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『人喰いの大鷲トリコ』に惹かれる理由
未来を理解するためには過去を知らなければならない。上田文人の手がける最新作の魅力を過去の作品と照らし合わせながら紐解いていく。
多くのプレイヤーが『人喰いの大鷲トリコ』に期待しているが、その期待は、この日本製の待望のビッグタイトルが不定期に少しずつ公開している情報だけが生み出しているものではない。この作品のクリエイターが手がけてきた過去の作品のクオリティもその期待の元になっている。『人喰いの大鷲トリコ』の生みの親、上田文人はゲーム史に残る圧倒的な美しさを誇るゲームを過去に手がけてきたため、ファンはPS4で10月にリリースされる10年以上ぶりの彼の最新作で再びその才能が見られるのではないかと期待しているのだ。
Sonyが輩出した最も偉大な才能の持ち主のひとりである上田は、PS3時代には1本もゲームをリリースしなかった。その間、上田はgen DESIGNを立ち上げつつ、この『人喰いの大鷲トリコ』の開発にひたすら時間を費やしてきた。このような長いブランクがあったにも関わらず、ここまでの期待を集めているのは、彼の才能の裏付けと言えるだろう。PS2でリリースされた『ICO』と『ワンダと巨像』は、ストーリーとゲームプレイを見事に組み合わせる上田の比類なき才能が見事に披露されたゲームだった。上田は映画や演劇、文学などによって生み出されたテクニックを流用する代わりに、ビデオゲームならではのテクニックを使用する数少ないゲームデザイナーのひとりだ。上田は長尺のカットシーンの代わりに、ビデオゲームならではのインタラクティブなゲームプレイを盛り込み、ゲームとプレイヤーを結びつけることに成功した。
『ICO』と『ワンダと巨像』というPS2を代表するクラシック2本が備えているオリジナリティと色褪せることのないクオリティ、そして感情面の揺さぶりを考えると、次作の『人喰いの大鷲トリコ』ではそれらが更に素晴らしいものになっているのではないかと期待してしまう。リリースから『ICO』は15年、『ワンダと巨像』は11年が経過しているにも関わらず、今でもこの2本からはこの天才のタイムレスな才能が感じられる。
『ICO』も『ワンダと巨像』もひとつのジャンルに入れ込むのは難しいが、近年の言葉を使えば、前者は「プラットフォーム」、後者は「アクションアドベンチャー」になるだろう。『ICO』は主人公の少年イコが少女ヨルダを守りながら古城から脱出するというゲームで、『ワンダと巨像』はその救出というテーマから離れ、広大なフィールドを歩き回り、神のような姿の巨像を探し出して攻撃して倒すというアグレッシブなスタイルになっている。
両作品に共通しているのは、上田がプレイヤーに置いている信頼だ。両作品共にプレイヤーのアクションを制限したり、特定のアクションを特定のタイミングで行うように指示したりすることに力を割いていない。プレイヤーは基本的に自力か、自分が正しいと思えるアイテムや選択肢を選ぶことでゲームを進めていく。この自由度は、他のビッグタイトルや独占タイトルの多くが今も導入していない非常にユニークなもので、これが彼の作品に息吹を与えている。
しかし、オープンワールドと自由な解釈を謳っている他のゲームと同じく、この2本もシステム的な意味では自由度はそこまで高くない。プレイヤーのアクションはコードによってプログラムされた範囲に限定されており、進捗もそのプログラムされた世界の中に限定されている。しかし、重要なのは、両作品共に自分の好きなようにプレイできるという “擬似感覚” をプレイヤーに与えているという点だ(結局のところ、『ICO』にはヨルダを城から連れ出すための特定の解決方法が存在し、『ワンダと巨像』にも巨像を効果的に倒すための特定の方法が存在するため、完全に自由とは言えない)。
しかし、両作品はシステムとゲームエクスペリエンスのどちらが大事なのかを問いかけていた。ゲームの世界の中で「自分が好きなように動ける完全な自由」を感じられるのなら、実際のシステムが自由でなくても良いのではないだろうか? このような疑問は他の数多くのゲームでも提起されており、たとえば、Telltale Gamesの『ウォーキング・デッド』は、自分がストーリーを生み出しているという感覚をプレイヤーに非常に上手く提供しており、『マスエフェクト』は、宇宙は自分のものだという錯覚を与える。しかし、『ICO』や『ワンダと巨像』のような自由な感覚を与えてくれるゲームはほとんど存在しない。
上田が10年以上前にリリースした2作品のこの部分を『人喰いの大鷲トリコ』で上回ることに成功しているのであれば、この最新作で彼が何を提供してくれるのかを考えるだけで思わず顔がにやけてしまう。誰もが認める上田の才能、そして元々2011年に予定されていたリリース日をここまで遅らせたパブリッシャーのSonyの熱意を踏まえると、今年10月に圧倒的なクオリティのゲームをプレイできる可能性は非常に高いと言えるだろう。
何よりも嬉しいのは、『人喰いの大鷲トリコ』はプレイヤーの導き方だけではなく、キャラクター同士のコミュニケーション方法においても『ICO』と『ワンダと巨像』のミニマリストなアプローチをなぞっているように見えることだ。今作もアクションとアブストラクトなサウンドだけを頼りにゲームを進めていくため、ストーリーに関わるすべてのキャラクターの背景と動機を自由に解釈させてくれるスペースが残されるはずだ。
『ICO』と『ワンダと巨像』における明確なストーリーの欠如は、進めるべきストーリーが決まっているゲームよりも、プレイヤーをゲームの世界と力強く結びつけていた。
各プレイヤーは想像力を活用している限り、あらゆるディテールを提供しようとする作者の作品よりも、ほんのわずかなフレームワークしか提供しない作者の余白のある作品の方が、よりパーソナルでユニークな何かを体験をしたり、生み出したりすることができる。これまでに公開された情報から察するに、ストーリーをプレイヤーに委ねるという部分、そしてプレイヤーたちが独自にストーリーを吸収・解釈してくれることを開発側が信じているという部分において、『人喰いの大鷲トリコ』は過去作品の足跡を辿っていると言えるだろう。
この解釈の自由度はホラーやサスペンス映画で多用されているテクニックに似ている。このような映画はあえて観客に与える情報を制限することで、観客側に自力でその穴を埋めさせる。そして、その穴を埋めようとする観客の想像力が、監督の狙いよりも大きくてパーソナルでドラマティックな何かを生み出すことになる。一般的な監督は観客の潜在意識がどう作用するのかに関する知識は持ち合わせていないが、優れた監督は観客の潜在意識を刺激して感情をコントロールすることができる。
読者側にスペースを与えることができる作家が最高の作家だと言われるが、これに倣えば、プレイヤーにゲームを自由に解釈させることができる上田も最高のゲームデザイナーのひとりと言えるだろう。
『人喰いの大鷲トリコ』をエキサイティングにしているのはまさにこの部分だ。プレイヤー側に提供されるグラフィック、ゲームプレイ、サウンドなどではなく、プレイヤーがプレイを通じて何を生み出せるのか、ここがこのゲームの最大の魅力になるはずだ。『ICO』と『ワンダと巨像』の特長はプレイヤーが自分だけのアイディアでゲームをプレイできるという点にあったが、『人食いの大鷲トリコ』も同じゲームになるだろう。
『人喰いの大鷲トリコ』は10月25日にPS4でリリース予定。


