The Prodigy, 1997
© The Prodigy
ミュージック

The Prodigy『The Fat Of The Land』の衝撃

1997年にリリースされたダンスミュージックアルバムが世界に与えた衝撃の大きさを改めて振り返っていく。
Written by Henry Johnstone
読み終わるまで:8分Published on
1996年、The ProdigyはすでにUKで有名だった。
シングルの「Charly」と「Everybody In The Place (Fairground Edit)」がレイブ時代のUKシングルチャートでヒットしており、アルバム『Music For The Jilted Generation』は1994年7月のリリースと同時にUKアルバムチャート首位を獲得していた。
しかし、エセックス・ブレインツリー出身のこのグループが次の大胆な一手を予想していた人はほとんどいなかった。
The Fat Of Land

The Fat Of Land

© XL Recordings

先行シングルの話題性
The Fat Of The Land』がリリースされる前から、The Prodigyは自分たちの意図に反して槍玉に挙げられていた。
バンドをメインストリームへと押し上げることになった、逆モヒカンのKeith Flintが印象的なヒットシングル「Firestarter」がBBCの音楽番組『Top Of The Pops』で放送されると、同局にはそれまでの記録を更新する大量の苦情が届けられた。
怒り狂った保護者たちは、“狂人” Keith Flintが子供たちを怖がらせている、彼はどこからどう見ても精神異常だとBBCに詰め寄った。
アルバムの大ヒット
シングル「Firestarter」と「Breathe」のヒットを経て、(所属レーベルXL Recordingsには残念だが)遅れに遅れに遅れた『The Fat Of The Land』が1997年6月30日にリリースされると、22カ国のチャートで首位を獲得し、最速で売れたUK産アルバムとしてギネスブックに記録された。
あらゆるバンドが言っているように、“ナンバーワン” が本当の意味で重要なのはUSチャートだが、The Prodigyは自由の国でもナンバーワンを獲得した。ロック尽くしだったこの頃(そしてEDMブームの15年も前)の同国でのこの結果は驚きだった。
プロデューサーを務めたリーダーのLiam Howlettは、自分たちのアルバムがUSチャートで首位を獲得したことを「自慰で祝った」とコメントした。
ビッグスターからの注目
『The Fat Of The Land』の世界的なヒットを受けて、パワフルでネジが外れていると以前から話題になっていたThe Prodigyのライブの人気はさらに高まり、セレブリティからの注目も集めるようになった。
The Prodigyのニューヨークでのライブ後に開催されたアフターパーティには、Jerry SeinfeldChris RockBonoCourtney Loveが顔を出した。また、ロサンゼルスのライブ後にはPamela Andersonがバックステージを訪れ、バンドメンバーにアルバムのファンであることを告げた。
Foo FightersDave Grohlでさえこのアルバムのファンであることを公言しており、2009年のThe Prodigyのアルバム『Invaders Must Die』の収録曲「Run With The Wolves」にドラマーとしてゲスト参加している。
MadonnaとBowieを無視
1990年代の音楽の時代精神をパーフェクトに捉えていた『The Fat Of The Land』は、メインストリームのミュージックアイコンの興味も引くことになった。そのひとり、David BowieもHowlettに作品のプロデュースを頼んだ。しかし、驚くことにHowlettはこのオファーを断った。
『Mojo』のインタビュー内でHowlettはその理由を次のように説明している。
Chuck Dからのオファーだったら受けていたと思うが、David Bowieは俺にとって何の意味も持たなかったんだ。Bowieと一緒にドイツのギグに出た時、彼が控え室にやってきて、ドラッグなんかについて色々面白い話をした。短時間でリスペクトできた人物ではあったね」
また、Howlettは、USではMadonnaのレーベルMaverickと契約していたが、彼女本人のプロデュースのオファーを断ったことも明かしている。
「Madonnaについて俺がひとつ言えるのは、彼女自ら俺たちのところへやってきたってことさ。俺はその行動を俺たちへの敬意として受け止めた。だから、USでのリリースは彼女のレーベルと契約したんだ」と説明している。
ちなみにMadonnaは1997年のMTV AwardsでThe Prodigyを紹介している(下の動画)。
メディアとの関係
『The Fat Of The Land』は当然ながら数々の賞に顔を出し、グラミー賞のベストオルタナティブアルバム賞にもノミネートされた。しかし、そのような中で何よりも有名なのは、1997年のQ Awardsだろう。
ステージに上がったHowlettは、プレゼンターを担当していたラジオDJ、Chris Evansが番組で一度も自分たちの音楽をオンエアしていないことに触れ、本人に向かってにやけながら「ファック・オフ」と言い放った。
「Smack My Bitch Up」を巡る問題
『The Fat Of The Land』からのラストシングルはクラブヒットにもなった「Smack My Bitch Up」だった。
このシングルのメインフレーズ「Change My Pitch Up / Smack My Bitch Up」はUltramagnetic MCsの「Give The Drummer Some」からサンプリングされたものだったが、BBCはオリジナルを放送禁止とし、歌詞を抜いたカラオケバージョンだけをRadio 1でオンエアした。
このシングルはミソジニー(女性蔑視)だとして様々な方面から批判され、National Organization for Women(全米女性機構)などのフェミニストグループから女性への暴力を助長すると非難された。
Howlettは歌詞を文字通りの意味で使用したわけではないとし、「あのトラックは俺が作った中で最も具体的な意味を持たないトラックだ。ガールフレンドを殴るという直接的な意味で受け取る奴は相当頭が悪いんじゃないか?」とコメントしている。
Beastie Boysとの不仲
Beastie BoysはThe Prodigyを大いに気に入っており、「Root Down」のフレーズ「Oh my god, that’s some funky shit!」を彼らの「Funky Shit」で使用することを許可するほどだったが、「Smack My Bitch Up」に関する議論が1998年のReading Festivalでひとつの沸点に達することになった。
Reading Festivalで同じステージに立つ前夜、Beastie BoysのMCAMike Dがエセックスの自宅にいるLiam Howlettに連絡を取り、「Smack My Bitch Up」をセットから外すように頼んだ。
The Prodigyの出演順はBeastie Boysの前だったため、議論を巻き起こしているトラックのあとでステージに上がるのを嫌がったのだ。
しかし、ProdigyのメンバーMaxim Realityは当然納得しておらず、以下の音声で確認できるように、「自分のやりたいことをやる」と発言し、そのまま演奏した。
ロシア狂騒曲
『The Fat Of The Land』はThe Prodigyをロシアのスターに押し上げた。ロシアで大人気だった彼らは、1997年にモスクワ赤の広場で、20万人のクレイジーなロシア人ファンを前に無料ライブを開催した。
Keith Flintは「“Their Law” を演奏していると、銃を抱えて会場を警備していたロシア軍にキッズたちが暴力的に扱われているのが見えた。あれは異常だったね」と振り返っている。

レガシー

2010年代にEDMがUSのメインストリームカルチャーで台頭すると、このジャンルのビッグネームの多くが、The Prodigyのライブをエレクトロニック・ミュージックのライブパフォーマンスの参考にした。
また、『The Fat Of The Land』に収録されていたトラックは無数のハリウッド映画のサウンドトラックにフィーチャーされた他、2001年にはKISSGene Simmonsがセカンドソロアルバム『Asshole』で「Firestarter」をカバーした。
しかし、このアルバムがポップカルチャーに与えた影響がいかに大きかったかについては、下の映像を見れば一発で理解できるはずだ。