A photo of the massive crowd at The International 8 in Vancouver, Canada.
© Valve
eスポーツ

『Dota 2』の歴史

『Warcraft 3』のMODから世界最大のesportsタイトルのひとつにまで成長した大人気MOBAタイトルの歴史を振り返る。
Written by Mike Stubbs
読み終わるまで:10分公開日:
『Dota 2』の2019シーズン最大のトーナメント、The International 9(TI9)には3,000万ドル(約31億6,800万)超という人生を変える超高額が賞金総額として用意されている。
世界最強の称号を獲得するプレイヤー5人が一夜にして億万長者の称号も獲得し、esports史上で最も大きな経済的成功を収めたesportsプレイヤーになるのだ。
この賞金総額はこのゲームのトッププレイヤーたちのスキルの高さの証拠だが、同時にこのMOBA(Multiplayer Online Battle Arena / マルチプレイヤー・オンライン・バトル・アリーナ)タイトルのオーディエンスと、彼らの下に位置するカジュアルファンの多さも物語っている。
このゲームを毎月プレイしている数千万人が、『Dota 2』を世界で最も大きな成功を収めているビデオゲームのひとつにすると同時に、デベロッパーのValveに大きな利益をもたらしているのだ。
しかし、米国・シアトルに拠点を置くこのデベロッパー / パブリッシャーが『Dota 2』の爆発的人気を作り出したのは事実だが、このゲームのルーツがコミュニティにあることと、その歴史が『Dota 2』の約10年前から始まっていることを忘れてはいけない。
このesportsタイトルはデベロッパーやパブリッシャーではなく、ファンによって生み出されたのだ。

Blizzardとの関係

『Dota 2』のルーツを最初の最初まで遡りたいなら、『StarCraft: Brood War』ファンが開発したMODマップ《Aeon of Strife》まで遡る必要がある。
Blizzardが1998年にリリースした傑作リアルタイムストラテジー(RTS)『StarCraft: Brood War』のために用意されたこのカスタムマップはオンライン上で人気を獲得したため、そのアイディア(MOBA)はのちにBlizzardの別タイトル『Warcraft 3』にも持ち込まれることになる。
《Aeon of Strife》のプレイフィールは現在のMOBAとはかなり異なるが、MOBAのベースとなる部分はこの頃に固まった。プレイヤーは軍全体を指揮・管理する代わりにひとつのユニットを操作し、AIが操作する “ミニオン” が敵陣へ目指して3レーンを進軍する。
プレイヤーが操作するチームではなくAIが操作するチームと対戦するCo-op仕様で、チームはプレイヤー4人で構成されており、通常攻撃以外の複雑な戦闘要素もほとんど存在しなかったが、3レーンを進んで敵陣を目指すという仕様は、近年最大の成功を収めているビデオゲームジャンル “MOBA” の基礎のひとつとなった。
しかし、《Aeon of Strife》はどちらかと言うと『Dota 2』の「遠い親戚」だ。
『Dota 2』 “本家” の歴史は2000年代初頭に開発された『Warcraft 3』のもうひとつのMOD《Defense of the Ancients》 ― 略称《DotA》― から始まる(《DotA》の大文字 “A” は単純に『Dota』と表記されることが多い『Dota 2』と区別するために不可欠)。
MOD開発者(モッダー)のKyle “Eul” Sommerによって開発されたこのMODは、我々が知っている『Dota 2』に非常に似ている。大きな違いは『Dota 2』ほど高機能ではないゲームエンジンが採用されている点くらいだ。
このMODは3レーンのマップが用意されており、プレイヤー5人とプレイヤー5人が対戦する中、各レーンをミニオンが進軍する。また、プレイヤーが操作するヒーローにはそれぞれ異なったアビリティとレベルアップが備わっており、お互いの基地を破壊することが目的に据えられている。ここに『Dota 2』の基本が完成した。
このMODは大人気を獲得し、のちにMOBA史上最高益を生み出すのだが、それを知る由もなかったEulはリリース後すぐに開発をやめてしまう。Eulは続編の開発を試みたが結局完成させることができず、徐々に《DotA》に関わらなくなっていった(のちにValveへ全権利を譲渡する)。
Eulのあと、多くのMOD開発者が《DotA》の別バージョンの開発に挑んでは失敗していったが、最終的にSteve “Guinsoo” Feakが大半を開発したMOD《DotA: Allstars》が《DotA》シーンを前進させる主軸MODとなった(“オリジナルの《DotA》” と表記されている場合、《DotA: Allstars》を意味する場合が多い)。
プロプレイヤーたちの間で何年にも渡ってプレイされたこのバージョンは『Dota 2』の原型になった。
《DotA: Allstars》の開発から数年後、Guinsooと《DotA》のコミュニティハブを創設した人物として知られるSteve “Pendragon” Mescon『League of Legends』(『Dota 2』と人気を二分するMOBAタイトル)の開発に携わるためにRiot Gamesへ入社したため、《DotA: Allstars》はIceFrogと呼ばれるミステリアスなMOD開発者へ委ねられることになった。
のちに『Dota 2』シーン最大の影響力を持つことになるIceFrogが《DotA: Allstars》に大きな変更を加えることはなかったが、バランスの調整とコンテンツ追加を重ねながら、『Dota 2』へ引き継がれるこのゲーム特有のプレイスタイルを磨き上げていった。
《DotA: Allstars》は大手デベロッパー / パブリッシャーからのサポートが一切なかったにも関わらず人気が拡大していった。やがて、ファンがファンのために開発したこのゲームは世界最大級のesportsタイトルとなり、高額の賞金が用意されたメジャートーナメントが数多く開催されるようになった。
しかし、『League of Legends』と『Heroes of Newerth』がリリースされ、MOBAが世界が注目する一大ジャンルになると、《DotA: Allstars》にも業界で生き残るためのてこ入れが必要になった。そのてこ入れ役を担ったのがValveだった。

Valveの参加

2009年、IceFrogがValveへ加入して新プロジェクトの開発をスタートさせたことを発表すると、誰もがMOBAの新IPに期待した。しかし、それが『Dota 2』になるということが公式発表されたのは2010年に入ってからだった。
Valveは2011年にそのベータ版をリリースするのだが、それに先駆けてメディア限定バージョンをリリースした(反応は上々だった)。同時期に “Dota” の商標登録にまつわる訴訟問題が勃発するが(長年続くことになる)、それ以外はほとんど大きなアクシデントや発表がないまま『Dota 2』の開発は続けられた。
そして2011年8月、Valveはドイツ・ケルンで開催されたゲームショウ、Gamescomで賞金総額160万ドル(約1億7,000万円)を用意したトーナメントと共に『Dota 2』を初披露した。
この賞金総額は当時のesports最高額だったため大きな話題となった。Gamescomの小さなブースで開催されたこのトーナメントは集まっていたファン(ブースではベータ版の試遊もできた)だけではなく、ストリーミングで観戦していた世界中の人たちにも『Dota 2』の存在を教えることになった。
万単位の人たちに『Dota 2』が何なのかを教え、このゲームを欲しいと思わせたGamescomでのこのイベントは彼らにとって重要な一手となった。
それから数ヶ月が経ち、Valveがベータ版により多くのプレイヤーを惹きつけていくと、自然にプロシーンが形成されていった。最初は最多賞金総額が2万5,000ドル(約160万円)程度の小規模なオンライントーナメントだけだったが、すぐにゲーミング業界最大のプロシーンへ成長を遂げた。
The Internationalは多くのファンを惹きつけてきた
The Internationalは多くのファンを惹きつけてきた
Gamescomで開催された史上初のトーナメント(TI1)から1年後、Valveは同じ賞金総額(160万ドル / 約1億7,000万円)を用意したThe International 2をシアトルで開催することを発表。
プレイヤーベースが拡大し、ベータ版がいつでもプレイできるようになっていた中でのこの発表は『Dota 2』シーンの世界的人気獲得の第一歩となった。
この時点での『Dota 2』はさらに改良されており、《DotA: Allstars》の全機能が持ち込まれていたわけではなかったにせよ、ヒーローの数が大幅に増え、アクセシビリティも高められ、さらに面白いアクションが楽しめるようになっていた。
TI2からTI3までの1年は『Dota 2』にとって急成長の1年になった。
2013年半ば、『Dota 2』がついにSteamで正規リリースされると、新規プレイヤーが増加。また、Valveは賞金総額を増やすためにクラウドファンディングを導入。
この仕掛けでプレイヤーとファンから100万ドル(約1億600万円)を集めて賞金総額を大幅に増やしたTI3は『Dota 2』が大ブレイクさせた。また、Natus VincereAllianceの対戦となったグランドファイナルは『Dota 2』史上に残る一戦となり、新規プレイヤーをさらに引き寄せる呼び水となった。
『Dota 2』はその後数年でさらなる成長を遂げ、トーナメントシーンも進化を続けていった。The Internationalは毎年大きな話題となり、クラウドファンディングによって賞金総額も右肩上がりで増えていった。
この賞金総額の増加が『Dota 2』を「世界最高賞金総額のesportsタイトル」にし続けている理由だ。賞金増額はTI6までに2,000万ドル(約21億1,200万円)を超え、前述した通り、今年(TI9)は3,000万ドル(約31億6,800万)を超えている。
ValveとIceFrogは『Dota 2』の開発を続け、2016年には《DotA: Allstars》の全ヒーローの移植が完了すると同時に新ヒーローの開発がスタートした。
また、2015年にはValveの自社エンジンSource 2を採用した “Reborn” バージョンがリリースされ、UIが一新されたこのバージョンは『Dota 2』最大のアップデートとなった。現行の『Dota 2』のUI基本システムはこの “Reborn” バージョンをベースにしている。
また、2016年にリリースされたアップデート “7.00” で、10年ぶりにゲームプレイ全体が大きく変えられた。
マップが改良され、新機能が追加され、全体が何かしらの形で再調整されたこのアップデートは「毎シーズン後半に大型アップデートをリリースする」というひとつのトレンドを作り出すきっかけとなったが、7.00ほど『Dota 2』に大きなインパクトを与えた大型アップデートは存在しない。
近年も『Dota 2』は非常に高い人気を誇っており、プロシーンも世界最大級であり続けている。毎年億単位の賞金が用意され、The Internationalは世界最大のesportsトーナメントであり続けている。
Eulが開発した《DotA》から15年以上が経過しているが、この頃すでに『Dota 2』の基礎が完成していたというのはクレイジーな話だ。長きに渡って愛されてきたゲームシステムとシーンの勢いが緩まる兆候が一切見られないことを踏まえれば、10年後も『Dota 2』がesportsシーンをリードしていても驚きではない。
Twitterアカウント@RedBullGamingJPFacebookページをフォローして、ビデオゲームやesportsの最新情報をゲットしよう!