
Seiho:そこでより良いものを選定するということですよね。言葉も「あなた」と「君」で意味が違うし、何を選ぶかというのが大事で。そこがご飯を食べる時と一緒なんですよ。そういうひとつひとつのことが気にならない人は、曲を作っていても細かな部分が気にならない。
大貫:そうですね。
Seiho:僕が好きなミュージシャンはやっぱり、隅から隅まで、そういうところにちゃんと目が行き届いてる人なんですよね。
大貫:アコースティクな楽器はそのものの音色がありますけど、電子音ってほんとに選ぶ人のセンスですよね、微妙な調整の耳が問われますよね。適当な音が重なっていったら、なんだかすごく汚くなっちゃう。
そういう音楽がけっこうあるなと思って。そういうのってただうるさい音にしか聞こえないんです。でもSeihoさんは綺麗な重ね方にすごく気を使ってらっしゃるのはよくわかります。
——今日お話してみて、お二人の近いところ、共通しているところはどんなところだと思いますか?
Seiho:僕は恐れ多くて何も言えません。
大貫:とんでもございません(笑)。
私は友達が本当に少ないんですけど。仲の良い人はいろいろなジャンルにいて。みんな、似ていますね。やっぱり、ちょっと言葉で説明できない何かがあるんですよね。
Seiho:気が合うってそういうことですよね。“気”の話って、つまり波長の話だから。
大貫:音楽はまさに気の集合体ですもんね。ライブをやってるとわかると思うんですけど、ステージの上で演奏が集中してとてつもなく良くなっていくことってありますよね。あの時の恍惚感って、お客さんには申しわけない、ごめんなさいっていうくらい最高で。
お金を払っていただいているのに、こっちの方が気持ち良くなっちゃう時って、そういつもではないけれど、これって何なんだろう、凄いなぁって思います。
Seiho:ステージ上で一番テンションが上がってる時に、お客さんまで含めて全員で一体化しているような感覚になるタイプと、逆に一人っきりでいるような感覚になるタイプと、2種類の人がいると思うんですよ。大貫さんはどっちですか?
大貫:私は、お客さんのことを忘れてるかも。
Seiho:僕も一人になるタイプなんですよ。でも、DJやってる人はお客さんまで含めて全員で俯瞰で見ている人がいて。
大貫:集中力ですかね。演奏家でもあまりに凄くて神がかって見える時、ありますからね。
Seiho:結局、言葉を超える話なんですね。
大貫:そう。だからなかなか説明できないです(笑)。